第608話 竜の眠る街

◇竜の眠る街◇


「ああ、君らか。随分と遅かったじゃないか。全然訪ねに来ないから、てっきり忘れているのかと思ったよ」


 俺らにそう声を掛けながら出迎えてくれたのはマルフェスティ教授だ。彼は優雅に紅茶を飲みながら、どこか得意気な顔でモノクルを指で掴んで軽く持ち上げた。確かに彼女の言うように、祭祀場で出会ったときから一週間ほどの時間が経過している。しかし、そもそも俺らが問いただしても彼女自身が研究が忙しいから後にしてくれと引き伸ばして今に至っているのだ。


 それを知っているルミエが申し訳なさそうな顔で俺らに頭を下げる。俺らもそこを責めるつもりは無いため、反論することなく向かいの席に着席した。


 そしてそもそも俺らは別にマルフェスティ教授に会うためにここに来た訳ではない。マルフェスティ教授はさも自分の家に招いたような口ぶりであったが、ここは彼女の家ではなくメイバル男爵邸なのだ。俺らは単にメイバル男爵に御呼ばれして足を運んだに過ぎない。


「皆さん、良くいらしてくれました。ようやく落ち着いてきて皆様をもてなす準備も整いましたよ。いやぁこの度は本当にお世話になりました」


 既に扱いには慣れているのか、メイバル男爵はマルフェスティ教授を無視するように俺らに声を掛ける。メイバル男爵は比較的顔色は良いものの、やはり目元などには疲労の色が見て取れた。


 それもそうだろう。竜災を乗り越えても、街に張り巡らされた蜘蛛の糸の処理に大量の竜の解体とその素材の処理、更には騎士団による事件の調査などメイバル男爵は大忙しであったはずだ。それこそ、一週間経ってようやくメイブルトンの街は普段の光景を取り戻すことができたのだ。


「確か既にお二人とは顔見知りだとか…。オルドダナ学院の学生と講師ですから、当たり前なのですかね」


「ええ、助手の彼女とは共に旅をした仲ですし…、マルフェスティ教授は実を言うと祭祀場で初めて会ったのですが、その際に挨拶させて頂きました」


 なぜメイバル男爵邸にマルフェスティ教授とルミエがいるのかと言うと、彼女達二人はメイバル男爵邸に宿泊しているからだ。彼女達二人…というよりマルフェスティ教授はこのメイバル男爵邸を間借りして研究に打ち込んでいたというわけだ。


 もちろん、流石にマルフェスティ教授が強引に居座っているわけではなく、あの祭祀場がどういうものだったのかを明らかにするため、メイバル男爵がマルフェスティ教授の研究を後援しているのだ。だからこそ、こうやってマルフェスティ教授を食客としてもてなしているという訳だ。


「あのぉ、タルテさん。例の物は上手く出来上がりましたか?」


「はい…!ご協力ありがとうございますね…!何故だか分りませんが…直ぐに作ってもらえました…!」


 今回、俺らは尽力したお礼としてメイバル男爵に招かれているのだが、ついでに届け物も持ってきている。タルテはルミエの声に応えながらも、荷物の中からその届け物を取り出した。その届け物は布に厳重に包まれているにも関わらず異様な存在感を放っており、それを目にしたメイバル男爵が深く頭を下げた。


 そして頭を上げたメイバル男爵がその届け物に手を伸ばし布を取り払うと、中からは異様な文様の刻まれた王種の頭蓋骨の一部が姿を現した。そして同時に布によって押さえ込まれていた魔力が開放され、広く広く街を越えて森に至るほどの広範囲に染み渡るように行き渡った。


「ふふふ。どうやら私の研究が存分に役立ったようだね。中々の代物のようじゃないか」


「…マルフェスティ教授の設計は古い様式過ぎるということで、大幅に改編されておりますわ。…ここまでに仕上げてくれたのはルミエとタルテのお陰でしょうね」


 得意気に嘯くマルフェスティ教授に対して、メルルが低い声でぼそりと呟いた。俺らが届けた届け物とは、これまでメイブルトンの街を守ってきていた獣の面の代わりとなる祭具だ。獣の面が王種に吸収されてしまったため、新たにわざわざ作り直したのだ。


 この新たな祭具を作るため、祭祀場に刻まれた碑文を読み解いたマルフェスティ教授が獣の面と同じ役割を担うように仕様書を書き上げ、ルミエが王都の竜讃教会に口利きのための手紙を書き、タルテが直接素材を持ち込んで頼み込んだのだが、確かに途中から仕様書は無視されていた。


 メルルが言ったように、タルテが竜讃教会を訪ねると多くの教徒が崇めるように彼女に拝礼しはじめ、更には祭具の作成を作って欲しいという旨を話すと半ば狂乱しながら総力を持って作成し始めたのだ。仕様自体は守られているものの、マルフェスティ教授が描いた設計とは完全に別物だ。


「なんだか…薄っすらとだけど妙な気配を感じるよね。これが魔物にとっては居心地が悪いのかな?」


「そうですね…。竜の縄張りだと周囲に示すようなものなので…強い魔物は近寄りませんよ…!竜に相手をされないような弱い魔物には効果は無いので…そこは注意です…!」


「皆様、本当にありがとうございます。…これで、本当の意味でメイブルトンは昔の姿を取り戻すことができます」


 作成された祭具は、言ってしまえば強力な魔物避けだ。本来の獣の面は他にも竜讃に関する様々な意味合いが込められていたそうだが、実際に呪いとして機能していたのは魔物避けの効能だけだということで、新しい祭具はその能力に重点を置いたものとなっている。


 ここに来る前に狩人ギルドに確認したが、既に飛竜ワイバーンとの大規模な戦闘で森からは多くの魔物が逃げ出している。その状態でこの祭具を用いることで静かなメイブルトンの森を維持することができるというわけだ。


 再びメイバル男爵は深々と頭を下げると、まるで家宝を扱うような慎重な動作でその祭具を祭壇に仕舞い込んだ。


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