第581話 空に咆えれば

◇空に咆えれば◇


「グルゥッガァァアアアアアアアアアアアアア!!」


 タルテ自身の声に重なるようにして、彼女の纏う竜鎧が雄叫びを上げる。音を遮るために普段よりも過剰に風壁を張ったが、それすらを貫通するほどの大音声で響き渡るその声は、まさしく龍の咆哮ドラゴンハウルと表現するべきもので、空気だけでなく石舞台そのものを視覚で分るほどに震わせている。


 たまらず周囲の人間は耳を押さえて蹲る。とっさに風壁を展開したため、ついアントルドン達も風壁の内側に納めてしまったが、もし風壁の外に居れば鼓膜が無事ではなかったはずだ。暴力的な雄叫びは周囲の森にも伝播し、一斉に野鳥の類が飛立ってゆく。そして風よりも早く駆け巡り周囲の山々にもこだました。


「あぐっ…。なにが…竜…龍?…これは…宣戦布告…?」


 そして、タルテの龍の咆哮ドラゴンハウルに最も顕著に反応したのが空を飛ぶ飛竜ワイバーンの群れと、獣の面を付けたヒュージルだ。竜讃の儀式的呪具である獣の面が、龍たるタルテの咆哮に共振するように反応しているのだ。


 一緒にするなとタルテには怒られそうだが、ゲイルという飛竜ワイバーンの竜骨を用いて作成された獣の面はタルテの竜鎧と似通ったところがある。タルテの纏う竜鎧は生きた鎧リビングメイルという特殊な装備ではあるが、決して遥か太古に作られた伝説の鎧などではない。


 生きた鎧リビングメイルはタルテの体の一部を用いて作られた物で、言ってしまえば彼女の半身なのだという。人たる龍である豊穣の一族では、そうやって龍として生まれ持った獣性を武具という形に封じ込み、人としての理性を保ちながら獣性より齎される牙を武具として自在に操るのだ。


「なんで…感情が…流れ込んで…。獣の面が…怒ってる…」


「そのお面も…私のことが気に食わないみたいですね…!暴れるようなら取ったほうがいいですよ…!」


 だからこそ死した竜の骨を用いることでその獣性を再現する獣の面も、タルテの生きた鎧リビングメイルと似通ってはいるのだ。そこにはかつて空を馳せたゲイルの意思の残滓が染み付いており、タルテの龍の咆哮ドラゴンハウルに反応して獣性を暴れさせているのだ。


「ベルちゃん、タック君。今の内に避難して。場所ならレポロさんが知っているから」


「え…でも…それじゃ皆様が…」


「早く行って下さいまし。これからは余り貴方達に構っている暇は無くなりますわ」


 タルテの龍の咆哮ドラゴンハウルが終わったところで、ナナとメルルが即座に動き出す。本当はメイバル男爵に先導してもらいたかったようだが、残念ながら彼はタルテの龍の咆哮ドラゴンハウルに当てられて腰を抜かしてしまっている。


 レポロさんがしがみ付く様にして支えることで何とか立っているその情けない姿に二人は呆れているようだが、それほどにタルテの龍の咆哮ドラゴンハウルは迫力があったため口に出してまで文句は言わない。代わりに冷ややかな視線を向けて、さっさとベルとタックを案内して一緒に避難しろと促した。ここまで至っては秘密の通路だの余り人に知られたくは無いのだの文句は言えないはずだ。


「ベル。早く行こう。メルルさんの言うとおり、僕らじゃ足手まといだし…なにより状況が待ってはくれないよ」


 タックが冷静な声色で逃げることを渋るベルに声を掛けた。彼の言うとおり、タルテの声に呼応するように、飛竜ワイバーンの群れが進行方向を変えてこちらに飛来し始める。あの雄叫びにどのような意味があったのかは分らないが、喧嘩を売ったことは間違いないようだ。


 亜竜如きが龍であるタルテの喧嘩を買うのは不遜であろうとも思えるが、やはりあの飛竜ワイバーンには脅威を把握する知性が無いのだろう。


「えっと…あの人達は…。ここは危なくなるんだよね」


「それは…彼らが決めることだよ。ほら、早く。…レポロさん。どっちに行けばいいですか?」


 ベルは未だに面に苦しめられているヒュージルに視線を投げかけるが、それよりも自分の心配をしろとタックが仄めかす。彼はレポロさんと対になるようにメイバル男爵の肩に手を回すと、さっさと避難しようと皆を促した。


 そしてその場に残されることとなったアントルドン達には初めて焦りが色濃く浮き上がった。アントルドンは迫る空の飛竜ワイバーンと自分の周囲を交互に見つめては、どうするべきかと悩んでいるのか親指の爪を噛み始める。


「おい!ロスカー!あの飛竜ワイバーンどもは散らせないのか!?」


「無茶を言うなよ。祈祷は魔法じゃねぇんだぞ?…第一、ヒュージルがあの様子でどうするつもりだ」


 ロスカーは未だに立ち上がれるほど回復はしていないし、ヒュージルに至っては獣の面の呪力が逆流したのか地に膝を着いて呆けている。ヒュージルの口は力なくぽっかりと開かれており、面のせいで表情は見えないものの、心神喪失していることは間違いない。


 アントルドンにしてみれば、手札にしていた二人が完全に足手纏いになっている状況だ。かといって二人を見捨てて逃げるにしても、この森の奥深くにある祭祀場には逃げ場が存在しない。


「おい。その二人を連れて向こうの石柱の影にでも隠れていろ。こっちはあんたらを巻き込まないように戦うほどお人よしじゃないぞ…」


 そんな彼に俺は声を掛ける。見逃すというわけではないが、これから飛竜ワイバーン共と戦うというのに周囲をうろつかれては目障りだ。


「なんだと…貴様。お前らが飛竜ワイバーンをこちらに呼んだんだろう!どうしてくれるん…」


「ゥガァア!!!」


 俺に言い返そうとするアントルドンの言葉を遮るようにタルテの竜鎧が吼えた。音圧を感じるほどの声をその身に受け、アントルドンは喉の奥から悲鳴を漏らしながら後ずさった。そしてそのまま言葉を飲み込んで、彼は無言で俺の指示した方向へと駆け出し始めた。


 その光景を見て俺は溜息を吐き出した。俺はロスカーとヒュージルの首根っこを掴むと、アントルドンの後を追いかけるように引きずっていく。


「おう、悪いな。…まさかあんな隠し玉だ居るとはな。どこで見つけてきたんだ」


「黙ってろ。お前には後で儀式のことを語ってもらうからな」


 自身の置かれている状況を理解しているのか、ロスカーは文句を言うことなく、どこかふざけた様にそう声を掛けてきた。俺はそんな彼を黙らそうと少し強めに引っ張ると、石柱の影に投げ捨てた。


 そんなロスカーをクッションにするようにして、同様にヒュージルも投げ捨てる。その間もヒュージルはされるがままであり、ブツブツと何かを呟く声だけが獣の面の下から不気味に漏れ出していた。


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