第596話 炎を産むもの。産まれるもの

◇炎を産むもの。産まれるもの◇


「それで…どう致しますの?このまま逃げ惑って竜が失血死するのを待つ…というのは少々安易な考えですわよね」


 俺と同じように土埃を払いながら、メルルがそう言葉をかけた。安全策を取るならば、彼女の言った失血死待ちというのも無くは無い作戦ではあるが、王種に刻めた傷は確実に失血死するほどの傷とは断言できない。それこそ竜種の回復力なら傷が塞がってしまう可能性も大いにある。


 なにより、向こうは機動力に優れた風紋飛竜ウルブルス・ワイバーンだ。たとえ俺らが逃げ出しても、それを風で感知し直ぐにでも追いすがって来ることだろう。来たときに通った地下道に避難することもできるが、そうなれば奴の向かう先はメイブルトンの街だ。つまりどうやったって俺らはここで王種と決着をつける必要があるのだ。


「向こうは空の上で、この風じゃこっちの攻撃はまともに届かない。…風を止めるにしても支配力が強すぎると…」


「私が水に血を混ぜるのと似てますわね。あれをすると支配力も上がって魔法を構築しやすいのですわ」


「俺も血を風に混ぜてみるか?多分、失血死すると思うが…」


 一瞬、タルテに光魔法をかけて貰い増血しながら出血するという邪法が脳裏を過ぎったが、流石に肉体を用いた自転車操業など自分で試したくは無い。多分、体力は消費するはずだからどこかで破綻するはずだ…。


「やっぱり、空に攻撃を届かせるならハルトの風が必要だよね…」


「この渦巻いてる風の外なら俺の風魔法で操れるとは思うが…。多分…この竜巻、あの竜を追従して動くんじゃないか?」


 竜を中心にこの風域が展開されているため、竜が追ってくればその領域も追従して迫ってくることだろう。俺と三人で別々の方向に逃げるという手段もあるが、あの頭の回る竜が俺が領域外に出ることを見逃すとは思えない。


「皆さん…!次のブレスが来ますよ…!早めに逃げましょう…!」


「見ろ、このしつこさだ。向こうはこの風の領域で仕留めるつもりみたいだな」


 相談する俺らに周囲で飛来する瓦礫を砕いていたタルテの声がかかる。上空を飛ぶ王種は再びブレスを放ちながら戦場を横断し、俺らをその破壊的な暴風で飲み込もうとしているのだ。


 俺らはそのブレスの軌道から外れるように、息を荒げながら石舞台の上を駆け抜ける。今回は早めに動きを察知することができたため、余裕を持ってブレスを避けることができたが、それでも満足に息を整えることもできない。


「ううう…ずる賢い竜ですね…!高いところから一方的に…!」


 空を悠々と飛ぶ王種に向かってタルテが悪態をつく。彼女の竜鎧も変形すれば翼を出せるが、残念ながら飛行能力は備わっていない。できて滑空程度なので、彼女はその翼を盾代わりに使っているだけなのだ。


 メルルの血の鎧も同様で、メイブルトンから王都まで飛んだように飛行自体は可能なのだが、それは俺の風魔法があってこその話だ。周囲の風を王種が独占している状況では、舞い上がってしまうことは合っても飛行することはできないだろう。


「ねぇ、ハルト。外の風があれば問題ないんだよね?」


「そりゃそうだが…何か考えがあるのか?」


「もう。ハルトが教えてくれたことだよ?確か…炎は周囲の風を巻き込むんだよね?」


 頭を悩ましていると、ナナが何かを思いついたかのように俺に向かって声を掛ける。そして彼女は自身の考えを示すかのように手の平に炎を灯してみせた。その小さな火球は魔力によって産み出された幻の炎ではあるが、実物の炎と変わらず天に昇るように炎の舌を揺らめかせている。


 その炎を見て、俺ははっと目を見開いた。それこそ、その話は彼女に火というものを教えるために俺が話したことでもある。そしてそれならば十分に現状を変えることができるため、俺は彼女に同意するようにゆっくりと頷いた。


「だが、どうするんだ?火魔法を使うにしても限界はあるだろう?」


「そうだね。…できれば燃えるものがあったほうが有難かったんだけれども…」


 火魔法は王種がそうしたように生成魔法が前提の魔法だ。火というものは絶えず生まれて消え行くものなので、燃焼物から引き離すとたちまち沈下してしまう。だからこそ、火魔法使いは周囲の火を操るのではなく、火という現象そのものを顕現するのだが、それでも大規模な魔法となると燃焼物を用意しるのが定石だ。


 しかし、この石ばかりの舞台は燃えるものなど何も無い。この状況を打破するほどの火魔法を行使するには些か環境が悪い。


「わ…私が協力します…!石だって…高ぶれば燃えるんです…!」


「では、私が守りに回りますわ。ハルト様も手伝ってくださいまし」

 どうするべきかと悩むナナにタルテが声を掛けた。彼女達は二言三言打ち合わせをすると、即座に魔法を行使するべく風の中で魔力を高めてゆく。俺とメルルは手分けをして、魔法を行使する彼女を守るべく飛来物を撃ち落してゆく。


「祈ります。祈ります。荒野で呼ばわる者の声がする。主の道を備えよ、その道筋をただ進めと…。信仰フィデスはその脚に宿り、神秘アルカナは手に潜む…」


 両手の拳を眼前に掲げる祈りの姿勢。煩いほどの風の中、彼女の力強い祈りの姿勢は少しも揺るぐことなく淡々と言葉を紡いでゆく。それこそ、彼女の周りだけが凪になったかのように錯覚するほどだ。


右の頬を殴り飛ばす拳ストレングス…!!石よ…!岩よ…!大地よ…!声にならぬ声を出せ…!」


 轟音と共に足元の地面に向けて彼女の光魔法が宿った拳が打ち込まれる。その衝撃により広範囲に彼女の光魔法が浸透し、宿った魔力は彼女の続く拳により一斉に励起するのを待っている。


おとあかみ、紅蓮ぐれんとりよ。だち背立せだち、かざせ」


 しかし、続くのはタルテの拳ではなくナナの魔法だ。強烈な光魔法を宿した大地はある意味では不安定な状態になっており、それこそ石という存在そのものが揺らいでしまっている。


はねあか紅蓮ぐれんとりよ。空断くうだ世断せだち、かざせ」


 だからこそ、ナナが魔法で火を着けてやれば、それはたちまちその存在を変質されることだろう。本来であれば石は火魔法では影響を与えずらいのだが、タルテが活性化させることでその前提条件を覆したのだ。


「紅蓮の鳥よ、空に舞え!風食み熱産み天へと昇れ!」


 ナナが手を広げると、物体の存在を書き換え炎へと変質させる概念上の鳥が飛立った。紅蓮の鳥は暴風の中を優雅に舞いながら、タルテが活性化した大地を炎へと変えてゆく。たちまちの内に俺らの周囲は火に包まれ、肌が焼けるような熱を感じた。


 だが、熱が産まれるという事は、風も産まれると言う事である。轟々と燃えるその炎は、この風域の中に新たな風を呼び込んだ。


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