第572話 森の祭祀場

◇森の祭祀場◇


「…ナイデラ様。…もしや…」


 俺と同じことに思い至ったのか、メルルも彼に対して冷ややかな目を向ける。俺らをここまで案内しておいて、最後の扉を開けることができなかったなっては余りに恰好がつかない。彼はメルルの声に身をすくませると、誤魔化すようにニコリと作ったような笑みを彼女に向けた。


 地上が近いともなれば、最終手段としてタルテの魔法で抜け道に更に抜け道を掘りぬくこともできる。だからこそそこまでの危機感は俺らには無いが、メイバル男爵の情けない様子に思わずメルルは額に手を当てて溜息をついた。レポロさんも流石に擁護はできないようで、目を伏せて首を横に振っている。


「ああ…!これは仕方が無いですよ…。竜讃文字には複数の読み方がありますからね…。この並びだと間違えやすいです…。それに最初の文字は…呪文じゃないですね…」


 以外にも彼を擁護したのは竜讃文字を知らないことに腹を立てていたタルテだ。彼女は手帳を受け取ると、扉の正面にトコトコと移動した。


「最初の讃頌は口に出すのではなく…動作の指定です…!だから…ここでこうして…胡麻の実よ、早く開いておくれイフタフ・ヤー・スィムスィム…!」


 両手を掲げたタルテが背伸びをしながら呪文を呟いた。すると、彼女の足元から光の筋が延びると、その光は枝分かれしながら壁画に向かってゆく。その光は壁画に彫られた溝にも流れ込み、全体に光が行き渡ったかと思うと、その光に沿うようにして壁画が分解されはじめた。


「ふへ…!?…あ…開いちゃいました…」


 メイバル男爵が祭祀の一族の末裔であるため、恐らく魔力的な認証で弾かれると思っていたのだろう。自分が開けてしまったことにタルテは慌てたようにこちらを振り返った。メイバル男爵もまさか他人でも開けられるとは思っていなかったため、彼女に対して苦笑いを返すことしかできないでいる。


「あの…皆さん。今の言葉は…内密にお願いします。…まともな記録が無いわけですね。他人に知られるわけにはいかなかったのでしょう」


 メイバル男爵が何とか声を搾り出すようにしてそう呟いた。恐らく、俺らにこの抜け道を教えたのも、知ったところでこの扉は開けられないとの思惑があったのだろう。特にタルテが大声で呪文を呟いてしまったため、その呪文すらも俺らに知られてしまったのだ。


 そんな事を話ている間にも扉は更に分解されてゆく。そして、分解されバラバラとなった破片は一度宙に漂うと別の形にへと再構築されはじめる。再構築さて姿を現したのは壁画として描かれていた竜の石像だ。その体で天井付近を覆い、巨大な翼は通路を抱き込むように広げられている。


 そしてその凶暴な顔は石像の真下、つまり通路を通ろうとする者に対して向けられており、吼えるように大きな口が開かれている。


「こ、この先に祭祀場があるはずです…。もう…直ぐそこに…」


 異様な開き方をした扉に驚いたのか、あるいは凶暴そうな石像の姿に恐れを成したのか、尻込みしながらメイバル男爵はそう呟いた。俺もまさか石像が作り出されるとは思っていなかったため、予想外の開き方に軽く驚いた。


 しかし、即座に風を向こう側に向かわせて周囲の状況を把握する。メイバル男爵の言うとおり、この先は人質にされているベルとタックが居るのだ。


「ナイデラ様。…本当に向かわれるのですか?この先は荒事が待っている可能性のほうが高いと思われますわよ」


「レポロさんも危ないですからここで待っていて頂けると…」


 尻込みしているメイバル男爵に向かってメルルが声を掛けた。冷たく突き放すような言い方ではあるが、俺としても護衛対象が増えるような状況は歓迎できない。ナナも二人を心配するように二人に待機を提案するが、二人は頼み込むように口を開いた。


「戦いに慣れた皆様には甘いと思われるかもしれませんが…せめて…アントルドンを説得する機会を頂けませんかな?…武力で制圧するよりも、人質が無事な可能性も高いでしょう?」


「ナイデラ様が向かうのであれば、私もここで待つわけにはいきません。…いざとなれば盾にもなりますので、この老骨の身は無視して頂いて構いません」


 気合を入れなおしたメイバル男爵は、行動で示すように石像の真下を通り始める。象徴品レガリアに執着するアントルドンもそうだが、メイバル男爵も妙な執着心をみせている。それに、彼を諌めるような立場にあるレポロさんもそれに乗っかるように意気込んでいるのだ。説得しようにも、二人はこちらの返答を待たずに進んでいくものだから、俺らは慌てて後を追うように着いていった。


 どうしましょうかと言いたげな表情でメルルが俺に顔を向ける。…風で把握する限り、周囲には魔物の気配も無い。いざとなれば強制的に止めることも考え、俺は好きにさせようと呟いた。現状では彼らを説得することに時間を割くことのほうが馬鹿らしい。


 石像の下を通りまっすぐ進むと直ぐに目の前に外の光が見え始めた。その眩しさに目を細めながらも、俺らは祭祀場と呼ばれる神殿めいた場所に姿を現した。


「悪いけど…先に行かないで下さい。ここからは俺の後ろに控えて…決して物音を立てないように…」


 狩人ではない彼らに俺のハンドサインは通じない。俺は声を出して先行しようとする二人を諌めた。待機するような指示ではないため、彼らは反抗することなく神妙な顔で頷いた。どうやら俺の声色からこの場の危険度は通じたようだ。


 しかし、その声を発した俺のほうは意外にも静かな祭祀場の様子に内心では驚いている。狩人ギルドで見た地図が確かなら、この場所は森の深部にも程近い場所で間違いは無い。今の森の状況からして活性化した魔物で犇いていると思ったのだが、そのような気配を感じ取ることはできないのだ。


 足元には背の低い草が広がり、所々に石畳が残されている。そして風雨に晒され朽ち掛けた石柱や石壁が古い文明の名残として広がっている。その神秘性よりも、どこか長閑な雰囲気を与えてくるその場所は、それこそ今日のように晴れた日にはピクニックをしている者も居そうなほどに思えてしまう。


 だが、こんな森の奥にピクニックに来る者など居るはずは無い。…つまり前方から聞こえてくる何者かの活動音は、俺らの目的の人物達で間違いは無いのだろう。


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