第527話 受付のウォッチさん

◇受付のウォッチさん◇


「ほほほ、ホントにホントに可哀相な獣ピティワームですか!?」


 時間が経ってもなおも忙しそうな狩人ギルドの受付に、俺は見てきたものをつぶさに説明した。そして本心から疑っているわけでもないのだろうが、可哀相な獣ピティワームが出たことを告げれば、彼は焦ったようにそう声を漏らした。


 大仰な身振りで驚いて見せた彼の肘が机にぶつかり、そのせいで傍らに積まれていた書類の山が雪崩をひきおこす。彼は更に慌てて書類の雪崩を押さえ込むが、それでも事の真偽を確かめるように、俺の顔をつぶさに窺っている。


「この討伐証明部位が何よりの証拠ですよね?」


「ま、まま待ってください。まだ同定が…。ず、図鑑と見比べますので…」


「少し貸してください。…ほら、ここのページ。ここに掻かれている詳細図と全く一緒でしょ?」


 俺が机の上に可哀相な獣ピティワームの棘を転がせば、彼は書類の山から図鑑らしき物を取り出して、必至でページを捲っていく。俺はそんな彼から図鑑を強引に取り上げると、可哀相な獣ピティワームが掻かれているページを開いて彼に差し戻した。


 狩人ギルドに置かれているような魔物図鑑は熟読しているので、可哀相な獣ピティワームのページも大体の見当がついたのだ。彼は俺から図鑑を受け取ると、眼鏡を指で支えながら図鑑の絵と実物を何度も見比べた。


「うぇえ…。本物だ。なんで可哀相な獣ピティワームがこの森に居るんだよぉ…」


「面倒な魔物ですけど、金にもなると聞いてますよ。粘液の臭いを使って故意に集めるような狩人も居るって噂が…」


「そりゃそうですけど、街を襲うような可能性のある危険な魔物は正直近くに居て欲しくはないです…」


 彼のぼやきのような独り言に俺が言葉を返せば、彼は渋い表情で心情を吐露した。狩人ギルドとしては金になる魔物は嬉しい存在なのだろうが、彼はこの街の住人でもある。この街に住まう者として、つい本音が漏れ出たのだろう。


「それで…ベルちゃん達は…。もしかして粘液を浴びたんですか?」


「一応は洗浄済みで、今は魔法で臭いを抑えている…はずですが、それを訪ねるって事は臭いますか?」


「その…ほんのりと。いや、これが可哀相な獣ピティワームの粘液の臭いかどうかは初めて嗅ぐので解らないのですが、…この臭さも図鑑の説明どおりですね…」


 彼は図鑑に書かれている可哀相な獣ピティワームの特徴に目を這わせながら、それを確かめるように空を仰ぐように顔を上げて周囲に漂う臭いを確認する。既に俺は鼻が慣らされてあまり感じないが、彼にはまだ感じ取ることができる程度にはチックとタックは臭っているのだろう。


「あの…ウォッチさん…。臭いのはチックとタックだけで、私は臭いませんからね…!」


「あ、ああ。そうなんだ。ベルちゃんは浴びずにすんだんだ。そりゃ、まぁ幸運だったね。…いや、そもそも可哀相な獣ピティワームに出会って生きて帰ったことが何よりの幸運だよ。君らは後でしっかりとお説教するからね」


 女の子であるベルは臭っていると思われたくなかったのか受付の男に訂正するように言葉を投げかけるが、受付の男はそもそも三人が言いつけを破って森に踏み入ったことを思い出したのか、眼鏡を光らすようにして三人を睨みつけた。


 それを言われては三人は何も言い返すことができない。その受付の男の責めるような視線を一身に受けて、許しを請うように眉を悲しそうに顰めて見せた。ベルとチックとタックのそんな様子をみて、彼らの教育に悩んだのか、あるいは五体満足であることに今更ながら安堵したのか、受付の男は目を伏せてゆっくりと溜息をついた。


「…ほら。会話をしたせいで魔法の制御がまた甘くなってますわ。もう一度ゆっくりと構築しなおしなさい」


「は、はい。解りました!」


「ベル…。あのな、臭いを押さえてくれるのは有り難いが、なんかこう妙に疲れるんだが…」


「それは闇魔法があなたの体にも作用しているからですわ。…どうやらベルの闇魔法は浸透性に優れているようですわね。矢を媒介に魔法を使うのは正しい選択とも言えるかしら…」


 可哀相な獣ピティワームの粘液の残り香は魔法によって抑えているが、その魔法を行使しているのは俺らではなくベルなのだ。まだまだ魔法使いとしては未熟で、普段も魔法をメインで狩りを行うのではなく、矢に闇魔法を込めて狩猟対象の体力低下をするという使い方をしているそうだが、紛れも無く彼女は闇魔法の使い手なのだ。


 その事を知って、同じ闇魔法の使い手であるメルルが彼女に闇魔法の軽い手解きをしているのだが、その丁度いい教材がチックとタックだ。臭いの正体は空気中を飛散する揮発性の低分子の物質であるため、闇魔法にて不活性化すれば抑えることが可能なのだ。少しばかり彼らの生命力も不活性化されて疲労を感じてしまっているようだが、そこは大目に見てもいいだろう。


「それよりもウォッチさん!あの棘だらけの化け物が異変の原因なんだろ!?これで解決したってことなんだよな?」


「何がそれよりもですか…。それに…異変の原因かどうかは…まだ明言することはできません」


 可哀相な獣ピティワームを討伐したのは俺らだが、厳密に言えば発見者はチックとタックとベルだ。そのため、もし可哀相な獣ピティワームが異変の原因であるなら彼らの手柄とも言えなくは無い。そのことを主張したいのかチックが受付の男に詰め寄るように言葉を投げかけるが、彼は少し悩んだ後、目を瞑りながら大げさに首を横に振って見せた。


 そして彼は再び可哀相な獣ピティワームのことが書かれた図鑑に目を向けて、そこに書かれた情報を何度も確認する。しかし、やはり何か引っ掛かるものを感じ取ったようで、深く考え込むように沈黙を貯えた。


「あの…何か気になることが?」


 彼の沈黙を破るように声を掛ければ、彼はハッとして俺と視線を合わせた。


「あ、ああごめんなさい。その…確かに図鑑によると可哀相な獣ピティワームは森を荒らすそうですが…、今回の異変はなんか違うかなと…」


 俺らよりも今の森の状態に詳しい彼は、言葉を濁しながらも可哀相な獣ピティワームが異変の原因である可能性は少ないと判断したようだ。ある意味では俺らの手柄を減らすことになるため、どこかその口ぶりは申し訳無さそうだ。


 しかし俺は手柄よりも異変の原因ではないと判断した彼の推測のほうに興味があるため、そのまま彼の話を促すように頷いて見せた。俺の反応を見て、彼は片手で抑えていた書類の山から今度は地図を取り出し俺らにも見えるように机に広げてみせた。


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