第607話 好奇心は学問の始まり

◇好奇心は学問の始まり◇


「ああ!待って待ってくれ!それを踏まないでくれ!君が生まれる前から存在していた貴重な資料なんだぞ!?」


 解体師が意気揚々と作業する中に、マルフェスティ教授も埋まった壁画を発掘するために加わっている。さも同業ですと言いたげな雰囲気で当然のように指示を出すものだから、解体師も思わず素直に従ってしまっている。


 そして彼らが端から竜素材を剥ぎ取り、それを山のように積み上げていく横では、それ以上のスペースを取ってマルフェスティ教授が砕けた壁画や碑文をまるで警察官の押収物の撮影のように地面に並べている。


「ふぇぇ…。随分沢山出てきますね…。そ…その…割れちゃったのは土魔法でくっつけましょうか…?」


「なに、それには及ばないよ。専用の接着剤を持ってきているんだ。貴重な虫魔物の粘液を利用した特殊な代物なんだが、つい最近その粘液が王都近辺で出回ってて比較的安価で手に入れられたんだ」


 ずらりと並べられた壁画や碑文の破片をタルテが物珍しそうに眺める。そして砕いてしまった罪悪感か復元を申し出た。彼女のことだから、決して証拠隠滅のために直すと言い出した訳ではないだろう。しかし、それを断ってマルフェスティ教授はルミエに目線で合図をする。すると彼女は嫌な顔を浮かべながら荷物の中から液体の入ったビンを取り出した。


 ルミエが嫌な顔を浮かべるのも頷ける。ビンの蓋が開けられると、得も言われぬ独特な臭気が辺りに漂った。五感の敏感なタルテは勿論、同じく五感の敏感な竜人族のルミエも上半身を仰け反らせるようにしながら退避した。


「うう…ハルトさん…」


「分ったって。臭いを飛ばして欲しいんだろ?」


 涙目になったタルテが俺を盾にするように隠れた後、何かを懇願するように服を引っ張ってきた。俺も嗅いでいたい臭いではないので、早々に風を吹かせて臭いを上空に飛ばす。タルテとのやり取りを見て、俺の周囲が安全圏だと理解したのか、ルミエもタックルをするような勢いで飛び込んでくる。


「まったく…。ルミエはこの臭いに慣れないと考古学者にはなれないぞ?なぁに、地下墓にでも潜れば、その内これも芳しいアロマに思えるようになるさ」


「わ、私は別に考古学専攻じゃないですよぉ…。今日だってマルフェスティ教授が無理に連れてきたんじゃないですかぁ。もぉ、商学は補講決定です…」


「臭いに近づくのが嫌なら、せめて竜の下から砕けた資料を回収してきてくれないか?ほら、報酬ははずむからさ」


 薬液に筆を突っ込んで掻き回しているマルフェスティ教授は平気な顔でルミエにそう言葉を投げかけた。そしてそのまま彼女はパズルのように割れて分割された壁画を手馴れた動作でくっつけてゆく。賃金に目が眩んだのか、ルミエは俺の影からトボトボと抜け出ると解体現場に向かっていった。


 二人が同時並行に作業することに慣れたからか、解体師も合間合間で露出した足元から壁画の類を搬出しながら作業してくれており、ルミエは彼らにお礼を言いながら傍らに避けられたそれらを回収してゆく。


 そんな光景を眺めていると、少しばかり離れた所にいたメルルとナナがこちらに歩み寄ってくるのが見えた。メルルの傍らには手紙鳥レターバードが飛び回っていたが、粘液の臭気が届いたのだろう、珍しくタルテに挨拶することなく飛立っていった。


「ハルト様。…ゴルムから報告が届きましたわ。残念かどうかは分りませんが、今回の件はヴィロートは関係していないようですわね。アントルドンの言うことを信じるのであれば…彼とは本当にメイブルトンでたまたま出会ったと…」


「何しに来てたんだろうね。まぁ、こうなったらあとは騎士団に任せてもいいんじゃないかな。メルルのお母さんもこれ以上は言ってこないでしょ?」


 報告書が届いたのだろう、俺の近くに歩み寄った彼女らは今回の事件の取調べの結果を伝えてくれた。未だに全ての全貌が明らかになったわけではないが、俺としても今回の件は石舞台の上でアントルドンが語ったことが全てであり、これ以上の収穫があるとは思っていない。


 普段はこういう話をするときは多少の防音を施すのだが、今はマルフェスティ教授の使う接着剤の臭いを除去するために風を吹かせているため、風壁を施すことができなかった。だからこそメルルの放った言葉が届いてしまい、その言葉に含まれていた名前にマルフェスティ教授が反応した。


「ヴィロートと言ったかい?そうか…彼もここに来ていたとなると…。…おのれ…この祭祀場を独り占めしていたな。私の秘蔵の資料を見たのに、自分は資料を抱え込むとは…。助け合いの精神を知らんのか」


 目線は壁画の破片から逸らすことなく、マルフェスティ教授はそう呟いた。まさか彼女からそんな台詞が飛び出すとは思っていなかったようで、メルルは驚いたように軽く眉を跳ねさせた。


「失礼ですけれども…そのことは騎士団にお話になりましたか?オルドダナ学院で教授をしているのならば、彼が指名手配になっていることはご存知でしょう?」


「無茶なことを言わないでくれよ。そんなことを騎士団に言おうものなら、研究の時間が潰されてしまうじゃないか」


 マルフェスティ教授はそれこそ常識が無いのではないかと言いたげな視線をメルルに向ける。あまりに身勝手な理由に思わずメルルの微笑がピキリと固まった。メルルは何か言い返したそうにしていたが、この類の人間には言い返すのも無駄だと気付いたのだろう。最終的には諦めたように深い溜息を吐き出した。


「それで…、何故マルフェスティ教授の所にヴィロートが来たのでしょうか?」


「何故って、それは私の持っている資料を見るためだよ。彼は…私の同業と言えるほどではないが、中々に造詣が深くてね。…まぁ、確か騎士団が言うにはあの亡国の残党と繋がってたんだろう?それならば納得できなくはないな」


 なにやら意味深なことを語ったマルフェスティ教授に俺らの視線が集中する。その視線が具体的な説明を求める視線だと気が付いたのか、マルフェスティ教授はボリボリと頭を掻くと、後で説明してやると呟きながら手を軽く振るった。


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