第542話 忌まわしい名前

◇忌まわしい名前◇


「えっと…また俺、何か言っちゃいました?」


 申し訳無さそうに眉を顰めながらチックがそう言葉を吐き出した。しかし、レポロさんの視線は彼ではなく俺らに注がれ、なぜヴィロートに付いて聞きたがっているのかとの問いに答えるのを無言で待っている。チックが責められているのではないが、その無言がより彼を焦らせてレポロさんと俺らの間で視線を彷徨わせている。


 俺はメルルに相談するつもりで彼女にチラリと視線を投げかけたが、直ぐにそれが間違いであったと悟る。メルルは外向けの微笑みを顔に貼り付けた状態で、完全に停止していたのだ。…メルルは権謀術数を張り巡らし、他人を手の平で踊らし余裕の笑みを崩さない策士タイプの人間だ。


 事実、彼女は先見の明に優れており大抵の事は想定してしまう。だが、一度想定を外れると途端にポンコツになるのだ。要するに彼女は大量の手札を揃えてそれを適切に切っていくのに秀でているが、土壇場で即座にカードを作り出すのは苦手なのだ。


「その…アレですわ…そう。アレです。アレでございます」


「ちょ、ちょっと…メルル。落ち着いて…」


 誤作動を起こし始めたメルルをナナが宥める。メルルの視線は先ほどのチック異常に右往左往し始め、最終的には相談するためにそちらを見ていた俺の視線と交わった。そして、何かに納得したような顔を浮かべたかと思うと、自然な動作でレポロさんの視線から隠れるように俺の後ろに移動した。


 俺は後ろを振り返りながらその様子をただ見詰めていたが、メルルは俺の視線は気にすることなく俺の背中で自身を落ち着かせるように息を吐き出した。そして、それから俺の視線に応えるようにニコリと微笑んでみせた。


 視線を正面に戻せば、レポロさんの視線は真っ直ぐに俺に注がれていた。完全に矢面に立たされた俺は諦めと達観の混じった溜息を吐き出しながら口を開いた。


「逆に聞きますが何かご存知なのですか?今、彼の名前は王都では有名ですよ?…なんて言ったって第三王子の命と国宝を狙った一味に内通していたんですから」


「…それを何故貴方がたがチックさんに?」


 俺の言葉にレポロさんは大した反応を示さない。つまり、ヴィロートが犯罪に関わったことは知っていたのだろう。


「その事件のあった場所に俺らも依頼で同行してたんですよ。そしたらチックからその名前を聞いて、思わず同一人物なのかと確かめたんです」


 別にヴィロートのことは極秘調査でもなんでもない。俺ら以外でも王都で彼について尋ねられた人間は沢山いるはずだ。そして、事件の内容も俺らがそれに参加したことも調べれば誰だって知ることのできる情報だ。別にあえてそれを秘する必要も無い。…タルテに関しては豊穣の一族であることを隠すため参加した情報を抹消する選択肢もあったが、隠していたことが露見すると余計に怪しいためあえて何も手を加えていない。


 それに俺らだってそこまで積極的に調べているわけではないのだ。彼らの一味がタルテを狙っている可能性が高いためできれば情報が欲しいということと、単にメルルのお家のお手伝いをしたに過ぎない。


 裏が有るのに自然な振る舞いをすることは苦手だが、今回に関しては語っていることは殆ど真実だ。だからこそ、俺は自然な素振りでそう語って見せた。それでも完璧とは言えないが、むしろその態度が開き直ったようにも見えたのだろう。レポロさんは納得したのか、暫しの無言の後静かに息を吐き出した。


「…これは、失礼致しました。非礼をお詫びいたします。…彼の者は我が主に多大な迷惑を掛けたため、少し神経質になってしまっていたようです。むしろ、どうやら貴方がたも同じく彼らに迷惑を掛けられたようですね」


 レポロさんは俺らに向かって深々と頭を下げる。そして頭を上げるとそこには最初と変わらない微笑を取り戻していたが、先ほどの真面目な顔付きが頭に残っているため、どうにも貼り付けたような笑みに見えてしまう。


「あの人…犯罪者だったの…!?ど、どうしてそんな人が…」


「ベル。落ち着いて。今の話からして、犯罪をしたのは最近みたい」


「へっ!俺はいつかやると思ってたぜ」


 レポロさんの過敏な反応も俺が語った情報にも驚いたのだろう。俺らの後ろではベル達三人がヒソヒソ声で会話をしている。それを耳にしたレポロさんはばつの悪そうな顔を浮かべると、言い訳をするように口を開いた。


「犯罪に関わったのは私も聞いております。…だからこそ、あまり彼のことを風潮するのは控えてくださいね」


 ベル達三人に釘を刺すように、レポロさんは口元に指を当てて彼らにそっと呟いた。レポロさんの笑みの迫力に押されて彼らはコクコクと頷いてみせる。彼が関わったのは国家反逆罪にも該当するような罪であるため、噂程度でも関係性を臭わせるのは避けたいのだろう。…だが、それだけではないはずだ。それにしてはレポロさんの反応は過敏すぎた。何か隠し事があると勘繰るには十分な反応だ。


「…何なら騎士団にヴィロートのことを相談してみては?迷惑を掛けられたと言うのは…チックの言っていた指輪に関することでしょう?それを上手く餌にすれば、暫くはこの街に騎士団を招けるかもしれませんよ?」


 ヴィロートとの関係を風潮するつもりはない。だが、俺は冗談を呟くようにそう言ってみせた。実際問題王都ではヴィロートの足取りを方々に手を尽くして探っているのだ。良くも悪くも以前にヴィロートと多少の関係があったのならば、騎士団もそれを調べに来るはずだ。それこそ、この街に隠れ潜んでいる可能性を騎士団に感じさせれば、この街に無償で騎士団を招くことができる。


 もちろん、俺も本気で言っているわけではない。だが、武力を手配できると聞いてギルド長はなにか考えるように髭を弄り始める。周囲の森が活性化している状況では、たとえ別の目的の武力であろうとも、それを街に抱えておけるのなら悪くないと思っているのだろう。


「騎士団が求めているのはヴィロートの情報なのでしょうが…生憎、私も彼についてはアントルドン様の腹心だったという程度しか知りませんので、餌にするには少々物足りないでしょう」


 もちろん、そんな情報で騎士団を釣るほうが難しい。更には裏の目的が露見したときにどんな手痛いしっぺ返しがあるかわかったものではない。レポロさんも苦笑いしながらそう言葉を返した。その言葉は少しでも彼との関係を知られたくないというよりは、本音でそう応えているようにみえた。


 だが彼の言葉に引っ掛かりを覚えたのか、俺の後ろに隠れていたメルルがひょっこりと顔を出してレポロさんの顔をまじまじと観察した。


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