第550話 狸顔の中年男性

◇狸顔の中年男性◇


「いやはや、新進気鋭の魔法使いかと思っておりましたが、まさかイヴェルボーンのお嬢様だったとは。確か…北西部の…」


 挨拶の返事が来るまで狩人活動にでも勤しむかと考えていたのだが、メイバル男爵との挨拶は思いのほか早く叶った。早くとも明日か明後日…遅い場合は一週間後になる可能性もあったのだが、なんとメイバル男爵は夕刻には会うことができると返信してきたのだ。


 もしかしたら、俺らが狩人としての活動のために赴いたと聞いて、あまり時間を掛けると狩人活動に支障が出るとも思ったのかもしれない。俺らの安全に必要以上気を使われることを危惧していたが、どうやら前回の騒動で俺らの魔法の腕を知っているため、むしろ是非活躍して森の活性化を宥めて欲しいという思惑が感じ取れた。


「ええ。よくご存知ですわね。父は北西部の小さな領地を治めております。正直に申しまして、我が家は地方に篭ってるあまりパッとしない家ですのに…。王都近辺に領地を持つメイバル男爵に知っていただけているとは」


「ははは。あまりパッとしないというのは我が家も同じですよ。所詮しがない男爵家でありますので、いくら地方とはいえ、イヴェルボーン子爵の領地と比べれば退屈な場所でしょう。イヴェルボーン子爵は中々に上手いワインを作ると、酒好きの間ではよく知られていましてね」


 イヴェルボーン子爵というのはメルルが偽名に用いている貴族家の名前だ。偽名といってもイヴェルボーン子爵家というのは実在しており、彼女もその家の人間としての書類や身分証明の指輪も存在している。本当の生家であるゼネルカーナ家の名前は王家の影としての役割を知っている者がいるため、偽の家名を名乗ったのだ。彼女曰く、男爵程度では知っているはずは無いとのことだが、念には念を入れてということだ。


 だからこそ、メイバル男爵の言ったワインで有名というのも間違いではない。嘘か本当かは解らないが、ゼネルカーナ家の先祖が上手いワインを飲みたくて葡萄作りに適した土地を持つイヴェルボーン子爵家に多額の出資をしたらしい。


「まぁ、お上手ですわね。ワインは領民が丹精込めて作っている自慢の一品ですの。…といっても、私はまだ飲みなれていないのかワインの味はあまり解らないのですが…」


「おや、それはいけませんな。自信の故郷の味が解らないのは悲しいことです。まぁ、酒を味わう舌もワインと一緒で年月と共に熟成するものです。焦る事はありませんよ」


 …嘘である。俺らの中で最もワインの味に煩いのがメルルだ。俺なんかはバカ舌というわけではないが、場末の酒場で出される水で薄めた果実酒でもそれはそれとして楽しめる人間だ。だが、メルルの場合飲みたいワインを自分で持ち込むほどだ。それこそ産地や銘柄などをピタリと当てるのが魔法ではなく技能だというから驚きだ。


 しかし、酒飲みとしての経験を刺激されたメイバル男爵は、酒飲みとしての経験を分け与えるようにワインの楽しみ方をメルルに語り始めた。とにかく若いうちは酒で失敗することも多いからと、無理に飲んではいけない、特に女性ならば妊娠期間は決して酒を口にするなと意外にも常識的な酒の飲み方をメルルに教えている。


 俺らはこの屋敷に入るに当たって随分と警戒はしたものだが、実際に出会ったメイバル男爵は気の良いおじさんという様相だ。小太りで丁度中年に差し掛かった年齢だろうか。垂れ目の眼差しは優しげな印象を他者に与え、同時に気弱そうにも見えてしまう。


 彼はしがない男爵家などと言っていたが、振る舞いはどこか品がよく、これが貴族なのだと俺らに示すようだ。そして、メイバル男爵家も男爵家ながらも中々に歴史の古い家なのだとか…。そのメイバル男爵家の現当主が、このナイデラ・メイバル男爵だ。メルルの情報が正しければ、この歳で未だに結婚しておらず彼は独り身なのだとか。


「失礼致します」


「ああ、どうもありがとうございます」


 メルルとメイバル男爵俺らの前にレポロさんが手馴れた動作で紅茶を差し出した。俺らは貴族ではないが、狩人として活動しているメルルの仲間ということで同席している。もちろん、同席と言ってもメイバル男爵と対面しているのはメルルであり、俺らは口を挟まず傍聴人のように振舞っている。


 だが、メイバル男爵の視線は俺らにも向けられている。それはこうして紅茶が振舞われたように、俺らも客人として扱ってくれているからだ。一応は可哀相な獣ピティワームを討伐したことへの感謝のための席でもあるため、俺らを無下に扱うつもりは無いのだろう。


「…皆さん、全員が魔法使いと聞いていましたが…」


「ええ。全員が魔法を使うことができますわ。ふふふ。珍しいですが意外とそういうパーティーもあるのですよ」


 別に疑っている訳ではないのだろうが、メイバル男爵は俺らの顔を確認しながらそう尋ねた。この街では戦える魔法使いは殆どいないらしいので、それが四人も揃っているのを驚いているのだろうか。あるいは、俺らのことをメルルの親が付けた護衛とでも思っているのかもしれない。狩人に勤しむお転婆な娘のために、パーティーメンバー兼護衛を用意するというのはありえそうな話ではあるが、流石に三人も魔法使いを用意したとなると、その過保護具合にも驚いているのかもしれない。


「ええ、腕前はレポロから聞き及んでいますとも。それに、我が街の魔法使いであるベルに魔法の手解きをして頂けたとか。ええと…確か闇魔法使いの方ですよね」


 そのお方はどなたですかなと言う様に、メイバル男爵は俺らを見渡した。そして、その視線が再びメルルに戻ってきたときに、おずおずとメルルが口を開いた。


「恥ずかしながら、ベルに手解きしたのは私ですわ。同じ闇魔法の狩人として、後輩はどうしても放っておけなくて…」


「なんと。まさかお嬢さんが手解きしていただけたのですね。いや、どうですかな。ベルの腕前は」


「まだ制御が覚束ないせいで大規模な魔法は使えませんが、浸透性が高いという中々強力な特性を持っていますわ。私のような若輩者が言うのもなんですが、将来が楽しみな子だと…」


 自分の街の魔法使いが褒められて、メイバル男爵は自分の娘が褒められたように嬉しそうにしている。魔法使いという貴重な人材であるため、男爵もベルには注目しているとレポロさんが言っていたが、どうやらそれは本当のことのようだ。


「…もしかして、彼女に領の仕事を依頼するおつもりですか?確かに王都に食料を納めているこの領ならば、彼女の魔法は多いに役立つでしょうが…、あまり強要することはお勧めいたしません。魔法というのは、したいことをさせるほうが成長するんですよ」


 だが、メルルはベルが注目されていることを危険視したようだ。闇魔法使いであれば食品が腐敗することを防ぐことができる。特に浸透性の高いベルの闇魔法であるならば、食品にそれを施すのは容易であろう。


 だからこそメルルは、貴族からのお願いという命令で彼女がいい様に使われることを恐れたのだろう。彼女の言った自由にさせたほうが魔法使いとして成長できるという事も間違いではない。メルルは少しばかり冷たさを孕んだ視線で、チラリとメイバル男爵を窺うように視線を向けた。


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