第561話 腹が減ってなければ戦ができる
◇腹が減ってなければ戦ができる◇
「はふぅ…。ナナさん…、おはようございます…。ごめんなさい…ちょっと寝すぎちゃいました…」
口を大きく開き、欠伸をしながらタルテが宿の一室の扉を開ける。窓辺に座り外の様子を眺めていたナナは、ほんの一瞬彼女に視線を向けてその様子を確認する。ナナは一瞬垣間見ただけだが、暢気な様子のタルテの姿を見て、無意識に入っていた自分の肩の力を抜く。そして、すっかり凝ってしまった筋肉を解すように腕を大きく回した。
その間も一応は窓の外から視線を逸らす事はない。窓の外にはメイバル男爵邸が聳えており、彼女はそこの監視をしているのだ。
だが、タルテと違い多少は気を張っているナナではあるが、彼女も惰性で監視を続けているだけで、もうこの時間帯になればメイバル男爵邸を襲う者も忍び入る者も居ないだろうと考えていた。単に昨晩から監視を続けているから続けているだけ。惰性と…あるいは他にやる事もないからという暇つぶしの為の監視だ。
朝靄がメイブルトンの街を覆っていたのは暫く前のことであり、今は既に多くの人間が各々の活動のために街に繰り出している。流石に今からメイバル男爵邸に忍び入る者はいないだろう。
「大丈夫だよ。まだ二の鐘が鳴ったばかりだからね。結局昨晩もメイバル男爵の家は変化なし。静かなものだったよ」
「交代します…?それとも朝ごはん貰って来ましょうか…?二の鐘ってことは…まだ宿のご飯がもらえますよね…?」
彼女たちがハルトとメルルと別れてからこれで二つの夜を越えたこととなる。その間、指輪を盗むためにアントルドンがメイバル男爵邸に向かう可能性があったため、彼女たちは交代で見張りをしていたのだが、どうも彼はまだ行動に移しては居ないようだ。あるいは他に目的があるのかもしれないが、彼女たちができることは、もしものときに即座に対応できるように状況をつぶさに観測するだけだ。
「そうだね。じゃぁご飯の準備をお願いできるかな。量はタルテちゃんと一緒で大丈夫だから」
「分かりました…!足りなそうだったら…ちゃちゃっと露店で買い足してきますね…!」
ナナはタルテに朝食の手配を頼み、監視というよりは深窓の令嬢がそうするように、どこか物憂げに外を見つめた。チラリと視線を下に落とせば、残り物間際の朝食ではやはり二人前には足りなかったのだろう。タルテが宿の玄関から飛び出して行くのが見えた。タルテは近くのパニーニを売る露店に駆け寄り、店主に向かって指を六本示して見せている。
そんな風景を見つめながら、ナナは暫く別行動となったハルトとメルルのことを考える。…まだ、二人は王都で待機しているのだろうか。シャリアン婦人と会えるのが遅くなるようなら、一旦こっちに戻ってくると言っていたため、それこそ今日にでも戻ってくるかもしれない。
「…他人の仕事をやるとその辛さが身に染みるなぁ。ハルトはよくこんなことを当たり前にやるね」
ハルトのことを考えたからか、つい彼に対する尊敬と愚痴が合わさった言葉が漏れ出てきた。斥候である彼は、一日だろうと三日だろうと平気で身動きせずにじっと見張っていることができるのだ。普段はあんなに落ち着きがない人間なのに、狩りの時ともなるあんなに落ち着いているのが未だに信じられない。
それこそ、初めの頃は見える範囲に居るのに見失うこともあったのだ。本人は木化けと言っていたが、その言葉のとおり木のように気配が森に埋没するのだ。その上、彼は木化けと言っておきながら、超超低速で移動するため、気がつけば別の所に居ることも多い。最近では彼を目で追うことが増え、それによって気付くことができるが、慣れない者であれば感知することも難しいだろう。
「うう。ジッとしてるのは性に合わないなぁ。早くハルトが戻ってきてくれるといいんだけれど…」
夜の見張り程度ならナナも慣れたものではあるが、流石に二日もメイバル男爵邸を監視してるとなると、ただただ辛くなってくる。
「ああ…!ごめんなさい…直ぐに変わります…!朝ごはんはここに並べておきますね…!」
「あ、お帰り。別にちょっとした愚痴だからそこまで気にしないでよ。…タルテちゃんもジッとしてるのは苦手でしょ?」
「えへへ…。ぐてっとしているのは得意なんですが…見張りとなると疲れちゃいますね…」
丁度戻ってきたタルテに愚痴を聞かれてしまったため、ナナは少しばかりばつが悪そうに言葉を返した。ナナだけでなくタルテもこの二日間で定点観測の辛さを味わったため、互いに相手の辛さを考えて譲り合っているのだ。その譲るのが監視業務ではなく休憩時間であるあたり、彼女たち二人の善良さが垣間見える。
タルテはナナの対面に座り、同じように窓の外を眺めながら朝食を食べ始める。ナナもそんな彼女に釣られるように、机の上に並んだ朝食に手を伸ばした。
「ハルトさんとメルルさんからは…連絡は来てないんですよね…?」
「うん。遅くなるなら先に連絡をするって言ってたから、今日にでも戻ってくるんじゃない?」
「お話聞けてるといいんですけど…流石に会えるのはもっと先ですかね…?」
「大体、三日から一週間後が普通だね。上位の貴族が尋ねたがってる場合は違うんだけれど…、今回のメルルはゼネルカーナ家の名前を使わないからね」
もしゃもしゃと高速で朝食を片付けながら、彼女たちは長閑に会話を続ける。その間も二人で監視はしているのだが、窓から見える朝の忙しさが一段落した街の風景が、どこか彼女らの気を緩ませてしまうのだ。
「あれ…?あれって…ギルド長じゃないですか…?ほら…半裸ですよ…?」
「…ホントだ。どうしたんだろう。ええと…行き先は…メイバル男爵の所?」
気が緩んでいても二人は窓から視線を逸らすことはない。だからこそ、街を慌てた様子で駆けていくギルド長にすぐ気付くことができたのだ。二人が目でギルド長を追うと、彼はそのままメイバル男爵邸に入っていった。ギルド長ともなれば領主に直接会える立場ではあるのだが、どうにもその慌てようが嫌な想像を掻き立ててくる。
「タルテちゃん。出る準備をしてね」
「あい…!分かりました…!」
二人は短い言葉で意思疎通をする。そしてその意思疎通のおかげか、タイミングを合わせたかのように二人の手は残りの朝食に向かって伸び、先ほどまでの倍の速度で残りを片付けていく。朝食を食べながらも二人は各々の装備を整え、狩人としての戦闘態勢に変わってゆく。そして、最後の朝食を飲み込む音と同時に、準備完了を示すかのように彼女たちの武器がカチャリと金属音を響かせた。
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