第528話 男爵領で起きた事故

◇男爵領で起きた事故◇


「ええと…、ここが妖精の首飾りの皆さんが可哀相な獣ピティワームと遭遇した場所ですね。それと、この赤い印が他の狩人の方々からの魔物の報告があった場所で、こっちの書類はその報告数を纏めたものです」


 受付の男は俺らに説明するように地図の上に指を這わす。そここに書き込まれている情報を確認すれば彼が何を言いたいのかが俺らにも解った。森に異変が起きているといっても、森の全ての範囲が異常をきたしているという訳ではない。俺らが可哀相な獣ピティワームと遭遇した場所は、比較的他の場所よりも異常と判断されるような報告が少なく、平穏とは言えないものの他よりは普段の森と近しい状況なのだ。


 そして不可解なことに、可哀相な獣ピティワームと遭遇した場所からは真反対とも言える箇所でも異様な報告が上げられているのだ。生態系の乱れは伝播するとはいえ、可哀相な獣ピティワームが原因とするだけでは説明できない事象も多い。


「こう言っては失礼ですが、妖精の首飾りの皆様はお若いでしょう?だから比較的安穏な場所をご案内したのです。あの沢の近くは他の狩人も多く立ち入るので、他よりも安全なのですよ。…まぁ、可哀相な獣ピティワームが出てしまっては説得力がありませんが…」


「…というか、こっちの情報が正しければ、確実に可哀相な獣ピティワームが原因ではありませんね。あいつは居れば直ぐにわかるタイプの魔物ですので」


 俺は地図と一緒に差し出された報告を纏めた書類を指先で軽く叩く。そこには日付と共に狩人達の報告が簡潔に纏められているのだが、森が活性化し始めたのは最近になってからではない。古い報告を遡れば、それこそ五年も前に森に生息していないはずの血啜り蝿鳥オワゾムシュが目撃されている。


 それからも、ポツポツと生息していないはずの魔物や、その魔物に刺激されたのか活性化する魔物たちの目撃例が続いている。その目撃例は偶然と言ってもいい範疇のものではあるが、メイブルトンの狩人ギルドはそうは思わなかったのだろう。こうして古い記録が纏められているのが何よりの証拠だ。


 そして、その不安が正しかったことを裏付けるように、今年の春から魔物の目撃例が増加の一途を辿っている。春は冬越しした魔物が活気付く季節ではあるのだが、その活気は例年を遥かに上回る物であり、夏が目前に迫った今になっても沈静化する様子が無い。


「少なくとも、もっと前から可哀相な獣ピティワームが森に居たなら、誰かしらが保存された獲物を目撃しているはずです。彼らの痕跡は分かりやすいですから」


「棘の…抜け毛?…抜け棘にあの異様な臭いの粘液ですものね。確かに今年になってから狩人の監視の目も増えてますから、可哀相な獣ピティワームが居たならそれが見つかっているはずですね」


 可哀相な獣ピティワームは痕跡を色濃く残す魔物であるため、縄張りに入れば直ぐにわかるのだ。そういった痕跡が目撃されていないのであれば、それこそあの可哀相な獣ピティワームはごく最近になってからこの森に流れてきたのだろう。


 俺の意見に同意するようにギルドの受付の男は頷いて見せた。だが、それと同時になぜ可哀相な獣ピティワームが流れてきたのかという疑問も生じる。メイブルトンの周囲を囲う森は、メイバル男爵領の外にも跨っている山岳地帯とも繋がっているため、恐らくはそこから流れてきたのだろうが、そこで何が起きているのかは未だに判明していない。


 カウンターの上で雪崩を引き起こした書類の束には手紙も混じっているため、他所の領のギルドにまで手紙を飛ばして山岳地帯の魔物の動向を調べているのだと思われるが、未だに原因が特定していないとなると手紙の返事も芳しくないのだろう。


「あの、率直な質問ですがこの街は大丈夫なのですか?森と街の距離も近いですし…なにより王都と繋がっている街道は森の側を通りますわよね?メイバル男爵家が狩人ギルドに任せるだけとは思えないのですが…」


「大丈夫ってこの街がですか?ああ、不安にさせちゃいましたか。街のほうは問題ありませんよ。来た時に目にしたと思いますが、この街は高台の上に建っていますからね。その高台も巨大な一枚岩。例え地下を掘り進むような魔物でもこの街に侵入はできませんよ」


 森の異変の話題に乗ってメルルがメイバル男爵家についてそれとなく探るが、受付の男はメルルが単に街の心配をしていると思ったようで、自身の住む街の堅牢さを自慢するように説明した。確かにこの街の堅牢さは単なる街というよりも砦と言った方が正しいだろう。事実、立地だけを見れば山城と同じような構造なのだ。巨大な岩の断崖を越えて進入できる魔物なぞ、早々居ない事だろう。


「ああ、でも街道のほうはお嬢さんの言うとおりですね。メイバル男爵家も街道の平穏を守りたいらしくて、やたらとギルドにも口出ししてきてますよ。私としては早めに騎士団の要請をして欲しいのですが…」


 溜息を吐きながら受付の男はそうぼやいた。領主を批判するような意見ではあるが、流石にこの程度であれば不敬罪になることはない。メルルも苦笑いで彼の言葉を聞いているだけだ。


「そうだよね。あの街道が魔物のせいで通行止めになったら、この街は陸の孤島になっちゃうだろうし…。ただ、もしそんなことになっても、王都からの距離を考えれば直ぐにでも騎士団が駆けつけるだろうけどね」


「いやいや、男爵様が心配しているのは王都への物流が滞ることですよ。この領は王都に物を売って生きているようなものですから、未納となって信頼を損ないたくないのですよ」


 ナナが戦術的な不安要素を口にするが、近郊に兵力が控えているという点でもこの街は堅牢のようだ。それを理解しているのか受付の男も街道のことをそこまで心配する様子は無い。


「商人的な考えですが流通の確保も重要では?意外とそういったことで信頼を損なうと、後々にも響きますよ」


「いえ、もちろん解ってますよ。だからこそ騎士団を早めに呼んで欲しいのですが、どうやら面子を気にしているようで。…あの街道では数年前に王都の貴族が事故にあったのですが、そのせいで妙に神経質になっているらしいですよ?私もギルド長に聞いただけなんですがね」


「貴族が事故ですか?…確かに原因によっては厄介な問題ですね」


 王都の貴族。つまり他領の貴族が自領で事故にあったとなれば、原因や程度によっては問題が深刻化する。簡単に口にするのも問題があるのか、受付の男の声も何処と無く小声になっている。だが、依頼のついでにメイバル男爵家のことを聞きたかった俺らは、心の中に少しばかりの興味が芽生えた。


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