第590話 荒ぶる風
◇荒ぶる風◇
「ガァァアアアアアアアアアア!!」
王種は吼えていた。足元では自身の牙によって片腕を捥がれた人間も声を上げているが、竜の自分と比べれば大した声量ではない。第一、今の自分にはそんな矮小な存在の声に構っている暇などない。先ほど食した面から、古い竜の残滓が流れ込んできているからだ。
古い竜はゲイルと名乗った。初めは彼を恐れた人が名付けた名前だが、いつしか彼自身の認める荒ぶる風を表す代名詞となった。今は矮小な祭具にその思念を押し込まれはしたものの、そこに残る思念は強靭で、人の体を借りて王種に語りかけて来たのだ。
ゲイルという名は王種も聞いたことがあった。自分の中にある最も古い記憶、同胞達も今ほど馬鹿な奴らばかりでなかった時代、自身を産んだ母からその話を聞かされていた。曰く、その者はこの山の空を統べる王者であったと、体は強靭でその力は龍にすら匹敵し、一度暴れれば災厄を大地に刻むほどであったと。
その話をする時の母は何かを恐れていた。だが、今思い返せばその理由も王種には理解できる。そして同時に面となったゲイルからも似たような思いが届いたのだ。いや、恐れるよりももっと酷い。ゲイルの意思は嘆いていたのだ。
『情けない…情けない…これが…我が子らの現状か…。知性は乏しく…まるで獣ではないか…』
声は音にはならぬものの、そんな思念があの面から溢れ出し自身に語りかけて来たのだ。その思いは王種の母が恐れていたものと同じなのだろう。年代を重ねるごとに同胞達はみな知性に乏しく力も弱くなっている。今となっては群の中で竜たる誇りを身に宿すのは、それこそ自分だけとなってしまった。
今ですらこの有様なのだ。あと数百年もすれば、それこそ
「ォォォオオオオオオオオオ!!」
体を竜の力と意思が駆け巡り、芯を加熱するかの如き熱を感じ思わず吼えずにはいられない。その声に呼応するように、他の同胞たちも高らかに声を上げていた。
◇
「タルテ!こっちは消毒したわ!直ぐに止血できるかしら!」
「任せてください…!…ヒュージルさんは…気絶しているだけみたいですが…頭に衝撃を受けたので…」
怪我をした二人に駆け寄ったタルテとメルルは手早く処置をしてゆく。見た限り重傷なのは片腕を失ったアントルドンだが、額から血を流すヒュージルも脳にダメージを負っている可能性があるため安心はできない。
タルテならば切断された腕をくっつける事も不可能ではないのだろうが、生憎と千切れた腕は王種の腹の中だ。もう接続は不可能だと判断して、タルテは即座にアントルドンの傷口を塞ぐように治療を施した。
「歩けるか!?こいつは俺が抱えるから…あんたは自分の足で動いてくれ!」
「息子は…息子は…無事なのか!?」
「息はしている!いいから離れるぞ!」
タルテとメルルからヒュージルを受け取ったギルド長は、その場から退避するようにアントルドンに声を掛ける。アントルドンは慌ててまともな思考が働いてはいないようだが、それでもギルド長がヒュージルを抱えてその場から退避すれば、それについていくように駆け出していた。
その間も、俺とナナは睨みつけるように王種と相対していた。王種は明らかに通常の様子とは異なり、まるで進化を遂げるように力強い魔力が奴の体を渦巻いている。…奴の準備が終わる前に仕掛けたいところだが、アントルドンとヒュージルが退避するまでは仕掛けることはできない。俺らは王種が咆哮をするようすを、ただじっと見つめていた。
「…ハルト。何が起きているのか解る?」
「生憎とその知識はない。食らって自分の力に変えることは食の根源だが…、あんな面に栄養があるはずないだろ?」
俺らが見つめる王種は肉体的な変質も起きている。ナナのつけた傷は塞がり、まるで身体が内側から膨れ上がるように活性化しているのだ。ただでさえ他の個体よりも頑丈な竜鱗がささくれ立ち、まるで棘のようにその肉体を飾っている。そして耳を割くような咆哮も、単なる声ではなく周囲の空気に自身の魔力を浸透させる効果があるのだろう。空気が奴の味方をするように渦巻き、この場の天候が変わったように風が吹き荒れる。
アントルドンの腕によってそうなった可能性もあるが、明らかに獣の面の影響だろう。食べたところでカルシウムしか得られなさそうな面ではあったが、竜讃の祭具として何かしらの効能があったのだろうか…。…あの獣の面はかつてこの地を荒らしていた荒ぶる風と評されたゲイルの竜威を借りる為の祭具と聞いている。ならば、その面を食しその身に宿した王種の身に何が起きているかは想像に難くない。
「お待たせいたしましたわ。…なにやら、大きくなっていますわね。成長期なのでしょうか?」
「竜としての位階があがっています…。凄いです…中々に見れない光景ですよ…!」
長い長い王種の咆哮が終わる頃、治療を終えたタルテとメルルが俺とナナに並び立った。そして王種も準備が整ったと示すかのように、右の翼脚を地面を撫でるように振るい、巻き上がっていた砂塵を一気に吹き飛ばした。
金色の目は血走り、抑えきれぬ獣性を感じさせながらも、その目付きはどこか冷徹な知性を感じさせる。そして砂塵を吹き飛ばした後に訪れた一瞬の凪を合図にするかのように、王種は俺ら目掛けてその牙を振るおうと飛び掛ってきた。
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