第525話 可哀相な者達

◇可哀相な者達◇


「ぅおぉお…!ま、魔法で焼いたのか…!?」


 逃げてきた三人の狩人は、尋常じゃない火力に動物としての本能的恐怖を抱いたようだが、それでも状況を理解すると共に憧れにも似た感嘆の声が漏れ出した。特に双子らしき男の子の二人は、羨望の眼差しでナナのことを見詰めている。ナナは比較的、妖精の首飾りの中でも背が高く大人びているため、同年代といっても憧れのお姉さんのように思えたのだろう。


 そんな視線を背後から浴びながら、黒く焦げた可哀相な獣ピティワームを完全に仕留めるべく、四人で一斉に攻め立てる。炭化した棘は灰となって崩れ、今では小枝と言ってもいい強度しかない。俺らの攻撃にあわせてパキパキと小気味よい音を立てながらその巨体が切り刻まれてゆく。


「押し切りますよ…!皆さん…!気をつけてください…!」


 既に死に瀕した可哀相な獣ピティワームは放っておいても次期に息を引き取るだろうが、確実に止めようとタルテが拳を掲げ上げた。それに合わせて俺らはバックステップで距離を取るが、それと同時にタルテの拳が叩き込まれる。


 その衝撃は可哀相な獣ピティワームの巨体を揺らし、内部で衝撃が弾けた。俺らの切りつけた傷口はその衝撃で一気に拡張され、緑色の体液が飛沫となって飛び散った。可哀相な獣ピティワームはミートハンマーで下拵えされた塊肉のように、重力に引かれるまま地面の上にデロンと広がった。


 四人そろって残心の体勢をとる。沈黙と共に可哀相な獣ピティワームを見守るが、力の抜けた可哀相な獣ピティワームは今際の際の国に誘われているようだ。


「た、助かったよ…!まさかこんな化け物を討伐するなんて…!」


「あっ…!ちょっと、チック…まだ近付いちゃ…」


 可哀相な獣ピティワームが死んだと判断したのか、後ろに控えていた男の子の狩人が前に出てくる。女の子の狩人が彼を引き止めるものの、まじまじと可哀相な獣ピティワームを観察できる状況に好奇心が刺激されたのか歩みを止める様子は無い。


「…!?おい!まだ近付くなッ!!」


 止まる様子の無い狩人に、俺は即座に声を掛けえる。しかし、不運なことに位置もタイミングも最悪のものを引いたようで、彼とその後ろに相乗りするように控えていた双子の狩人に向かって、可哀相な獣ピティワームの悪足掻きと言うべき攻撃が放たれた。


「おあっ!?なんだこれはよおッ!」


「!?チック!タック!」


 不快な湿った音と共に、可哀相な獣ピティワームの大きな口から大量の粘液が吐き出される。攻撃といっても、死ぬ瞬間に力が抜けて肉体が嘔吐反射をおこしただけであり、実際には可哀相な獣ピティワームにも攻撃をする意図は無かったのだろう。だが残念なことに、その大量の粘液の先にはチックとタックと呼ばれた狩人が居たのだ。


 下半身を中心に黄褐色の粘液を浴びた二人に紅一点である女の子の狩人が悲鳴を上げながら近付こうとするが、それをメルルが羽交い絞めにして彼らから遠ざけた。冷静さを欠いた彼女だと、二次災害を引き起こすと判断したのだろう。


「気持ちはわかりますが、慌てちゃいけませんわよ。二人は体液を浴びた程度ですわ」


「で、でも二人が…!?」


「なんなんだよぉ。この液は…。だ、大丈夫なんですよね?」


 体液に濡れた二人は俺らに救いを求めるような声を上げる。完全に可哀相な獣ピティワームが死んだことを確認した俺は、どうするべきかと彼らの向き直った。


「毒があるが…死ぬようなもんじゃない。直ぐにどうにかなることは無いはずだ。問題は…」


「問題は…?」


 俺が全てを語る前に周囲の人間は何が問題か気が付いたのだろう。顔を顰めて彼らから一歩距離を取った。先ほどまで二人を心配していた女の子も、今ではおぞましいものを見るような目で彼らを見つめている。


「臭っさ!?何なんですかこの臭いは!?」


「…他の生物に獲物を取られないようにする可哀相な獣ピティワームの生きる知恵って奴だな」


「なにが生きる知恵ですか!この臭いはそんな高尚なもんじゃありませんよ!」


 あまりの臭いのせいか、初対面にも関わらず女の子の狩人は俺に対して声を荒げている。そして叫んだせいで臭気を吸い込んでしまったようで、顔を青くして口を押さえながら木陰へと移動していった。


 ナナもメルルもあまりの臭気に絶句している。特にタルテはこの臭いが耐えられないようで、木陰に避難した女の子に着いていくことで完全に彼らから距離を置いている。


「おい。下着は吐いてんだろ。取り合えずその粘液塗れのズボンは脱げ。時間が経つと固まって脱げなくなるぞ」


「脱ぐって…。え、でもだって…」


 俺の指示を聞いた二人は、チラチラと他の女性陣の視線を気にしている。女性交じりのチームであるようだが、意外にも初心な反応だ。だが、そんな恥じらいは捨ててしまえと、俺は軽く彼らを睨み付けた。


「いいから早く脱いでくれ。…どうすっかな。このままじゃお前ら街に入れないぞ…」


「えぇ!?帰れないって事なの!?」


「…二人とも。その臭いを身に纏って街に入るつもりだったの?正気?」


 なんとか吐き気を治めた女の子の狩人が戻ってきて、二人に辛口な言葉を投げかける。だが、その内容は真っ当な物であるため、二人はいそいそとズボンを脱ぎ始めた。


「これが可哀相な獣ピティワームの可哀相なもう一つの理由だ…」


「もしかして、粘液を浴びると可哀相なことになるから可哀相な獣ピティワームって言うの?」


 俺はナナの質問に無言で頷いた。棘だらけの巨体という厄介な魔物であるが、何より厄介なのがこの粘液なのだ。可哀相な獣ピティワームの粘液は神経毒を含んでいるうえ、時間が経つと硬質ゴムのように硬化する。だからこそ、可哀相な獣ピティワームは獲物にこの粘液を吐きかけることで、獲物を仕留めるだけではなく保存することにも利用するのだ。


 熊などは食べきれない獲物を保存するために、土で埋める土饅頭というものを作り出す習性があるが、可哀相な獣ピティワームの粘液も似たようなものだ。可哀相な獣ピティワームの出没する森には生きたまま保存される可哀相な獲物が散見することもある。


 だが、単に保存しているだけでは他の肉食獣に獲物を掠め取られることもある。それを防ぐために可哀相な獣ピティワームが用いるのがこの異様な刺激臭なのだ。真っ当な嗅覚をもつ存在であれば、臭すぎて保存された獲物を食べることは無い。そして、獲物を奪われるのを防ぐだけでなく、この刺激臭にはもう一つの役目があるのだ。


可哀相な獣ピティワームはこの臭いを追ってくるんだよ。他にも居ないとは限らないから、臭いを落とさなきゃ街に入るどころか近付くのも避けたほうがいい」


「流石に活性化している森で野営は危険ですわ。沢も近いのですから、とにかく洗いましょう」


 その声と共にナナは水魔法を行使して、球体の渦を作り出す。さっきの戦闘では見て解るような水魔法を行使していなかったため、彼らは驚いた顔を浮かべるが、それと同時にその渦が自分達を洗うための人間洗濯機だと知って、引きつった笑みえと変化した。


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