第589話 僅かに残る強固な意思

◇僅かに残る強固な意思◇


「馬鹿野郎…!叫んで刺激するんじゃねえよ…!!」


 アントルドンの声を聞いて、渋い顔をしながらギルド長が叫ぶ。アントルドンだけならギルド長も見殺しにしたかもしれないが、その近くにヒュージルやロスカーの姿もあることに気が付き、仕方なしと言いたげに自身の弓に手をかけ、一矢、二矢と王種に向かって矢を放つ。


 他の個体と違い頑丈な竜鱗をもつ王種には彼の強弓でもそう簡単に矢が突き立つことはないが、その衝撃で王種の気を引こうと考えたのだろう。しかし幸いにして王種は顔に傷を与えたナナに対して恨み骨髄に徹しているらしい。暴れるのが収まったかと思えば、ドクドクと血を流しながらもこちらを睨みつけてくる。


「あの距離はまずいな。…俺の風壁で声を遮ろうにも…その魔法自体に反応されちまう。…死なない程度にその弓で打ち抜けないのか?」


「馬鹿を言わないでくれ。弓で気絶させるなんて神業は治めてねぇよ。…喉に当てたら流石に死んじまうよな?」


 だが、だからこそアントルドンには静かにしてもらいたい。王種が平静を取り戻した今だからこそ、その耳障りな声が奴の勘気に触れる可能性があるのだ。アントルドンを含む三人がいるのはそれこそ王種が軽く尾を振るうだけで更地になってしまうような場所だ。


 俺らが助けに向かうにしても、王種の注目を引いている俺らが近寄ってしまえば逆効果だ。なんとかして自力で脱出して欲しいところだが、アントルドンは騒ぐだけでその場から逃げ出すそぶりがない。足などに怪我を負っているようには見えないので、恐らくは腰が抜けているのだろう。


「アガァァアアアアアアア!!」


「ほんとっ…!面倒な方々ですわね!せっかくの攻め時ですのに、これでは近づけませんわ」


 ギルド長がそうしたように、タルテの竜鎧も叫び声を上げて王種の注意を引こうとする。本当ならばメルルの言うようにここで追い討ちを仕掛けたいところなのだが、俺らから仕掛ければ自ずとそこが戦場となる。アントルドン達も確実に巻き込まれることとなるだろう。


 だからこそ、俺らと王種は睨み合う様に相対する。互いに向こうの出方を伺うように精神を研ぎ澄ましてゆく。ナナの与えた傷は致命傷とは言えないが、無視できるほどの軽傷でもない。こちらを脅威に感じているのか、王種の風紋飛竜ウルブルス・ワイバーンも慎重に出方を伺っているように見える。


「おい…!落ち着けよ…!叫んでないで…今のうちに逃げるんだよぉ…!」


「待てっ!待ってくれ…一人で逃げようとするんじゃない!私を置いていくな!」


 流石に狩人でなくとも叫べば王種の注意を引いてしまうと気が付いたのだろう。ロスカーがアントルドンをどつくと、匍匐前進をしてその場からひっそりと移動しようとする。活力をベルに吸い取られたロスカーだが、有る程度は回復したようでその匍匐前進は意外にも早い。むしろ腰を抜かしたアントルドンのほうが遅れるようにしてロスカーの後に続くことになっている。


「あの三人が退いたら一斉に仕掛けるぞ。ナナは火で注意を引いてくれ。あれだけの怪我を負わしたんだから向こうはナナに過剰に反応するはずだ」


「それなら頭周辺に目掛けて牽制の魔法を放つから、後はハルトが好きなように使ってね」


 退避する様子を見守りながら俺らは作戦を伝え合う。まだ向こうも気力は十分なのだが、暴れればアントルドン達のように他の狩人にも被害が出る可能性がある。だからこそ一気に仕留めるつもりで攻勢に出るべきだろう。


 …だが、俺らの計画は早々に崩れることとなる。ロスカーとアントルドンの後を着いて行こうとしていたヒュージルが、唐突にその行き先を変更したのだ。


「…!?まずいです…!あのお面に同調しすぎています…!!」


 ヒュージルが足を進めたのは王種の眼前である。なぜそんな行動をという疑問が浮かび上がるが、即座にタルテが原因を教えてくれた。ヒュージルの顔に覆いかぶさった獣の面が怪しく光り、何かを訴えるかのように明滅しているのだ。


 まるで幽鬼の如くフラフラとした足取りで、しかし確実にヒュージルは王種へと近づいてゆく。それに気が付いたアントルドンも声にならない悲鳴を上げながらヒュージルに何をやっているのだと呼びかけた。


 獣の面からも何か声にならぬ声が王種に向かって掛けられていたのだろうか。俺らがその歩みを止める暇も無く、王種はその首をヒュージルの方へと向けた。攻撃的ではなく、王種はどこか誰何するような視線をヒュージルへと向け、その視線に答えるように獣の面が再び明滅する。


 あれが竜讃の祭具であるなら、もしかしたら王種と穏便に交信ができるかもしれない。そんな期待が確かに浮かびはしたが、そんな期待は次の瞬間には容易く打ち砕かれた。


「いけません…!贄になるつもりです…!」


「クソ…ッ!間に合うか!?」


 大人しくヒュージルと向き合っていた王種だが、唐突にその大口を開き襲い掛かったのだ。俺は即座に圧縮した空気弾を放つが、流石に間に合いそうがない。


「何をやっているのだ!ヒュージル!!!」


 だが、俺の魔法よりも早くヒュージルに駆け寄るものがいた。腰を抜かしていたアントルドンが、反射的に立ち上がるとヒュージルを押し倒すように体当たりをしたのだ。それでも王種の顎を完全にかわすには至らなかったのだろう。その鋭い牙はヒュージルの額から面をこそげ落とすように削り、ついでにアントルドンの左腕を根こそぎ口に治めることとなった。


 周囲に獣の面と腕を咀嚼する音と痛みに呻くアントルドンの悲鳴が行き渡る。まさかアントルドンがヒュージルを庇うとは思ってもいなかったが、そんな事を考える前に俺らは王種に向かって駆け出していた。


 ナナは王種の注意を引くように真っ直ぐに奴に向かって進んでいき、タルテとメルルは救出と治療をするべく二人に駆け寄ってゆく。あれほど俺らを警戒していた王種は何処か様子がおかしく、何故か慟哭するように空に向かって吼えていた。


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