第588話 無効属性はボスのそれ

◇無効属性はボスのそれ◇


「みんな離れててね!押し返すよ!」


 こちらに向けて放たれる炎を断ち切るために、ナナが一歩前に出る。業炎と呼ぶにふさわしい炎が阻んでいるものの、向こうから近づいてくれることは彼女にとって好都合だ。王種は最初に攻撃されたように遠距離による火魔法を警戒し、それを封じるためにあえて接近したのだろうが、まさか風魔法の補助がなければ遠くの的にはろくに当てられないとは思うまい。


 火魔法は大半の生物の弱点をつくことができる。たとえ竜であってもそれは同じであり、竜鱗の物理的な熱耐性に加え恒常的な身体強化によりある程度の耐性は獲得してはいるものの、人種も竜種も体を構成するタンパク質は熱によって変質してしまうのだ。


 だからこそ風紋飛竜ウルブルス・ワイバーンも風を得意とする飛竜ワイバーンでありながら、吐炎能力を獲得しているのだろう。飛ぶために知性や強靭さを犠牲にした飛竜ワイバーンを退化という者もいるが、彼らは炎や毒などより効果的な攻撃手段を獲得しているのだ。


「ナナさん…!炎ごと断ち切ってください…!あの竜に目にもの見せるのです…!!」


「ちょっと、タルテ。落ち着きなさい。…何を竜相手にムキになっているのですか…」


 馬鹿にされたことに憤慨しているタルテが拳を上げてナナに声援を送る。どこか子供っぽいところがある彼女ではあるが、挑発されたことで竜を倒すことに躍起になっているようだ。メルルの言うとおり、竜如きにムキになる子供っぽい振る舞いがおかしくて、俺は軽く笑ってしまった。


「むぅ…!ハルトさんも…何で笑うですか…!?」


「いや、ごめんごめん。竜に対抗意識を燃やすタルテが面白くてな…」


「…ハルト様。つい先ほど竜の風魔法に対抗意識を燃やしていた方がいた気がするのですが…」


 今度は俺に笑われたことに気が付いた彼女は、抗議するように頬を膨らます。そしてメルルの言葉は心当たりがないので聞こえなかったことにする。…俺らがこうして余裕を見せているのも、ナナならば迫る業火を何とかしてくれると解っているからだろう。


 炎熱に対して強い耐性を示すのは、それこそマグマの中を住処にするような生命としてのくびきを逸脱しつつある極一部の龍や特異な魔物…そして、火の属性を宿す妖精や精霊だけだ。そして、魔法の極地の一つである精霊化を身に着けたナナにとっては炎の類が通用しないのだ。


「お、おい!?何やってんだ!!お前もなぜ止めない!!」


「まぁ見ていてくださいまし。あの子ならば平気ですわ」


 ギルド長は他の飛竜ワイバーンの吐炎でそうしていたように剣で炎を吸収すると思っていたのだろう。炎をその身に受けたナナとそれを静観する俺らに溜まらず叫び声をあげる。メルルが問題ないと言うが、信じられずに心配そうに炎の中に佇むナナの影を凝視している。


「あ…ああ…見ろ…言わんこっちゃない…」


 そしてナナが体を炎に変えたのだろう。炎の中に佇んでいた影は朱色の中に解けるように消えてゆく。それを焼け落ちたと勘違いしたギルド長は悲壮感に満ちた声を漏らした。あまり心配させるのも本意ではないが、彼女が精霊化できると言って信じてくれるだろうか…。


 炎へと変質するそれは、健常者から見ればどこか偏執的で病的な所業に思えるだろう。ましてや、彼女は竜の炎にすら何の抵抗もなくその身を晒している。傍から見れば正気の沙汰ではない。たとえ精霊化ができることを信じても、彼の心配を払拭できるとは限らない。


「愛しさも憎しみも、この身すら炎で溶ければいい。辿りつく場所も知らぬまま燃え尽きろバーミリオン


 だからこそ、炎が消えた瞬間にナナが姿を現すとギルド長は驚愕と共に息を飲み込んだ。そして驚愕したのは彼だけではない。ナナに向かって炎を吐き出していた王種も、唐突に目の前に現れたナナの姿にその金色の双眸を見開いている。


 炎を用いた縮地といえば良いのだろうか…。炎に同化した彼女は奴の炎を乗っ取り、その炎の中を瞬間的に移動したのだ。それこそ、王種にとっては吐き出した炎が目の前で人に変わったに等しい状況だ。その混乱は致命的な隙を生み、顕現と同時に剣を振り下ろしたナナの攻撃をまともに受けることとなった。


「ァァアアアアアアアァァアアア!!!」


 炎のように揺らめく彼女の剣は初撃で焦がした王種の顔を、更に焦がすかのように振り落とされる。王種はとっさに身を守ろうと頑丈な角で受け止めようとするが、その角すらも溶断するかのように容易く切り落としてみせた。


 初めて王種が悲鳴のような声を上げ、痛みに耐えかねてか、あるいは付与された異様な熱量のせいか、のた打ち回るように大暴れする。暴れる奴の体を避けるようにナナはバックステップを小まめに刻んで俺らの下に戻ってくる。


「何だよ…今のは…。魔法か?」


「魔法じゃなきゃ何だって言うんだよ。剣術や弓術とでも言うつもりか?…瞬間移動する剣術…は有るには有るが、詐術みたいなもんだしな」


「いやよ…奇跡の類かと…。ほら、そこのお嬢さんは神官だしな…。…神官だよな?」


 ナナの常識的な魔法では考えられない魔法を見て、ギルド長は思わず魔法であることすら疑う言葉を漏らした。どうやらタルテが神官服を着ていたために、ナナも神の権能を借り受けることができる高位の神官と思ったようだ。しかし、その神官服を着ていたタルテも今は竜鎧を纏っているため、ギルド長はタルテが神官であることも確認するように俺に尋ねてきた。どうやら見た目と違って中身は意外と常識人らしい。


「おい!止めろ!こっちに来るんじゃない!…お前ら何やっているのだ!隠れてれば安全なんじゃないのか」


 俺らはナナの健闘を讃えようと声を掛けようとするが、それよりも早くに別人の叫び声が俺らの下に届く。何が起きたのかとそちらに注意を向けてみれば、ナナの攻撃で暴れる王種に隠れていた石壁を壊され、そこから這い出るように出てきたアントルドンの姿があった。


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