第556話 シャリアン子爵婦人の憂鬱

◇シャリアン子爵婦人の憂鬱◇


「おお、お待ちしておりました。奥様がサロンでお待ちです。久しい故郷の友人からのご紹介ということで、奥様も随分と楽しみにしているようで…」


 俺らは小洒落た馬車に乗り、マッティホープ子爵邸の前に乗り付ける。そしてメルルが俺にエスコートされながら馬車から降りると、それを待っていたかのように屋敷の中から姿を現した執事が声を掛けてきた。執事はまるで大口の客を迎え入れる商人のように俺らを屋敷の中に誘おうと大仰な動作で扉を開いてみせた。


 宮廷貴族といえども子爵に過ぎないからか、その邸宅はあまり大きいとはいえない。ゼネルカーナ家の邸宅に直前まで居たために、なおさらそれを強く感じてしまう。もちろん平民の家と比べれば十分に豪勢な佇まいであるし、宮廷貴族の中には碌な役職に付けず少ない給金で喘いでいる者もいると聞いているため、マッティホープ子爵邸はまだましな部類なのかもしれないが…。


 それに邸宅の大きさは大したことは無くとも、その佇まいと調度品は品がよく、細やかな意匠の入った建物は威厳にも似た存在感を俺に感じさせた。たとえこの邸宅の倍の大きさの邸宅があったところで、それが成金趣味であったのならばこの邸宅のほうが良質な邸宅だと思えてしまうだろう。


「いえいえ、こちらもこんなに早くお目通りが叶うとは嬉しい限りですわ。いつになるかと焦れる時間もそれはそれで愛しい時間ではありますが、早いに越したことはありませんので…」


「ははは。あまりに早いお返事に却ってご迷惑を掛けてしまいましたかな。なにぶん、奥様の気質がそうさせるものでして…。まったく困ったお人です」


「そんな滅相もありません。確かに予想外であったため驚きは致しましたが、私としては好ましいお返事ですわ」


 執事は気さくそうにメルルに話しかけ、メルルもそれに行儀良く答える。自身の主人の奥方を悪く言うような口ぶりにメルルは一瞬眉を顰めるものの、執事はそれに気付かずに会話を続けた。そして二人は話しながらも邸宅の中を進んで行き、すぐに目的地のサロンに辿り着くこととなった。


 そこで執事の男性は俺を侍従の待合室に通そうと扉に手を伸ばしたのだが、それにメルルが待ったと声を掛けた。


「あの、彼も同席させていただけないでしょうか。彼は私の侍従なのですが、同時にお父様がつけた監視役でもありますの」


「ええ、構いませんよ。ふふふ。監視役などと言ってしまってはお父様が可哀相ですよ。いくつになっても娘というのは心配してしまうものなのですから」


 執事は俺のことを護衛を兼ねた存在だと思ったのだろう。彼はシャリアンに確認を取ることなく俺の同席に許可を出した。俺としては別室であっても風で周囲を把握することはできるため問題は無いのだが、確かにその場に一緒にいたほうが何かと都合が良いだろう。


 そうして俺らはサロンの中に促され、そこで初めてシャリアンに対面することとなる。彼女は俺らが入室するとこちらを一瞥し、何も語ることなく対面の椅子を視線で示した。その席に着けと言いたいのだろう。不躾な行動であるはずなのだが、どうしてかあまり失礼には感じない。むしろその動作に気安さを覚えてしまったのは俺が貴族で無いからだろうか。


「あなたが、ミレイが仕えているって話のお嬢様?…随分若いのね」


「お初お目にかかります。メルル・イヴェルボーンですわ。どうぞよしなに」


 ミレイとはシャリアンの乳母であり、今回の紹介状を書いたメイバル男爵家の使用人だ。シャリアンはそのミレイからの紹介状に書かれた内容に目を這わし、同時に見比べるようにメルルにも視線を投げかけている。そしてこちらもシャリアンと同様に、彼女をそれとなく観察する。


 メイバル男爵とは血の繋がった兄妹とは聞いていたが、二人の印象は大きく離れていた。メイバル男爵は目元が垂れ目がちで、どこか優しげな印象を抱くのに対し、シャリアンは釣り目がちで神経質そうに見えてしまう。現に彼女の態度も初対面だからという理由じゃ説明できないほど刺々しく、妙な緊張感が俺らの間に漂っている。


「それで兄さんは貴方達になんて言って遣わしたの?…貴方達も大変ね」


「あら、どういうことでしょうか?兄というのは…」


 だが、その刺々しい態度の理由は直ぐに判明する。彼女は俺らがメイバル男爵の頼みでここに赴いたことを看破していたのだ。即座にメルルが惚けてみせるが、シャリアンは手を振って言い訳は無用と動作で示してみせた。


「私にだって目と耳はついているのよ?ミレイが未だにあの家に雇われている事は知っているわ。兄さんの隠し子が出てくるかもとは思ったけれど…貴方は違うわよね?」


「…どうやらお見通しのようですわね。確かに私はナイデラ様よりこの紹介状を頂きましたわ」


「でしょうね。…この字はミレイの字だから…兄さんが彼女に書かせたのでしょう」


 その確信した目を眩ますことは出来ないと悟って、メルルは詫びるように彼女に言葉を返す。しかし、アドリブが苦手なメルルが平常心を保っているということは、ばれてしまうのも想定内の事柄であったのだろう。メルルが思いのほか簡単に開き直り、それでいて余裕のある態度を崩さないため、逆にシャリアンが軽く驚いている。


「ふふ。私がシャリアン様にお会いすることを了承したら直ぐに書いてくださいましたわ。ミレイさんもどうやらお兄さんと同じ思いのようですね」


「兄さんと同じ?それは何の冗談なのかしら?」


「冗談…ですか?ナイデラ様もミレイさんもシャリアン様のことが心配だったようですが…」


「まさか。ミレイなら未だしも兄さんが私の心配をする訳無いでしょう…。…あの人はどこまで行っても領主なんだから…」


 俺らを出迎えた執事の言葉とは裏腹にシャリアンとの対面はにこやかな雰囲気では始まらなかった。それでも一概に悪いと言い切るほどの空気では無かったのだが、ここに来てメルルの言葉を聞いたシャリアンが一気に機嫌が悪くなる。そして、何が地雷だったのかと探るようなメルルの視線に答えるようにシャリアンは自嘲するように軽く鼻で笑ってみせた。


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