第571話 古い時代の名残

◇古い時代の名残◇


「ああ、待ってくださいね。…失伝したとは言いましたが、何も全て途絶えたと言う訳ではありません。この扉の開き方は…確か…」


 まるで考古学者がそうするかのように、メイバル男爵は手元の手帳と壁画を見比べながら扉を開こうとする。その言葉に続くようにして何かを呟いたが、秘密の呪文らしく俺らには聞こえないようにひっそりと口にしている。そんな彼を少しでも手伝おうと、レポロさんがランタンを高く掲げる。そのおかげで薄暗かった地下道の中で壁画の文様がはっきりと浮かび上がった。


 壁画と一口に言っても、文明が未熟な頃に書かれるような洞窟壁画や近世にも見られる壁面に書かれた宗教画など様々なものがあるが、この壁画はどちらかといえば前者のものだろう。染料ではなく壁面を掘ることで描かれた抽象的な文様は、多少の風化が見られるものの在りし頃の姿をそのまま俺らに伝えてくれる。


 描かれているのは竜…前肢が翼となっているため飛竜ワイバーンに分類される存在だろう。飛竜ワイバーンは飛行のために頭脳も骨も軽量化された種族が多く、竜種というにはそこまで強くは無い。もちろん強力な魔物ではあるのだが、亜竜扱いなので倒しても竜狩りドラゴンスレイヤーとは認められないのだ。


 だが、飛竜ワイバーンの全てがそうという訳ではない。中には生物学的に飛竜ワイバーンに分類されてはいるものの、竜狩りドラゴンスレイヤーに値する程の強力な種族や特殊な個体は存在する。描かれている飛竜ワイバーンもそんな存在の一つなのだろうか…。


「保存の魔法…いえ、魔術になるのでしょうか。少なくともただの壁ではありませんわね」


「どれくらい前のものなのかな。…なんだか…ちょっと見覚えない?どこかで見たような気もするんだけれども…」


 メイバル男爵が扉を開くために四苦八苦している間、彼女達は扉に描かれた壁画を鑑賞していた。彼女達は別に考古学に精通しているわけではないが、流石に歴史ある物を目の前にして何も感じずにはいられないようだ。


 ナナはその壁画の様式に見覚えがあるようで腕を組んで首を傾げている。彼女の言うとおり見たような気もしないでもないが、俺もはっきりとは思い出せない。俺もナナの真似をするように、つい頭を傾けてしまう。


「…上に書かれているのは…竜讃文字ですね…。竜讃はいろんな所で伝わっていると聞きますが…ここもそうだったのでしょうか…?」


「あ、そう言えばルミエちゃんの居た竜讃神殿にそっくりだね。…この四角い模様って文字なんだ…」


 タルテの放った言葉にナナは得心がいったように口を開いた。竜讃神殿は国境の街であるブルフルスにあった神殿だ。あの地方は大地を流れる大河であるサンリヴィル河を竜に見立てた信仰が根付いていた。直接的なつながりがあったかは不明だが、ここにも竜を讃える神殿があったのだろうか…。


 しかし、タルテの言葉を聞いても俺はいま一つ思い出すことはできない。確かに様式は似ているように思えるが、あんな文字が書かれていただろうか…。


「ほら、ハルト。神殿の門に似たような文字が書かれてたでしょ?覚えてない?」


「…ナナ。ハルト様は窓から出入りしていましたので、あまり見ては居ないはずですわ」


 未だに首を傾げてる俺にナナが言葉を掛けてくれるが、即座にメルルが俺は殆ど見ていないと覚えが無い理由を判明させてくれた。…第一、俺は神殿にそこまで長居していなかったのだ。覚えが無くても仕方が無いだろう。


「竜讃…ですか。それは私も初めて知りましたね。いえ、竜讃信仰というものがあるのは知っていますが、この地に竜讃があったとは…」


「光の女神の神官ほどではありませんが…竜讃の巫女の中には竜と共に各地を旅した人が居るそうです…!それで…色々なところにその教えが残っているそうですよ…!」


 光の女神の教会の成り立ちは各地を放浪した治療師集団だ。それ故にその教えは国の垣根を越えて広まり、今では一大勢力を築くほどの一大宗教へとなっているのだ。また、単に放浪したのではなく治療の術を授けるという実利的な側面も大きかったのだろう。そして、実利があるという点では竜讃信仰にも似たような特徴がある。


「ああ、その辺は俺も知ってるな。竜讃信仰には教えの中に竜の生態も記録されてるんだ。竜災に困った地方なら簡単に根付くだろうな」


 俺はタルテの言葉に続くようにそう言った。竜讃信仰の教えの一部には、狩人ギルドでも使われているような竜の生態情報が含まれているのだ。彼らが時を掛けて調べあげた竜の情報は今でも多くの狩人を助けることに繋がっている。


 竜を讃える教えが竜狩りに使われているというのも皮肉な話ではあるが、そもそも竜讃信仰自体が荒ぶる竜に神性を見出し、崇め奉ることで被害を減らそうという考えが成り立ちだろう。実際に竜讃信仰は竜狩りを否定することはしていない。


「えと…荒ぶる風…ゲイルを讃えると書かれていますね…。ゲイルというのは竜の名前でしょうか…名のある竜なら…かなり強力な存在でしょう…」


「…これが読めるのですか!?」


 タルテが壁画に彫られた文字を読み上げるとレポロさんが驚愕の声を上げた。メイバル男爵も同じく驚いたようで、振り返るようにしてタルテを見つめている。


 この世界は驚くことに異なる文化圏でも似たような言葉で会話している。それは言語の始まりが魔法の呪文…所謂、力ある言葉が始まりだからだ。世界に刻まれた言葉から普段の会話のための言葉が生まれたため、遠方に行っても方言程度の違いしか無いらしいのだ。


 しかし、文字は別だ。発音に対して好き勝手に文様を宛がったからなのか、話す言語は同じでも使う文字はまったく違うということもある。文化的に交わることで大抵はどちらかの文字が駆逐されるのだろうが、竜讃文字はそれでも生き残ってきた文字だ。


「むぅ…。竜讃文字は今でも使われてますよ…!少なくとも…私の里では使ってました…!」


 二人の反応にタルテが頬を膨らませる。レポロさんとメイバル男爵は、古い壁画の文字など誰も読めはしないのだろうと思っていたのだろうが、一応は未だに使われている文字だ。特にタルテの里は住民の全員が同族だと聞いている。…つまり住人の全員が龍でもある物語の終盤に登場するような里だ。そこならば繋がりの深いであろう竜讃文字を主に使用しているのも頷ける。


「…お嬢さん。その…失礼だが…この字は読めるのかな?」


 メイバル男爵は壁画から離れると、恥じ入るようにしながらタルテに手帳を差し出した。そこには写し取ったような竜讃文字が書かれており、それには振り仮名も書かれている。…その振り仮名は先ほど扉に触れたメイバル男爵が呟いていた言葉でもある。


 その言葉を呟いたのに未だに扉が閉ざされているということは、この振り仮名に間違いがあるということだろうか。俺は少し呆れたようにタルテに手帳を差し出すメイバル男爵を見つめていた。


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