第552話 兄から妹へ。言葉は無い
◇兄から妹へ。言葉は無い◇
「…もしかしてあまりお会いになっていないのでしょうか?遠方に嫁いだのならまだしも、王都にいらっしゃるのですから、会おうと思えばいつでも会えるはずですよね…?」
メルルも本気で妹さんを心配するようにそう口にした。目と鼻の先である王都のマッティホープ子爵に嫁いだのだから、いつでも里帰りすることは可能であるし、メイバル男爵がマッティホープ子爵邸を訪ねる事だってできるはずだ。
しかし、それができていないということはアントルドン子爵とメイバル男爵の仲は例の指輪の騒動で拗れてしまったのだろうか。二つの家は何かしらの関係性にあるとは疑っていたが、どうやらあまりいい関係とは言えないのかもしれない。…あるいは、メイバル男爵は心配しているようだが、妹はメイバル男爵を嫌っており、そのために会えていないのかもしれないが…。
「ははは、お嬢さんはまだお若いからそう思ってしまうのでしょうが、嫁ぐということは別の家の人間になるということなのですよ。…特に我が家のように古臭い家はその考えが強くて…」
「それでも限度がありますでしょう?…第一、婚姻は両家の繋がりを濃くするためでもあるのですから…」
貴族の婚姻は色恋ではない。だからこそ、疎遠になる必要はないのだ。確かにメイバル男爵の言うとおり、彼の妹はマッティホープ子爵家の人間になってしまったのだろうが、それと疎遠になることは別の話のはずだ。
しかし、あまり語りたくないのかメイベル男爵は黙り込んでしまった。彼の妹…シャリアンという女性はメイベル男爵とマッティホープ子爵家の関係性を探る上でも重要な存在ではあるのだが、今のメルルは純粋に彼女がどういった状況に置かれているのか心配しているようだ。それ故にメルルは言葉を掛けることを躊躇ってしまっていた。
実際には彼女がどんな思いで嫁ぎ、今はどう過ごしているかは何も分かっていない。だが、事前に知っていたアントルドンが彼女に求婚し、メイバル男爵は断れる立場にいなかったということがどうしても嫌な想像に繋がってしまうのだろう。
「…またもや、出すぎたことを申してしまったようですわね。度重なる非礼をお詫び申し上げますわ」
「ああ、いえ。そう気になさらんで下さい。むしろ妹のことを案じて頂いて有り難いと思っております。単に自身の至らなさに自省の念に駆られていまして…」
その言葉に嘘はないようで、少なくともメイバル男爵はメルルに気を悪くした様子は無い。だが、あまり触れられたくないからこそ、そこには重要な秘密が隠されているのだ。暫しの静寂の後、再びメルルは探るように口を開いた。
「…その…、非礼は詫びましたが、何か問題があるのならばご相談に乗りますわ。若輩の娘が何を申すかと思われるかもしれませんが、同じ女性だからこそ力になれることもありますでしょう?」
あくまでも善意から来る提案。秘密を聞き出そうとする思いが無いわけではないだろうが、決して心配する思いも嘘ではない。メルルの言葉を聞いて、メイバル男爵は悩むように眉を顰めるものの、ついには何かを決心するように、あるいは諦めるように溜息を吐き出した。
「いえ…。妹に何か問題があるわけではないのです。…先ほども話しに出たとは思いますが、例の指輪の騒動でアントルドン卿との関係がこじれてしまいまして…。そのせいであの家とは距離を置いているのです」
だが、やはり醜聞ともなる貴族関係の問題はおいそれとは語ってくれないようだ。両家の関係が冷え切っていると語ってくれたものの、その要因は俺らの知っている範囲のことしか答えてくれていない。例の指輪が原因で何故関係が崩れてしまったのか…。…それこそ、指輪と引き換えに何か無茶な要求をしたのではないだろうか…。
「そうですな。相談に乗っていただけると仰るのでしたら、できれば妹の様子を見てきて頂けないでしょうか?王都に戻ってからで構いません。都合のよい時にマッティホープ子爵邸にいる妹を訪ねて頂きたいのです」
それでもメルルのことはある程度の信頼を置いたようで、メイバル男爵は仰々しい所作でメルルに頼み込んだ。それほど妹を心配しておりながら、なぜ自身で関係を改善するべく動かないのか。あるいは修復不可能なほどに関係は悪化してしまっているのかと考えてしまう。だが、その真摯な願いに答えるべくメルルは戸惑いながらも頷いた。
「妹さんのご様子ですか?…それは構いませんが…生憎とマッティホープ子爵に伝のほうが…」
「ああ、もちろん紹介状は用意いたします。残念ながら私ではなく妹の旧友からの紹介状になりますがね」
メイバル男爵は乾いた笑いを浮かべながら自虐的にそう答えた。
「ナイデラ様の紹介状ではいけないということは…」
「ええ、私からの紹介状ではあの家の敷居は跨げないでしょう。ですが妹の乳母からの紹介状ならば…恐らくは大丈夫かと…」
そう言ってメイバル男爵はレポロさんに目線で合図をする。レポロさんはメイバル男爵に頷いてみせると、部屋を後にし何処かに向かっていった。恐らくは紹介状を準備するためにその乳母とやらのもとに行ったのだろう。
案の定、暫く待っていると手紙を携えたレポロさんが再び俺らの前に姿を現した。レポロさんはそれをメイバル男爵に渡すと、彼はよう内容に目を通した後にその手紙をメルルに差し出した。
「肩書きは乳母の今勤めている貴族家とお嬢様ということになっています。彼女は未だに我が家に勤めていますが、それをアントルドン卿が把握はしていないでしょう」
「…確かに…頂戴いたしましたわ。シャリアン様に確認しておきたいことなどはありますか?」
「いえ、妹が元気でいることが分かればそれで十分です。申し訳ありません。こんなことをお願いしてしまって…」
ある意味ではこれは両家の関係を探る上で重要な手紙ではあるのだが、メルルは本来の目的であるメイバル男爵とマッティホープ家の関係を探るという目的とは別に、本心からメイバル男爵の頼みを引き受けたようだ。彼女はその手紙を受け取ると、大切そうに仕舞い込んだ。
そして二人の話は妹の話題を離れ、この街の様子や森に関係する話題などに変化する。だが、どの話題もどこか上滑りしており、妹に関することがどこか心残りとなって二人の間に横たわっていることが見て取れた。そうして、まるで義務のような形式の雑談を終えると俺らはメイバル男爵邸を後にする事となった。
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