第530話 内通者の推薦人

◇内通者の推薦人◇


「なんだったかな?とにかく馬車が横転してたんだ。たしか轍に車輪を取られてころんだんだっけか?」


 チックが手を頭の後ろに組み、椅子の背もたれに体重を掛けながら宙を見詰めてそう呟いた。彼の視線は宙を泳ぎながらも、四年前の事件を幻視しているのだろう。その情景を思い起こしながら、事故の様子を俺らに語る。


 土が剥き出しの街道はアスファルトと違って柔らかいため、深い場所になると踝が隠れるほどの深い轍を残すことがある。時にはそれがレールの代わりとなって馬車の進路を誘導する効果もあるが、一度馬車の速度や馬の制御を誤れば、馬車の障害となることも多いのだ。


「あれだよチック。車軸ってとこが折れたんだよ。ほら、車輪が一つ狼岩の方まで転がってたでしょ」


「ああ、そうだそうだった。良く覚えてるな。俺は横になった馬車の印象が強くて」


 タックがチックの思い起こした情景に加筆するように彼に言葉を投げかける。それにともないタックもそう言えばそうだったと脳内の光景を修正した。車軸が折れていたということは強引に轍を乗り上げようとして横からの力が掛かって破損したのだろう。


 だがそれでも横転し、しかも人死がでるような大事故ともなれば珍しい。馬が暴走したか、あるいは馬車に何か欠陥があったのだろうか。街道が整備されたことを踏まえると、悪路に原因があったとも思えるが…。


「私たちが辿り着いたのは事故の直ぐ後だと思います。だって馬車の中から呻く声が聞こえたんです…」


 チックの思い描いた情景を自身を思い出したのか、ベルが眉を顰めながらそう言った。チックとタックは平気そうであるが、それでもあまりいい顔色はしていない。意気揚々として語り始めたものの、その惨状はあまり語っていて楽しい物ではないのだろう。


 だが、狩人となった現在ならまだしも四年前の幼き日の彼らにとって、馬車の事故なぞ非日常の光景であり興奮するなと言うのも無理な話であったのだろう。彼らは過去の情景を思い出しながら、口々にそのときの内容を語ってゆく。


「呻き声を聞いて直ぐにチックが声を掛けたんだ。チックは良く考えないけど、その分判断が早いんだ」


「そりゃ、事故現場で呻き声が聞こえたら誰だって声を掛けるだろ。…良く考えないってのは余計なお世話だ」


「…タックだって人の事言えないよ。良く考えた結果、いつもチックに悪乗りするんだから…」


 三人で会話をしながら事故の状況を語る。俺らは彼らの会話を邪魔することなく、静かにその内容に聞き入っていた。


「その…、馬車は横になっていましたんで、俺の肩にタックを乗っけて馬車の上に登ったんです」


「馬車の上が横になって馬車の横が上になってたからね。出入り口は屋根にあるだけ。あ、でも御者席には小さな窓が付いてたんだよね」


「登っている間に私がその小さな窓から中の様子を確認したんです。…初めて見るような造りの馬車だったんで、少し戸惑いましたけど…。その時は、その馬車が貴族の乗る馬車だって気が付きませんでした」


 所謂、箱馬車と呼ばれる完全に個室となった馬車であったのだろう。幌などではなく木材によるしっかりとした造りであるため、横転していたのなら彼らの言うとおり上面に向いた扉を開かなければ人は出てこれないはずだ。貴族の乗るような箱馬車であれば御者席とは窓で繋がっているはずだが、人が出入りできるサイズではない。


「中にはお爺さんが居て額から血を流していました。凄い量の血にびっくりして声を出しちゃったのですが、その声にお爺さんが声を出したんです」


「ああ、あの爺さんその時はまだ生きてたんです。…俺もベルの後ろから覗いたんですが、明らかにやばそうで…その時は俺はどうすればいいか解んなくなっちゃいました」


「ギルドで応急処置の講習をチックとタックが真面目に受けたのも、あの経験のお陰だよね…」


 それでどうしたのかと俺が視線で尋ねれば、彼らは一息入れてから言葉をつむぎ始めた。


「僕が言ったんです。一番足の速いチックが走って街の大人を呼んでくるように」


「私たち三人じゃ、馬車を引き起こすことも中からお爺さんを引き上げることもできませんし、タックの言葉に従おうかと…」


「でもそしたら中から爺さんが声を掛けてきたんですよ。息も絶え絶えなのに、俺ら全員で街に助けを求めに行けって」


 どうやら事故を起こした馬車に駆け寄ってきた三人の子供を認識できる程度には、貴族の老人には意識は残っていたらしい。


「待ってくださいまし。わざわざ三人で助けを呼びに行くように言われたのですか?」


 彼らの話にメルルが口を挟んだ。確かに何故三人で助けを呼びに行かせたのか目的がはっきりしない。


「え?ああそうですね。でも、俺らが残っていてもできることは無かったですし…。それで言うとおりに三人で街に戻ったんです」


「あの、その時に私がお爺さんに指輪を貰ったんです。こう…御者席の窓から腕を伸ばして…。その指輪をメイバル男爵に届けてくれって…」


「そう!凄い必至で頼むもんだから、俺ら何が何でもその指輪を届けなきゃならないって思って…。それで三人でその言いつけを守るようにしたんです」


 ベルは指輪を受け取る素振りを再現し、チックも真横で見ていたであろう最後の願いを守ろうとする心意気を語って見せた。身振り手振りを用いて語る彼らの様子に、胸元に指輪を握り締めながら走るベルと、そのベルを守るようにして一緒に走るチックとタックの姿が幻視できた。


「指輪ですか…。死の間際でわざわざあなた方に指輪を託したと…」


「うん。僕はよく覚えているよ。開いた本と杖が書かれた指輪。あれって紋章って言うのかな?」


 指輪について考えを巡らせるメルルの言葉に答えるように、タックがどんな指輪であったかを説明した。そしてそれと同時に小さくメルルが息を呑んだ。


「…ハルト様。本と杖の紋章は…、…マッティホープ子爵家の紋章ですわ」


 静かに、俺らにだけ聞こえるような声でメルルはそう呟いた。マッティホープ子爵家は内通者であったヴィロートの推薦人だ。…確か、推薦した当主は事故で既に死んでいるため、どういう繋がりであったか聞き出すことができないでいたはずだ。


 つまり、その死んだ事故というのがこの三人が目撃した事故というわけだ。…ということはメイバル男爵がマッティホープ子爵家を探っていたのもこの事故が原因なのだろうか…。


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