第573話 アンチメイバル男爵

◇アンチメイバル男爵◇


「ハルト。…ベルちゃんとタック君は…」


 俺が風を伸ばしたことで何かを感知したことに気が付いたのだろう。二人のことを心配しているナナが小声で俺に尋ねかけてくる。同じことを知りたいのか、メルルやタルテ、それとメイバル男爵とレポロさんも俺に回答を促すようにこちらを見つめてくる。


「まだ…はっきりとはしないな。だが誰かが居るのは確実だ。…タルテは感じるか?」


「うう…私はまったく分りません…。激しく動いていないということでしょうか…?」


 風で感知できたのは僅かな話し声だ。小声で話しているのではなく、単純に距離が離れているために俺の風でも何を話しているかまでは把握することはできない。念のため、タルテにも地面の振動を感じるか尋ねたが、彼女は何も振動を感知できないでいるようだ。


 祭祀場という名からちょっとした石造りの舞台を想像していたのだが、今俺らが忍び足で進んでいる祭祀場は中々の大きさがある。それこそチックが遺跡と表現していたのが頷ける。もっとアクセスの良い所にあれば、観光地として栄えそうなほどの規模があるのだ。


 背の高い石の壁とそれを侵食する緑が俺らの視線を遮り、遠くまでは見通すことができない。それでも、他の面々は俺の索敵能力を信じているため特に警戒することも無く俺の後を着いてくる。俺の索敵能力の程度を知らないメイバル男爵でさえ、どこか高揚した感じで迷うことなく足を踏み出している。


「…こっちは…本殿のほうだ。私がまだ幼い頃に数えるほどだが来た記憶がある」


「本殿ってことは…今歩いているのは参道かなにかですか?」


 白い石の壁の表面を指で軽く削るように撫でながら、メイバル男爵が過去の記憶を思い起こしながらそう俺に語りかけてきた。まだしっかりとした姿を保っている祭祀場だが、残念ながら屋根などは無く、どこが何に使われていたのかを直ぐに類推することはできない。だからこそ、俺はメイバル男爵にそう尋ねたのだが、彼も幼い頃に訪れただけのようで、俺の質問に答えられず困った表情を浮かべている。


 数分も歩けば、俺の捉えた何者かの話し声も随分と近くなってきた。俺は数歩ほど先行し前方に見えた石造りの階段に身を潜めて前方を確認する。


『標的を確認した。…身を屈めてこっちに来て下さい』


 俺はハンドサインでなく、風に声を乗せて全体に指示を出す。その声に従って残りの面々も俺がそうしたように中腰で階段の下に歩み寄ってきた。


 階段の先は、俺が当初想像していた石舞台というべき広間になっていた。広間は周囲よりも一段高く作られており、周囲は円状に石の柱が並んでいる。中央部にはこれまた壁画の描かれた俺らの身の丈程度の石壁が横たわっており、その手前に探していた者達の姿があったのだ。


「ま、待ってくれっ…!あれは…血が出ていないかっ…!?」


「ナイデラ様…!ご心配なのは分りますが、今は静かにしてくださいまし…!」


 階段から身を乗り出すようにして先の光景を確認したメイバル男爵が、潜めてはいるものの十分に大きな声でそう叫んだ。風の結界を敷いているため、声が漏れ出ることは無いだろうが、余りにも目に余る行動にメルルが強い口調で彼を嗜める。


 彼が思わず叫び声を上げたのは、人質に取られているベルが流血していたからだ。ベルとタックは縄で縛られ、中央から少し外れたところに転がされている。一晩中人質に取られていたからか二人ともだいぶ憔悴しており、ベルにいたっては肩口が赤く染まっているのだ。


「二人の近くにいるあの男。あいつがやったみたいだね。手に持っているナイフに血がついているよ」


「ああ。あいつは…少し厄介だな。ここからじゃ視界を遮る物が無いから…逆側から回り込むか?」


 舞台の中央にはアントルドン。そして彼の息子であるヒュージルの姿がある。そしてその二人から離れた位置には一人の男が転がっている石材を椅子代わりして人質の二人を見張っている。


 見た記憶の無い男ではあるが、三人の中ではもっとも注意を払う必要があるだろう。そいつはどこか荒事に慣れたような雰囲気を漂わせているのだ。とりわけ戦闘能力が高いようには見えないが、それこそ人を傷付けることに躊躇の無いタイプであろう。


「あの位置…多分…肩の腱を傷付けられてます…。脅すため…いえ…戦闘力を奪うために切ったのでしょうか…?」


「恐らく両方でしょう。まだ新米とはいえ二人は狩人なのですから、いくら人数的に有利とはいえ抵抗されたらひっくり返る可能性がありますわ」


 タルテとメルルも冷静に状況を分析する。どうやら、ベルはあの刃物傷のせいで著しく戦闘能力を阻害されてしまっているようだ。タックは無事な様ではあるが、ベルの身の安全を考えれば下手な行動をすることはできないだろう。


「ナイデラ様…あのお方は…」


「…ロスカーだ。いや…以前に会ったのは随分前だから私も自信がないが…」


 メイバル男爵とレポロさんはアントルドンとベルに注目していたようだが、ナイフを持った男が俺らの話題に登ったからか、彼にも視線を向けた。そして、二人ともその男に見覚えがあったのか、慌てるようにそう言葉を漏らした。


 俺とナナ、メルルが知っているなら情報を出せと二人に視線で訴えかける。その視線を受け、メイバル男爵は視線を男から逸らすことなく口を開いた。


「…恥ずかしながら、私の親戚になります。一応は家臣団の一人ではあったのですが、随分前に勝手に出奔し、行方も知れず…」


「あまり…ナイデラ様とは友好的な方ではありません。先々代様の庶子の家系にあたる方なのですが…野心的な方でして…」


 ロスカーという男を説明する二人の顔は非常に苦々しい。そして、彼がアントルドンと一緒にいることは意外であると語ると同時に、彼ならば何か企んでもおかしくは無いと言ってみせた。アントルドンとロスカー、二人がどうして知り合ったかは不明ではあるが、メイバル男爵を疎ましく思っているところは変わらないらしい。


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