第603話 老いては子に従え
◇老いては子に従え◇
「最っ低ですわね。それでは百年の恋も冷めることでしょう」
ただ一言、メルルがそう呟いた。どこか棘の有るその言葉は、まったく関係のない俺にもなぜか身を竦ませさせるほどに尖っていた。レポロさんもその言葉に身を刺されたのか、怯えるように後ずさりした。女性陣の視線は冷え切っており、どこか能天気なタルテさえもじっとりとした視線で未だに詰られているメイバル男爵を見つめている。
ベルも余りに情けない父親の醜態を聞いて、呆れることでかえって混乱が収まったらしい。思春期に入った娘の如く視線は冷え切っていた。既に娘さんにこうも嫌われてしまうと、例の後継にベルを据えるという思惑も難しいのではないのかと感じてしまう。
「…疲れたし、帰ろうか?ハルトも早く休みたいでしょ?」
「あ、ああ…。そうだな」
「街も大丈夫そうですし…これで今回の事件は解決ですね…!」
「アントルドンは王都の騎士団が尋問に携わるでしょうから、少しばかり情報を貰える様に手配しておきますわ。これで芋蔓式にヴィロートが捕まればよいのでしょうが…残念ながら今回の一件とはあまり関わってはなさそうですわね」
女性陣は途端に興味をなくし、さっさとその場を去ろうとする。それを見てレポロさんは俺に助けるような視線を向けるが、俺は勢い良く首を横に振るう。我がパーティーは女性のほうが権力が強いのだ。こっちに飛び火して俺まで火炙りにあうようなことになってはたまらない。
「そ、そ、そのですね。できればメイバル様がベルお嬢様を取り返すために尽力され、自ら戦地に立ったことなどセイレンに語って頂きたいなと…」
「…私の記憶が間違っていなければ、確かこちらの指示を聞かずにアントルドンの前に飛び出して言ったように思えますわね。もしかしてそれもお酒のせいなのかしら?酔っていたせいで我慢ができなかったと…」
女性陣を引き止めるため、レポロさんは必死に懇願する。彼としては俺らに二人の諍いを諌めて欲しかったようだが、残念ながら例え協力を得られたとしても火に油を注ぐ結果となるだろう。祭祀場での身勝手な行動を咎められて、レポロさんは反論できずにいる。
そしてレポロさんは今も責められているメイバル男爵に勢い良く振り返ると、大げさな動作で頭上で手を交差させてみせた。否定の意味合いが込められたそのジェスチャーが視界に入ったのか、メイバル男爵は絶望したように口を開いて俺らのことを見つめている。しかし、その視線と交差するのは女性陣の冷ややかな視線だ。俺も彼の味方になれないため、つい視線を逸らしてしまう。そして話している最中に余所見をしたからか、メイバル男爵はベルの母親に頬を叩かれた。
「い、一応聞いておきますが…あれは痴情のもつれで?」
「…ナイデラ様はベルお嬢様に父親であることを告げることも、必要以上に接近することもセイランによって禁止されていたのです…。ですが、それを破って告げてしまい…」
罪悪感からか俺はレポロさんに現在の修羅場の理由を尋ねた。てっきりベルを危険に巻き込んだことを責められているのかと思ったが、どうやら別の問題で詰られているらしい。
「だ、だからあの時…男爵様を必死に止めたんですね…」
「メイバル様は今も当時のことを嘆いておりまして…、これを機にと言いますと言葉が悪いかもしれませんが…、三人で家族になろうと…」
ベルが納得したように軽く頷いてみせた。地下道から戻るときにベルに打ち明けたのか、あるいは彼女を母親の元に届けて家族三人が揃ったときに気持ちが高じて話さずには居られなかったのか…。少なくともベルを心配する姿は父親のそれにも思えたため、少々居た堪れなくなってしまう。
「ベル。貴方はどうしたいのですか?殴るのならば今のうちですわよ?」
「な、殴るって男爵様をですか!?」
「大丈夫です…!私が責任もって治します…!」
冷ややかな視線を向けていた女性陣も流石にこの状況に嫌気が差したのか、ベルの気持ちを確認するように訪ねかけた。恐らく、ベルに父親の存在を伏せていたのは単に二人の関係が拗れただけでなく、隠し子だと他に知られたくなかったのだろう。現に今回の事件はメイバル男爵位を狙ったものであり、その後継に彼女が据えられていればその標的になってもおかしくはない。
だが、同時に今回の件で膿を吐き出せれば、障害となるものも無くなる訳だ。そして、まだ独り立ちを始めたばかりではあるが、親元を離れつつある彼女にも選択の権利があるはずなのだ。
「私は…その、まだ飲み込めてなくて。男爵様がお父さんだったこともそうですが…いきなり貴族になるというのも…」
「まぁ、貴方が一番苦労するのはそのあたりでしょうね。男爵令嬢であってもそれなりの礼儀などは求められますから…」
メルルに促されるようにして、ベルは自身の思いを整理する。そして吹っ切れては居ないようだが静々と内心を吐露し始めた。
「私…この街が好きなんです。だから私がこの領地を助けることができるならそれは正直嬉しいです。…ただ…狩人としての自分も大切にしたいんです」
その言葉を聞いてメルルとナナは顔を見合わせた。そういえばはっきりと告げたことは無かったなと軽く笑いあった。
「あら、それならば問題ありませんわ。貴族と狩人を両立している者がここに居ますもの。むしろ魔法の強さは貴族としても箔がつきますから、狩人として極めていくのもいいでしょう」
今度はメルルの言葉にベルが驚いたように目を瞬かせた。彼女は慌ててこれまでの態度を詫びるように頭を下げようとするが、それをメルルが構わないと静止させる。ベルはメルルが貴族であったことに驚きはしたものの、直ぐに視線は尊敬するような眼差しに変わる。そもそも彼女にとってメルルは闇魔法の先生なのだ。その先生が実は貴族子女であり、自身も同じ立場になることに少しばかりの憧れが芽吹いたようだ。
「と、とりあえず三人で話し合ってみます!私も…お父さんとはもう少しお話してみたいので!」
「だったらさっさと行ってこの馬鹿みたいな騒動を静めて来なさい。…ちゃんと自分の意見を突きつけるの忘れては駄目ですわよ」
ベルはそう告げると夫婦喧嘩をする二人の下に飛び込んでいった。王種を倒した以上に疲労感を増した俺らは、その疲労を吐き出すように深い溜息を吐き出すとさっさと休みを取るべく宿に向かった。ギルド長も磔になっているため、報告は明日で構わないだろう。事態の解決が望めそうになったからか、レポロさんが神に祈るかのようにメルルを崇めていた。
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