第554話 血刃佩くバルハルト

◇血刃佩くバルハルト◇


「おい、メルル。本当にやるのか?あまり無茶をするような局面じゃないと思うが…」


 日が落ち大地に闇が満たされるころ、俺とメルルは街の外周部に立って先の見通せない夜の森を眺めていた。厳密に言えば見詰めているのは森ではなく街道なのだが、明かりのない街の外ではそれらの区別がつくことはない。


「ええ、どうにもアントルドンの行動が気になるのです。ですから、なるべく早くシャリアン様の話を聞いておきたいのですわ」


「気になるのは分かるが…なおさら今夜ぐらいは事が起きないように見張るって方法もあるぞ?」


 なぜ俺とメルルだけがここに居るのかというと、これから二人で急ぎ王都に向かうためだ。アントルドンがこの領地にいる以上、あまり目を離すのは得策ではない。そのため、メイバル男爵の妹の元を訪ねるのはよくて来週かと思っていたのだが、どうやらメルルはだからこそ早めにシャリアン婦人にあって話を聞いておきたいと考えているらしい。


「その為にナナとタルテを残すのですわ。心配せずともナナは戦略や戦術に人一倍詳しいですし、タルテがいれば人は死ぬことを許されません」


 そう言いながらもメルルは手元の水桶にいくつかの触媒と自分の血を注ぎいれている。水で彼女の血液をかさ増しする手法なのだが、いくらかさ増しするとはいえ注ぎ込んでいる血液の量も尋常ではない。俺は心配になってメルルを見詰めるが、メルルは俺が残すことになった二人を心配していると思ったのだろう。俺を励ますように二人は問題ないと語ってみせた。


「そうじゃなくて、あまり血を使いすぎるなよ。いざとなったら俺の風の出力を上げれば問題ないんだからな」


 …二人が心配なのも間違いではない。確かにナナなら敵の行動を先読みして的確に対応することもできるだろう。確かにタルテなら多少の怪我をしてもすぐさま回復させることも可能だろう。…だが、ナナはコントロールの悪い火魔法使いという街中に持ち込むのは難のある人材であるし、タルテも死を許さないのは味方だけで、剣を手にする敵対者は壁のシミにする存在だ。戻ってきたときにあの邸宅はどうなっているだろうか…。焼失…あるいは死臭漂う凄惨な事故物件になっていないことを願うばかりだ。


「わ、私のご心配をして頂いたのですね。だ、大丈夫ですわ。これくらい。ストックしていた血が大半ですので」


 そう言ってメルルは粘土を増した水にその白い手を差し入れた。その水は一瞬の静寂の後、蠢き産声を上げるように膨れ上がった。闇魔法使いである彼女と相反するように、その赤い液体は生命力に満ち溢れており、俺とメルルを包み込むように展開した。


「さぁ、ハルト様。動かないで下さいましね。今、特注の翼を作りますので」


「あまり面積を増やすんじゃなくて、その分横に広くしてくれるか。そっちのほうが風を掴みやすい」


 流れながらも脈動するその赤い水は、俺の体に纏わり付くとギチリと鈍い音を立てながら硬化してゆく。そしてまるでタルテの生きた龍鎧リビングメイルのように、赤黒い龍を模した鎧へを形作った。刃のような鱗を備えたどこか刺々しいパンクな意匠はメルルの趣味なのだろうが、流体剥離を引き起こし抵抗となるからできれば止めて欲しい。…しかし、意気揚々と血の魔法を構築する彼女に苦言を呈すことは俺にはできなかった。


 龍に似た翼が俺の肩に作り出されると、俺の意思に反してその翼は動き始める。俺の体に作られているとはいえ、その制御はメルルの魔法にて補われているのだ。少しぎこちないながらも、まるで本物の翼のように動く翼を見て、メルルは満足したように頷いた。


「それでは、ハルト様。お願いできますか。この翼なら直ぐに王都に着きますでしょう?」


「ああ、これならハングライダーが無くても十分だ。…それじゃ、ほら。血で体を押さえておけよ」


「もう。もうちょっとロマンチックに抱いて頂いてもいいじゃありませんか」


 メルルは俺に寄りかかると、その血を自分で操ってまるで俺を背後に背負うように固定する。残念ながら安全第一であるため、そこにロマンスは欠片もない。


 俺はゆっくりと翼に触れる風を感じながら、街の高台の縁へと進む。…今夜は月が翳っており灯りに乏しい物の、風は大人しく飛ぶのには向いている優しき夜だ。俺とメルルはそのまま街の外壁から宙へと身を投げ出した。傍から見れば二人の男女が心中するようにも、あるいは翼の生えた悪魔が若い女性を攫うようにも見えるだろうが、目撃者がいないことは風で既に確認している。


 突然の浮遊感にメルルが小さな悲鳴を上げながら強張るが、直ぐに吹いた一陣の風が俺らの身体を簡単に持ち上げた。そうして、俺らは瞬く間に飛び降りた場所よりも高度をまし、街の上を小さく旋回してから王都に向けて真っ直ぐと向かってゆく。


「ふふふ。タルテが羨ましそうにしていましたが、流石に二人乗りが限界ですわね」


「ただでさえ大量の血を使うんだ。俺としてはあまり使って欲しくない手法だな」


「もう。ハルト様は心配のしすぎですわ。確かに乱用はできませんが、定期的に抜かないとどうにも調子が出ないのですから、これぐらいで丁度いいのですわ」


 いくらメイバル領が王都に近い領地とはいえ、深夜に近所のコンビニに赴くほどの気軽さで行き来できる距離ではない。しかし、その移動時間を極端に短縮できるハンググライダーは王都に置いてきてしまっているのだ。


 そのため、ハンググライダーの変わりにメルルは血で翼を拵えたのだが、この血の竜鎧は発動の時点で大量の血を消費し、維持も中々に精神を疲弊させることとなる。だからこそ、俺の胸の下で夜風を楽しんでいるメルルの容態がどうしても気にかかってしょうがない。今は平気そうにしているものの、やはりどこか口数が少なくなってきている。


 俺は彼女を優しい風で包み込み、翼にはより強力な風を吹かせ始める。いつもより速度を増した空の旅は夜空を滑る様に突き進み、地平の間際に見えるぼんやりとした王都の灯り目掛けて真っ直ぐと向かっていった。


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