第536話 優しく終わりへと誘う

◇優しく終わりへと誘う◇


「来ましたわね!…随分と大所帯ですこと。どうやら一族でこの森にお引越ししてきたようですわね」


 森の木々がなぎ倒されることで彼らを覆い隠していた枝葉が消えうせる。森から滲み出てくるように姿を現し始めたのは可哀相な獣ピティワームの群だ。十数匹の数の可哀相な獣ピティワームが押し合うようにその身をくねらせ、芋虫とは思えぬ速度で街に向かって走りこんできた。


 巨大な一枚岩の上に聳えるメイブルトンだからだろうか、俺らの立つ足場はその巨体が揺らす地面の振動をつぶさに伝えてくる。まるで大型車が大量に行き交う産業道路が近くにあるかのように、細かく地面が揺れて窓枠がカタカタと揺れながら音を立てた。


「うう…臭いです…。ハ…ハルトさん…!風を吹かしてください…!」


 臭いの元であるからか、大量の可哀相な獣ピティワームからは例の刺激臭が漂ってくる。思わずタルテは鼻を摘み、俺に臭いを飛ばすように懇願してきた。鼻の良いタルテ程ではないとしても、集まった狩人も異様な臭いに顔を顰めている。タルテ以上に鼻のよい獣人族の狩人などは、たまらず顔を背けて嗚咽するように軽くえずいている。


 弓の狙いを狂わすこととなるため、あまり強烈な風を吹かすことはできないが、俺は街から可哀相な獣ピティワームに向けてささやかな風を吹かせた。それによって可哀相な獣ピティワームの刺激臭が森のほうへと押しやられ、代わりに街に漂っていた匂いが俺らの元へと辿り着いた。


 丁度日暮れが近い時間帯だ。緊急事態といってもどこの家でも夕食の準備をしているのだろう。どうにも食欲をそそる香りが俺らの鼻にとどいた。さっさと片付けて上手い飯でも食おうと思ったのか、あるいは人々の暮らす匂いが自分の背中に乗っている物を意識させたのか、狩人達が俄かに活気付くのを感じた。


「狩人達よ!弓を構え!敵は数多く強大なれど、生きている限り殺すことができる!」


 丁度俺らと門を挟んで反対側、物見櫓となっている尖塔の元で上半身が裸のオッサンがそう声を張り上げた。少し前に俺らに挨拶をしてきた彼はこの街のギルド長であるのだが、どうやら元狩人であったのだろう。彼は人の腕のように太い大弓を構え、狩人達と肩を並べている。


 彼の声に答えるように狩人達も声を上げる。そして一斉に引き縛られた弓からは街に近付く可哀相な獣ピティワームに目掛けて大量の矢が放たれた。


「撃て撃てぇ!アレだけ棘があるのだ!多少増えたところで効きはしない!」


 刺さった矢でハリネズミにしてやろうと意気込むが、既に敵はハリネズミのようなものだ。その棘が鎧となって簡単には刺さりはしない。それでも大量の矢はその棘を砕き、次第に可哀相な獣ピティワームの棘の下の皮膚にも矢が突き刺さってゆく。


 だが、可哀相な獣ピティワームも攻撃されて対抗しないわけではない。ナメクジのような細長い体を丸めたかと思えば、棘の生えた尾をこちらに向かって勢い良く振り払ってみせた。鞭のように撓らせてみせた尾からは生えていた棘が飛沫のように飛び散り、その軌道上に居た俺らに向かって飛来する。


「…破壊的下降気流ダウンバースト


 俺は掲げた手を下に向かって振り下ろす。それに合わせるように街と可哀相な獣ピティワームの間には地面に向う暴風が吹き荒れた。奴の飛ばした棘も、狩人達が飛ばした矢も、一切合財が地面に叩きつけられる。何が起きたのかと狩人達が慌てるが、地面に叩きつけられた棘を見て風魔法使いが棘を防ぐために風を吹かせたのだと推測して、直ぐに元の調子を取り戻した。


 同時に可哀相な獣ピティワームが棘を飛ばす瞬間をまじまじと確認することができたはずだ。知識としてそれを知ってはいるはずだが、知識だけでは予備動作や棘の飛ぶ速度は想像しづらい。初見では被害が出ると可能性が高かったが、一度こうやって防いでみれば次からは俺の風が間に合わなくても対応できるだろう。


「い、今のハルトさんの魔法で逸らしたんですよね?その…ありがとうございます」


「街に逸らす訳にはいかないから、ちょっと荒っぽいがな。全部俺が防ぐと思わないで向こうの動きを良く見て射れよ」


 地面に叩きつけられた棘を見て、近くに居たベルがおずおずと俺に向かって礼を言った。と言っても彼女は可哀相な獣ピティワームが身を翻した瞬間に即座に反応して身を伏せてみせた。彼女にとっては俺の風は必要なかっただろう。


「ほら、ベル。次の矢だ。まだまだ沢山有るから気張ってくれよ」


「チック。あまり無理させない。ベルも連発は難しいんだから一発一発を大切に」


 …俺らの近くにはベルだけでなく、チックとタックも居るのだ。チックはベルを守るように盾を構え、タックは弓を構えたベルに矢を手渡している。遠距離攻撃手段の無い二人が完全にベルのアシストについているのだ。


 三人を俺らの近くに配置したのは恐らくはあの受付の男の采配だろう。遠回しにこの三人の面倒を見させるような目論見を感じるが、それに気を悪くするほど狭量ではない。現に同じ闇魔法を使うメルルが、ベルに教え込むように彼女の傍らに侍っている。


「ベル。私もまだまだ極める途上でありますが、闇魔法は見通せぬほど奥が深いのです。…その矢に込めたように敵の体調を崩すだけが闇魔法ではありませんわ」


「えっと、もっと別の方法もあるって事でしょうか?」


 ベルは闇魔法を矢に込め刺さった者の生命力を低下させている。それはそれで効果的な攻撃手段ではあるが、メルルが言いたいのは闇魔法の使い方をそれだけに囚われるなと言いたいのだろう。メルルも攻撃には水魔法や血魔法をメインに行使することが多いが、そのほうが楽だからという理由であって闇魔法による攻撃手段が無いわけではない。


 そしてそれを証明するかのように、メルルは手に闇魔法の魔力を込め始める。ベルに闇魔法の使い方を示すために、あえて純粋な闇魔法を行使するつもりなのだろう。


「生命の息吹を宿す私達にとっては光魔法こそが主体ではありますが、そもそも世界は闇に属しているのです。…世界は闇に覆われ、そこに僅かばかりの光が瞬いているに過ぎません。故に闇魔法は世界を統べる魔法なのですわよ」


 闇魔法は低下、低減、停滞を司るため、魔法もそれに準じたものが多い。敵の魔法の効力を弱めたり、ベルがするように敵を直接的に弱らせたり…。だが、それでも風魔法のように火力が無いと言われることは無い。なぜならば、闇魔法には他の属性に負けないような火力を持った魔法が存在するのだ。


「沈むように溶けていくように…。闇に駆ける歌は狩りの歌。耳を澄ませど聞こえはしない。…夜が零れた涙ナイト・オウル


 メルルが手を掲げると、可哀相な獣ピティワームの上空に暗い靄が漂う。そしてその靄は闇となり、更に凝縮して一滴の黒い夜となって、可哀相な獣ピティワームに向かって静かに落下していった。


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