第534話 追うもの達

◇追うもの達◇


「治ったのか…?すまねぇな…、治療師さん。後で…ギルドを通して治療依頼を出しとくわ…。ギルドにいたってことは…あんたも狩人なんだろう?」


 オクロは傷のなくなった自分の腹を撫で、ゆっくりと上半身を起き上がらせた。失った体力までは戻っていないため随分と気だるそうだが、それでも座りながら頭を下げタルテとメルルに感謝の意を示した。


 付き添いの男もタルテとメルルにお礼を言うと、床に座るオクロに肩を貸して彼を近場の椅子に案内した。男はそのままテーブルの上に突っ伏すと、疲労を表現するかのように低い声を吐き出した。心配そうに彼らの容態を見ていたベルとチックも、彼が問題ないほどに回復したとみて緊張を解すように脱力してみせた。


「どこか…変な感触はありますか…?緊急を要する状態でしたので…広範囲を治療しましたけど…」


「強いて言えば…寒くてしょうがねぇ…。…誰か強い酒を持ってないか?」


「寒いのは血が足りていないからです…!お酒を飲むつもりなら眠ってもらいますよ…!」


 容態を確認するタルテにオクロは問題ないと手を振って見せた。体を温めるために酒を所望したのは冗談なのだろうか、タルテは唇を尖らせてそれを止めてみせる。眠らせると言われたオクロはタルテが素手で引き裂いた皮鎧を一瞥すると、本気にしないでくれと慌てたように手の平をタルテに見せるように胸の前で掲げてみせた。


 そして、タルテが酒に代わって彼の前に水を注ぐ。そして、ついでに自分の持ち物からドライフルーツを取り出すと彼の前に差し出せてみせた。彼女が大切に食べていたお気に入りの干し葡萄だ。


「血が足りないときは…水分と…少しの甘い物…。特に干し葡萄が効果的です…!」


「あ、ああ…すまない…。遠慮せずに頂こうか…。ああ…久々の甘いもんで唾液腺が弾けそうだ…」


 まさかそんなところまで面倒を見てくれるとは思っていなかったようで、オクロは目を白黒させながらも干し葡萄に手を伸ばした。そして、その甘味に顔をほころばせてタルテに礼をするが、タルテが悲しそうな顔を浮かべていたため、再び驚いたように目を見開いた。タルテの視線はオクロが手に摘んだ干し葡萄に釘付けであったため、何が悲しいのか察したのだろう。オクロは高い奴を買って返すと彼女に呟いた。


 その間にも先ほど依頼を出すと言ったように受付の男が依頼書を俺に差し出してきた。今回のようにタルテやメルルが他の狩人を治療を施した場合などは、マナーとして治療の依頼をあとから出して金銭を渡すこととなっている。そのため定型のような依頼がギルドにも存在しているのだ。俺とオクロはそれに手早くサインを書き込んだ。


「それで、この棘はもしかして…。オクロさんとキャリバーさんは、確か森の深部の探索に赴いていたはずですよね…」


「それが簡易拠点を棘の化け物が襲ってきたんですよ。…そうだ!その…チックが何か臭いがどうのこうの言っていたんですが…」


 怪我も治って金銭のやり取りも終わってめでたしめでたしと言うわけにもいかない。受付の男はタルテの引き抜いた棘を見詰めながらそうオクロ達を問いただした。オクロの相棒らしき男…キャリバーと呼ばれた男は身振り手振りでその化け物とやらの説明をする。


 だが、既にその化け物が何なのかは解っている。その棘は間違いなく可哀相な獣ピティワームの体表を覆う棘だ。そして仄かに彼らから漂っている臭いも、その存在を裏付けている。彼らのその言葉を聞いて、チックとベルは慌てたように口を開いた。


「そそそ、そうだ。臭いだよ!ハルトさん!オクロさんとキャリバーさんが、粘液のついたマントを街に持って帰ってきちゃったんだ!」


「そのマントは街の門で脱いでもらって、臭いがなるべく漏れないように樽の水の中にタックが沈めたんですが…。あ、タックは衛兵さんに可哀相な獣ピティワームの説明に向かってます!」


 彼らの体には粘液は付着していないものの、粘液がついた衣服を街に入る寸前まで身に着けていたらしい。…どうやら彼ら二人は可哀相な獣ピティワームの習性についてしらなかったようだ…。


 粘液を街まで持ち帰ったと聞いて受付の男も血相を変える。その異様な様子にオクロとキャリバーは首を傾げるが、受付の男が無言で魔物図鑑を差し出すと、開かれている可哀相な獣ピティワームのページに目を通して、彼らも顔を青くした。


「ベルちゃんが水に沈めて臭いを漏れないようにしてくれたってことですが…」


可哀相な獣ピティワームの嗅覚がどうなっているかは解明されていないが、犬や熊の類は臭いの元から漂ってくる臭いを感知するんじゃなくて、地面に残った臭いを辿ってくるんだ。…粘液がついた状態で街まで移動してきたなら、その足取りにも臭いが残っているはずだ」


 受付の男は俺に向かって言葉を濁しながらも尋ねてきた。要するに可哀相な獣ピティワームが街まで来る可能性を心配しているのだろう。同じ事を心配していた俺は、自分の見解を皆に聞こえるように打明けた。


 もし可哀相な獣ピティワームが、鮫が血の臭いを感知するように遠くから漂ってくる粘液の臭いを感知するのならベルのとった行動は効果があるだろう。だが、地面に移った臭いを辿ってくるなら話は別だ。可哀相な獣ピティワームは遅かれ早かれこの街に辿り着くこととなるだろう。何より、彼らが襲われたことで可哀相な獣ピティワームが一体ではないとの証明にもなるのだ。


「…直ぐに厳戒態勢を敷くことを提案します。朱色の狼煙を焚いて街の周囲にも警戒状態の周知、狼煙を見れば森に向かった狩人達も直ぐに戻ってくるはずです」


「そうです…か。確かにあまり悠長にしている訳にはいかないようです。可哀相な獣ピティワームが街の中に侵入してくる可能性は無いでしょうが、街の外にいる狩人達が心配ですね…」


 幸いなのがこのメイブルトンの立地的な堅牢さだろう。たとえ可哀相な獣ピティワームの大群であっても街の周囲を覆う岩壁を越えることはできない。だが、彼の言うように街の外にいる狩人が帰還する過程で可哀相な獣ピティワームと鉢合わせする危険性がある。狩人以外の住人は森の異変のせいで街の外に出ることを控えているようだが、それでも全く居ない訳ではない。直ぐにでも呼び戻す必要があるだろう。


 それに、いくら街が安全だといっても街の周囲に居ついてしまっては篭城戦のような状態になるはずだ。受付の男は狩人であるオクロとキャリバーが街に危険を齎してしまったことに苦い顔を浮かべるが、重症を負った彼らの状況であれば仕方ないとも言えなくない。むしろ、彼らの責任を低減させるためにも狩人が主体になってせまる危険に立ち向かう必要があるはずだ。同じ事を思ったのだろう。彼は今後の騒動に備えるべく、ギルドの奥に向かって駆け込んでいった。


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