第526話 森の泥濘を乱すもの

◇森の泥濘を乱すもの◇


「酷いや…酷いや…」


 チックとタックはメルルの水魔法によって雑に洗われ、ナナが哀れむように火を熾し冷えた体を暖めてあげている。メルルの強引な洗浄によって粘液は全て流れ落ちたように見えたが、火の熱気に当てられると染み付いた臭いがほんのりと漂い、あまりのしつこい臭気に女性陣が再び顔を顰めた。


 火の暖かさと女性陣の視線の冷たさが温度差によって気流を産みだしそうなほどではあるが、事実、臭いを拡散させるために俺が風を吹かせているため、あながち冗談とも言い切れない。俺は巻き込まれてはたまらないと、彼らと距離を置いて打ち倒した可哀相な獣ピティワームを検分する。


「あの…ハルトさん…。この子も埋めてしまいますか…?それともこの臭いですから普通に埋めるは駄目ですか…?」


「いや、森に埋めるなら特に処理は必要ない。処理が必要なのは有用部位を剥ぎ取る場合なんだが…、メイブルトンにその薬液は置いてるか解らんな」


 男の子の洗浄と脱臭に参加していないタルテは、俺と共に死骸の近くに立って声を掛けてきた。彼女は臭いに敏感だからか、俺よりも死骸から一歩距離を置き、そのうえ泣き顔のように顔を顰めている。それでも死骸に近付いて俺に声を掛けてきたのは、さっさと臭いの元を土の下に埋めてしまいたいからなのだろう。


 討伐証明の棘を剥ぎ取り残りの有用部位はどうするかと頭を悩ますが、可哀相な獣ピティワームが出るとは聞いていなかったため、持って帰るには少し危険な可能性がある。というのも、可哀相な獣ピティワームの有用部位は何を隠そう彼女達を苦しめているこの粘液なのだ。


 可哀相な獣ピティワームの粘液は異様に臭く、更に言えばその臭い自体が可哀相な獣ピティワームを引き寄せるという特性があるためとても有用には思えないのだが、適切に処理をすれば有効に使うこともできるのだ。


 だが、メイブルトンの狩人ギルドに処理をする準備が無ければこの危険な粘液を街に持ち帰る訳にはいかない。その事を聞き出すため、俺は可哀相な獣ピティワームに追われていた三人の狩人に声を掛けた。


「三人ともこの森には詳しいのか?悪いが俺らは今回が初めてなんだ」


「私もチックもタックもメイブルトンで育ちましたから、他の人よりは詳しいですよ?えっと…、外から来た狩人の方々ですよね?」


「うん。今は王都を拠点にしているんだけど、依頼でもの森まで遠征してるんだ」


 ここに来て、初めてベルと呼ばれていた女の子の狩人は俺らがどういう存在なのか気にするように首を傾げた。それもそのはずで、済し崩しに戦闘に突入し、戦闘が終わっても激臭という名のトラブルのせいで禄に自己紹介もできずにいたのだ。


 その声に促されるようにして俺らは互いに自己紹介をする。それと共になぜ鉄級の彼らがここに居るのかと目線で訪ねれば、ベルが申し訳無さそうに狩人ギルドの指示を無視して森に踏み入ったことを打明けた。彼らは俺らの二つ下の年齢で、同年代の俺らが森に踏み入ったのを見て自分達もと森に入ったそうだが、俺らの年齢で数年の差はかなりの差だ。あまりに考えなしの判断といえよう。


「…少しぐらいは危険を冒さないと成長できないだろ」


「もう…!それでこんな目にあってるんじゃない!まだ懲りないの!?」


「ど、怒鳴るなよ…。…ベルが怒鳴るなんて珍しいな…」


 俺らの呆れた空気を感じ取ってか、チックが言い訳をするようにぼやくが、それをベルが窘める。そもそも無理をして森に入ったのはチックとタックが主導であり、ベルは終始反対していたらしい。それでも彼女は、二人を止めはしたが彼女自身もなんとかなると考えていた節があると、恥じ入るように打明けたのだ。


「いや…だってこんな化け物が居るなんて誰も言ってなかったじゃないか…」


「それを調べるために私たちが赴いたのですわ。危険度が未知数の段階で鉄級を踏み入れさせるわけにはいかないでしょうに…」


 女性陣の冷たい視線は、今や刺すように鋭くなっている。流石に自分たちの失態を理解したのか、チックとタックは肩を窄めてその視線から逃れるようにベルの後ろに隠れた。


「化け物って言ったが三人は可哀相な獣ピティワームを知らないのか?…ってことはこいつは本来ならここらに居ない魔物ってことか…」


「この森に居る魔物は全部教わりましたが、こんな魔物は聞いた事がありません。やっぱり、森はいつもと違うみたいですね…」


 俺の質問に答えたベルの言葉を聞いて、俺は可哀相な獣ピティワームの粘液を採集することを諦めた。可哀相な獣ピティワームの危険な粘液は、硬化するという特性を利用して硬質ゴムのような素材として使われるのだが、問題はその臭いと毒性だ。それを不活性化処理をするためには錬金術によって作り出す薬液が必要となるのだが、普段から可哀相な獣ピティワームが出現していないのなら、狩人ギルドにその薬液が常備されているとは思えない。


 タルテに埋めるように頼むと、彼女は漸く臭いの元を断てると意気揚々に巨体を地中に沈めてゆく。その巨体が溺れるように地面に沈み込んでゆく様を見て、再びチックとタックは感嘆するように小さな歓声をこぼした。


 そして、その高揚は俺の手に握る討伐証明部位にも向けられた。チックとタックは可哀相な獣ピティワームが完全に埋まって見えなくなると、俺の手に残った棘を観察し始めたのだ。


「な、なぁ。居ないのに居たってことは、この騒動の原因はこの魔物なのか?それなら結構なお手柄なんじゃ…?」


「…ありえなくないが、確定とは言い切れないな」


 まだ、森の現状を俺らはしっかりと把握していないため、可哀相な獣ピティワームが原因とは判断できない。しかし、チックの言うとおり森が荒れる原因が可哀相な獣ピティワームであることも十分に考えられるだろう。


「この粘液は獲物を固めて保存するって言ったろ?そのせいもあってか可哀相な獣ピティワームは満腹でも狩りをするんだよ」


「つまり、必要以上に狩りをするから森が荒れるって事?なんだか随分迷惑な魔物だね」


 俺の説明にナナが感心したようにそう言葉を零した。可哀相な獣ピティワームも一生懸命に生きているに過ぎないのだが、他の生物からしてみれば彼女の言うとおり傍迷惑な行動には違いない。


 貯食行動をとる生物は数多く存在し、例えばモズの早贄やリスが木の実を埋める行動がそれである。しかし、リスは埋めて隠した木の実の隠し場所を忘れ、新たな木の芽吹きに繋がると言われているが、可哀相な獣ピティワームの貯食行動は森の生態系を壊すことに繋がってしまう。だからこそ、可哀相な獣ピティワームは山荒らしと揶揄されることもあるのだ。


「では、来たばかりで引き返すのもなんですが、報告のために戻りましょうか。…彼らを街に戻す必要もありますしね」


 感慨深げに可哀相な獣ピティワームの墓を見つめる俺らを傍目に、メルルがそう呟いた。それは暗にチックとタックとベルを街に返すまで面倒をみる、逆説的に街に戻るまで監視すると言っている様なものであるため、チックとタックは軽く落胆し、それを見咎めるようにベルが再び彼らに冷たい視線を投げかけた。


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