第531話 指輪物語
◇指輪物語◇
「まさかこのような形で繋がるとは思っていませんでしたわ…。紋章入りの指輪をメイバル男爵に渡そうとした、マッティホープ子爵の真意はなんなのでしょう。それも、死に瀕した状態で…」
密やかな声でメルルが俺らに相談するように囁いた。そもそもの話、俺らがメイバル男爵領での依頼を受注したのは、メイバル男爵家の者が俺らと同じようにマッティホープ子爵家のことを探っていたからだ。
現マッティホープ子爵家当主のアントルドン・マッティホープの奥方がメイバル男爵家の人間であるため、二つの家は親戚関係にあたる。ならば親類として堂々と訪ねればよいものの、メルルの話では探るようにして秘密裏にマッティホープ子爵邸を探っていたのだ。
だからこそ、メイバル男爵領での依頼を斡旋されたときに、都合がよいとその依頼を受注したのだ。もちろん、物のついでの話でありメイバル男爵について本気出して調べるつもりがあったわけではない。言ってしまえばちょっと怪しいなと思っていただけなのだ。依頼のついでにメイバル男爵領についての知識を少しばかり仕入れるだけのつもりであったのだが、ここにきて調査対象であったマッティホープ子爵家前当主が顔を出してきた。
「何か裏が有りそうだよね。だけど三人が無事って事はなんも無かったんじゃない?」
「でもでも…、紋章の入った指輪って大事なものじゃないんですか…!?」
ナナもタルテも三人の話に更に興味を引かれたのか、少しばかりの興奮の色を含んだ声でメルルに答えた。二人の言うように、三人の語った事故の様子には不自然な点がそこはかとなく見てとれる。俺も三人の話を聞いて感じた不審点を頭の中で整理した。
…チック達が語る事故にあった貴族。彼らもその貴族の名前は知らないようだが、マッティホープ子爵家の紋章指輪を持っており、四年前に事故で死んだという情報が符合することから、ヴィロードの推薦人になった前マッティホープ子爵家当主のグレクソン・マッティホープとみて間違いないだろう。
「それで、戻って門を守っている衛兵さんに訴えたんです。事故があって大怪我してる人が居るって…!」
「そっから凄い騒ぎになったよな。…今思ったんだがあの指輪はその為だったんじゃないか?みんな指輪を見せたら目の色を変えてただろ?」
「あれは、多分貴族の証。指輪のお陰で貴族が事故にあったって信じたんだと思う」
俺らの内心を感じ取ることなく、チックとタック、そしてベルは事故の話を続ける。幼き日の彼らのちょっとした冒険譚は結末に向けて突き進んでいるのだろう。
「でも、やっぱり一人は残っているべきだったのかも…。だってあのお爺さん…」
「ベル。それは無理だよ。残っていたって治療できたわけじゃないんだから」
「そうそう。むしろ最速で助けを呼んだんだぜ?それで助からなかったんだから、もうどうしようもないだろ?」
助けを呼んでいる間にグレクソン・マッティホープは息を引き取ったのだろう。三人の顔色からは、全員が助かってめでたしめでたしという喜びを感じない。むしろ、少しばかり苦い教訓の一つとして彼らの中に根付いているのだろう。
だが、お話はこれでお終いという訳にはいかない。話を途切れさすことになるが、俺は感じた疑問を三人に向かって口にした。
「なあ、馬車にはおじいさんが怪我をしていたんだろ?…単純な話だが…、御者はどこに行ったんだ?まさか、箱馬車の中にいた貴族の爺さんが馬車を操作していたわけじゃないだろ?」
人の言うことを理解する賢い魔馬を用いた自走する馬車なんてものも有るらしいが、少なくとも眉唾の話であって王都でそんな馬車が走っているのを見たことも、誰かが所有しているということを聞いたことも無い。
「え?御者?…そうですよね。馬車があったんだからそれを運転していた人が…」
「…そう言えば、あの後、他に人を見なかったか聞かれたよね」
彼らも初めてそのことを疑問に思ったのか、三人して顔を見合わせた。考えてみれば当たり前の話ではあるが、四年前の幼き彼らはそこに目線を向ける余裕が無かったのだろう。いま改めて俺に訪ねられて彼らも不思議に思ったように頭を捻らした。
「まだ捕まっていないのですよ。…少なくとも、当時は大々的に捜索されましたが見つかりませんでした。…チック、タック。それにベルちゃんも。あの事故はそう意味ではまだ解決していないんです。だから、あまり軽々しく話すのはよくないですよ」
その声は俺らの後ろ。ギルドの受付のカウンターから飛んできた。上半身を逸らすようにして座ったまま振り返れば、そこには事務処理の書類を処理しながらも、こちらに耳を傾けていた受付の男が口を開いていた。
「あれ?そうでしたっけ?そんなこと聞いた記憶が…」
「あなた達はまだ幼かったですからね。でも一通りは説明されたはずですよ。…事故を起こした御者は罰を恐れて逃げたっていう話です。それに彼らの持ち込んだ指輪のせいで騒動が大きくなったんです」
「あ、それは覚えてる。本当に嫌になるほどお爺さんの言ったことを話されたもん」
俺らを超えて三人と受付の男の言葉が交わされる。事故の当時の風景を最も知っているのは当事者のこの三人ではあるが、それを取り巻く状況について把握するには、まだ幼かったのだろう。…チックの場合、今でも理解できるか疑問では有るが…。
「紋章の入った指輪は当主の証ですわ。…それを他家に譲ったとなると、介入を許可されたようなものです。後継者に指名されたわけではありませんが…、指名権を得たに近いように捉えることもできますわ」
引き起こされた騒動について想像ができたのか、メルルがそう口にした。まさか指輪にそんな意味があったのかと三人は驚いたように目を瞬かせた。
「そのせいですよ。指輪の所有権を巡ってメイバル男爵とマッティホープ子爵が大喧嘩です。私も具体的な事までは知りませんが、その頃は街が随分とピリピリしていましたよ」
だからこそチック達は何度もグレクソン子爵の最後の言葉を聞きだされたのだろう。僅かな言葉のニュアンスが、大きく意味を変えることとなる。それこそ、先ほどチックが言ったように大人を直ぐに動かすために一時的に渡しただけなのか、あるいは指輪が示す爵位という肩書きごとメイバル男爵家に委ねる意味合いなのか。
「あ、それで何度も事故の話をさせられたんですね…。てっきり事故の目撃者って、あんなことをみんなさせられるのかと…」
「んなわけないだろ。今思い出せば確かにあの事情聴取って奴は異常だったぜ。特にあの貴族の使いって言ってた奴は怒鳴るほど俺を問い詰めてたぜ」
「確か…あの男はお爺さんの家の人だったはず。…さっきの話が本当なら指輪をメイバル男爵に取られた形に成るから、多分焦ってたんだと思う」
衛兵ではなく、貴族直属の者に直接問い詰められたらしい。当時の苦い記憶を思い出して彼らは辟易としたような表情を浮かべた。
「なんだっけあいつ、ヴィ…ヴィなんとかって奴だ。しつこかったから今でもあの長髪の男は良く覚えてるぜ」
背もたれに体重を預け、椅子を後ろに傾けながらぼやく様にチックがそう言った。そして、その言葉を聞いて俺がヴィロートって名前かと反射的に尋ねれば、彼はそんな名前だった気がすると同意するように頷いて見せた。
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