第597話 牙をむいた風

◇牙をむいた風◇


「ハルト!吹いたよ!新しい風が!」


 風域を押し出すように流れ込んできた風が、ナナの嬉しそうな声を運ぶ。見れば彼女は炎の狭間で踊るように手を広げ、その新しい風に身を揺らしている。


 単純な話ではあるが、炎があると空気が暖められ上昇気流が発生する。だが上昇気流が発生するということは、その周囲の地表では上昇した気流の分、流入する気流も生み出されるのだ。王種が産み出した大量の風は、自身の血を媒介としたことでその存在を現実の風と変わらないものとしているため、逆に言ってしまえば物理的な影響を受け易いということでもある。


 だからこそ、ナナが大量の炎を生み出したことでその風域は上空へと押し上げられ、地表からは奴の支配力が及ばない新しい空気がどんどんと流入してきているのだ。


「メルル!悪いが翼をくれ!ちょっと空まで行ってくる!」


「なけなしの最後の血液ですわ!大事に使ってくださいまし!」


 そして俺もじっとしている訳にはいかない。俺がメルルに声を掛けると、彼女は自身の血を溜め込んだ小瓶の蓋を開け、更には自身の手首を裂いてから零れる血液を俺に向かって振り掛けた。王都までの空を飛んだときのように、その血液は俺の背中に集まり血の翼を形成する。流石に全身を覆うほどの血液量は用意できないようだが、それでも今は翼があれば十分だ。


 俺はそのまま新しく流入した風を掴み、身を躍らせるようにしてナナとタルテの産み出した上昇気流に乗っかった。


 メルルの施した翼はいつも以上に風を掴み、天へと昇る気流は瞬く間に俺を空へと攫ってゆく。そして急接近する俺の存在に気付いたのか、王種は日輪の中に影を作り、俺を向かい討つべく高らかに吼えた。


「追いついたぞこの野郎!空はお前のもんじゃないって教えてやるよ!」


 既に上昇気流は奴の支配する風ではなく、周囲から流入した新しい風に塗り変わっている。俺はその風を奴の支配力に負けぬよう隅から隅まで自身の魔力を行き渡らせる。幸いにして、未だ王種の背後には奴の支配する風が渦巻いている。近場に自分の力が届きやすい風が存在しているため、そちらに魔力を吸われ流入する新しい風には奴の魔力は殆ど届いていない。


 戦闘機の戦いはドッグファイトと表現されるように後方の取り合いになることが多いが、それは戦闘機の射角が前方に限られているからであり、空を舞う魔物や俺には余り関係が無い。むしろ、魔物との空中戦において重要なのはどちらが高所にいるかということだ。


 上にいれば下方にいる敵に向かって加速する際には重力の恩恵を受けることができるが、逆の場合、重力に逆らって進むこととなる。だからこそ、今の俺と王種は下から向かっている俺のほうが不利だと言えるのだが、それでも地表からナナが押し上げてくれる大量の上昇気流が俺の味方になってくれている。


「そっちは向かい風で俺は追い風。重力なんて大したもんじゃない…」


 多量の風を味方につけ、それで周囲を囲んでいる俺のことを、王種は矮小な人間だとは思わないだろう。それこそ、風を感じ取ることができる風紋飛竜ウルブルス・ワイバーンだからこそ、俺のことが巨大な何かに感じているはずだ。


 王種はその巨大な翼を天上に広げてみせる。太陽を背にしたその姿はどこか神々しさもあり、翼膜に描かれた風紋がその存在を示すかのようにはっきりと浮かび上がった。


「ォォォォオオオオオオオオオオ!!」


 地鳴りのような、あるいは世界終末の音アポカリプティックサウンドのような王種の方向が響く。その声に乗せた魔力で俺の風を少しでも引き剥がそうとしているのだろうが既に遅い。俺の感覚を乗せた風は俺の一部であり、それを奪うには余りにも時間が足りない。


 そして、王種は天空から俺に目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。翼に備わった翼爪で風を斬りながら突き進み、それが極端な気圧の変化を生みうっすらと飛行機雲を形成する。白い尾を引いた王種と俺は正面衝突するかという勢いで交わることとなった。


 だが、俺と接触する直前に王種は蹲るようにその頭を逸らした。一瞬、ビビッて体を逸らしたのかとも思ったが、直ぐに違うことに気付かされる。王種はそのまま前方宙返りをするように体を縦に回転させ、しなる尾にて俺を地上に叩き落すために頭を逸らしたのだ。


「…剣の舞。風廻し…」


 垂直に落下する速度と急激な体の回転を乗せた尾の速度は尋常なものではない。だが凶悪な棘の並んだ丸太のような尾は、破壊力はあるだろうが風を捉えるには鋭さが足りない。俺は剣と共に周囲の風を回転させ、その尾の軌道から自身を逸らすように舞ってみせる。


 俺はまるで宙に舞う一葉のように、尾が巻き起こした風に乗ってぬるりと王種の懐に入り込む。それはそれこそ風のように自然な移動であり、しかして人がするにはあまりに異様な身のこなしだ。王種は虚を突かれてその金眼を見開くが、既に俺の手元には魔法が構築されているため避ける暇を与えない。


「天に在りては願わくは比翼ひよくの鳥と作らん、地に在りては連理れんりの枝と為らん。二の太刀、大通連ダイトウレン


 俺の手元の剣に上昇気流の風が集まり、巨大な刀を形成する。それは極端に圧縮、固定化された風の刃であり、俺の支配力によって鉄にも勝る強度で固まっている。風のように軽い刃は叩ききるのには向いていないが、その速度は奴の尾やそこいらの剣士の剣速を簡単に上回る。更には刃の背から圧縮した空気を吐き出すことで、その刃は目にも留まらぬ速度で切り払われた。


 太陽を背にした王種は、その自慢の風紋が浮かび上がった翼を風に斬り飛ばされることとなる。まるで翼を焼かれた英雄のように、真っ逆さまに地上へ向けて落下していった。


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