第598話 高き山から落ちるように

◇高き山から落ちるように◇


「オォォォオオオォォォォオオオオ!!」


 片翼を切り飛ばされた王種は咆哮を上げながら大地に向かって落下してゆく。その姿には空を泳ぐように舞っていた先ほどの面影は無く、なぜ飛べないのかと不思議がっているようにも見えた。飛竜ワイバーンは鳥とは違い翼が生む揚力だけで飛行するわけではないが、風を操る力の根幹は翼に備わっている。だからこそ、翼を大きく傷付けられたことで風魔法が上手く使えないでいるのだ。


 先ほどは白い飛行機雲の筋を作り出していた翼は、今度は血の筋を宙に残す。残った翼でなんとか風を掴み取ろうとしているようだが、落下速度を多少緩めているだけで落下が止まることは無い。そしてその翼によって掌握されていた王種の風域が開放され、大地からの上昇気流に流されるようにして散り散りに霧散していく。


「ハルト!タルテちゃんが行くよ!確り受け止めてね!」


 俺も王種の後を追うように落下を開始すると、地上からナナの声が届く。空に来るとはどういうことだと声のしたほうに視線を這わせると、タルテが自身の足元から石柱を勢い良く突出させ、まるでカタパルトのように自分自身を射出するのが目に映った。


 彼女ではなければ大怪我を負ってしまうような加速度で射出されたものの、彼女の高度はまだ低い。だがタルテは最高高度に至った瞬間に竜鎧に備わった翼を広げて見せた。そして、それに合わせるようにナナが地上の炎を束ね更に極端な上昇気流を発生さした。


「わ…わわ…!流石に制御できません…!」


「そのまま翼を広げて重心を安定させてくれ!」


 竜鎧の翼は鳥のように羽ばたくことができないため、彼女にできるのは滑空程度の飛行だ。しかし、強烈な上昇気流を浴びたことで、先ほどの俺のように一気に天空に向けて舞い上がった。俺は慌てて地表に向けて加速し、落下する王種と並ぶような位置で舞い上がったタルテを捕獲した。


「えへへ…ありがとうございます…!」


「ちょっと無茶が過ぎるんじゃないか?空にまできてどうするつもりなんだ?」


 このまま王種とのんびり落下しようかと思っていたのだが、予想していなかった援軍の到着に俺は尋ねずにはいられなかった。タルテは抱きついた俺の腹から顔を持ち上げると、やる気に満ちた顔を浮かべた。


「この位置…この瞬間なら確実に仕留められる技が使えます…!ハルトさん…!私をあの竜に向かって投げてください…!」


 翼を捥がれた王種はなす術もなく地上に落下して行っているが、まだ死んだわけではない。流石にこの高さから落下すればかなりのダメージを期待はできるが、それだけではなく確実に仕留めるためにタルテはここまでやって来たらしい。


 何をするつもりかは気になったが、落下中では詳しく話を聞いている暇は無い。俺はそのまま風を操作してタルテを落下する王種に向かって吹き飛ばした。


「ガァァアアアアアアア!」


「グラァァアアアアアアアアアア!」


 タルテはそのまま王種の首下に取り付くように飛びついた。余りにサイズが違うが、まるで取っ組み合いのような状況になり、王種と竜鎧が威嚇するように互いに大きく吼えあった。タルテはその強靭な握力で王種の背中の棘を掴むと、もう片手を天高く掲げて見せた。


「隣人を助くるこの手は血に濡れている…!…哀れな者に右手を差し出せダー・デクストラム・ミセロー…!」


 竜巻が霧散した空間には俺と王種以外にも、沢山の巻き上がった瓦礫が落下している。それは竜巻の円周部に集中していたため、俺や王種の周りには少ししか存在していなかったが、タルテは土魔法にてそれを集めてみせたのだ。


 瓦礫の破片がタルテの右腕に集まり始め、瞬く間に巨大な龍の腕を形成する。そして彼女はその巨大な腕で王種の首をギチリと掴む。だが抵抗するように王種は首を曲げて背中を振り返り、取り付いているタルテを引き剥がそうと彼女の竜鎧の翼に噛み付き勢い良く引っ張ってみせた。


「その程度じゃ…負けませんよ…!力不足です…!さぁ…!一緒に落ちましょう…!」


 だが、王種がいくら暴れようともタルテはピクリとも動かない。それどころか岩の竜腕に更なる力を込め、王種の首を強引に引き剥がしてみせた。


 魔法の力を借りているとはいえ、矮小な存在に力比べで負けたことに王種は目を見開いた。それどころかタルテは更に握る力を増していき、竜鎧も得意気にグルグルと喉か何かを鳴らしている。ここにきてタルテの纏う龍の気配に恐れを抱いたのか王種はか細い鳴き声を上げる。


 そして時間にして数秒にも満たなかったタルテと王種の空中戦は終わりを告げる。地面が目前に迫り、タルテはそれに合わせるように王種の脊髄を握りつぶすかのように更なる力を込め、顔面を地面に差し出すように押し込んだ。


 脊髄を締め上げられ、その痛みに王種は体を仰け反らせるような反射動作をとる。その反応は生物に備わった生理的な反射で有るが故に意識的に抗うことができない。そしてそれは同時に落下に備えて受身の体勢をとることを封じられたということである。


 竜種に受身の知識があれば、無傷で着地できたかもしれない。知識が無くても衝撃に備え首を丸めるなど本能的な行動を取れば致命傷は免れたかもしれない。だがそれを生理的な反応で封じられた王種は、地面に向かって頭部から落下した。


轟音が周囲に響き土煙が巻き上がるが、その土煙もナナの炎が即座に上空へ向けて吹き飛ばした。


「ア…アァ…ア…ァァ…」


 まだかすかに息があるのか、あるいは肺に残った空気が勝手に声帯を震わせているのかは解らないが、王種がかすかに声を上げる。だが、落下してもなおタルテは王種の首を掴み、燃える地面に押し付けるように押さえつけている。火力は落ちて来たとはいえ、それでも揺れる炎が王種の身を焦がしている。


「ハルト様!そのまま王種に向かってくださいまし!血の刃を作りますわ!」


 そしてタルテに遅れるように俺が地表に近づくと、今度はメルルの声が俺に届く。そして声がかかると同時に俺の背中に生えた血の翼は形を変え、剣を延長するかのように血の刃を形成する。その血の刃はランスのような形状であり、その刺突に優れた血の刃を見て俺はメルルが何を考えているのかが直ぐに解った。


 俺は血の刃を下方に向けて構え、そのまま更に落下速度を増す。そしてタルテが固定してくれている王種の頭に狙いを済ませ、勢い良く血の刃を突き立ててみせた。


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