第523話 可哀相な獣

◇可哀相な獣◇


「ねぇ、チック。本当に行くの?手伝いが終わってないんだからウォッチさんに怒られるよ」


 森へと踏み入るチックと呼ばれた狩人の後ろから、弓を持った女の子のベルが弱気な声を掛けた。彼女達は本来であれば狩人ギルドの雑用を手伝うことになっていたのだが、それをサボって森の中へと踏み出しているのだ。


「大丈夫だって。手伝いって言っても単なる荷物運びだろ?そんな仕事をするために狩人になったんじゃないんだ」


「そうそう。それにベルだって見ただろ?俺らと同じぐらいの奴らが森に入って行ったの」


 問題ないと豪語するチックに、彼の双子の弟であるタックが乗っかった。彼らは怯えるベルを強引に引き連れるようにして、森の奥へとどんどんと進んでいく。ベルは森の中へ入ることを反対しているものの、幼馴染で同じチームを組んでいる二人を無視することができず、仕方無しに彼らの後ろを追っていく。


「あいつらが森に入れるんだから俺らだって大丈夫だよ。ウォッチさんは心配性なんだ」


「だって…、ウォッチさんは鉄級じゃ危ないって…。あの人達は銅級なんじゃないの?」


「俺らだって銅級になるところだろ。ぜってーあいつら、他の場所で評価を稼いだんだって」


 弱気なベルを納得させようと、チックは彼女に声を掛ける。その焦りが解らない訳ではないため、ベルもそれを聞いて押し黙った。


 チックとタック、そしてベルはメイブルトンで育った三人組の狩人だ。順調に経験を重ね、今では薬草の採集などではなく、小型の魔物を相手に戦闘をしたこともある。そして銅級への昇格が見えてきた所でこの騒動だ。森へと入ることを禁じられ、思わぬところで足踏みすることとなったのだ。


 また、他の場所で評価を稼いだというのも有り得なくは無い話だ。ギルド員のウォッチさんが口を酸っぱくして彼らに言い聞かせているのは、メイブルトンの周囲の森は異様とも言えるほどに穏やかだということだ。この森が当たり前だと思って他の場所に行けば、その認識が油断を生み簡単に命を落とすことになると何度彼に言われたことだろうか。


「確かにいつもより危ないんだろうけどよ。むしろ評価を稼ぐチャンスってわけだ」


「そうそう。わざわざ遠征して鍛える必要がなくなるんだよ?」


 だからこそ、森に入った同年代らしき四人組みが他の場所で評価を稼いできたと思ったのだろう。森が余りにも平穏であるため、あまり戦闘による評価を得ることが出来ないでいたのだ。だからこそ、魔物が活性化している今がチャンスだと思うのも、ある意味では自然な流れとも言えよう。


 だが彼らも馬鹿ではない。あるいはずる賢いと言うべきだろうか。稼ぎ時と認識しているように、今が危険な状態だとはわかっている。だからこそ、ギルドの手伝いをしているときに、あの四人組が指定された場所を盗み見していたのだ。


 同年代の者が指定された場所なら、他よりも比較的危険が少ないのだろう。そして地元の狩人である彼らは狩人の使う山道についても熟知している。沢から向かった四人組を追い越すようにして、目的地である場所に向かって先回りしているのだ。


「…あんまり魔物が居ないな。本当に森は危険なのか?いつもと変わらないじゃねえか」


 しかし、警戒していた割には魔物と出会うことが無い。遠くには何かの雄たけびなども聞こえるものの、彼らの進む先に出没することは無く、だんだんと警戒心が薄れ足取りは軽くなってゆく。


「で、でも…。ウサギとかも出てこないよ?いつもだったら姿を見せるでしょ?」


「心配するのはいいけど、それはびびり過ぎだって。震えちゃまともに戦えないだろ」


 油断しているチックとタックを諌めるように、ベルは異常だと宣言する。だが、その言葉も目に見える光景に勝てるはずは無く、チックとタックは奥へ奥へと進んで行く。


 そして、目当ての場所に辿り着くとそこで初めて魔物が蠢くのを彼らは目撃した。何かが森の奥で蠢くのを目にして、忘れかけていた警戒心を再び取り戻す。かと言ってその警戒心は逃走という選択肢を取るには至らず、彼らは息を潜めてゆっくりとその影に近付いていった。


 低木に身を隠しながら何かが蠢いた場所を慎重に覗き込む。それと同時に彼らの鼻腔に血の臭いが漂ったが、それを意識する前に彼らの体は低木から身を乗り出していた。


「…ひッ…!?」


 狼らしき死体を貪っていたそれは、ベルの口から漏れた僅かな悲鳴に反応して顔をこちらに向けた。ナメクジや芋虫のような体型でありながら、その体高は彼らの二倍以上あり、横に長いため体積で見れば数十倍はあるだろう。その巨体であれば馬車程度であれば簡単に押しつぶせそうだ。


 そして、体表にはヤマアラシの様に太く鋭い棘が毛のように生え揃い、唯一の毛の無い箇所である顔面には、その巨体からしてみても異様に大きな丸い口が洞窟のように暗闇を蓄えている。


 悲鳴を上げながらも、ベルはどこか意識の隅で巨大な蓑虫の巣のようだなと感じていた。しかし、そんな思いも即座に恐怖に押しやられて、彼女は思わず硬直してしまう。三人は知らなかったが、それは可哀相な獣ピティワームと呼ばれる肉食性の魔獣であり、銀級の狩人でも持て余すほどに危険な存在だ。


 ベルの小さな悲鳴で三人に気付いた可哀相な獣ピティワームはまるで雄たけびを上げるように口を広げると、即座に足元の狼の死体を咥え瞬く間に丸呑みにした。そして蠢動する体は三人のほうへと向きを変え、丸い口からは涎が多量に滴っている。誰がどう見ても、次なる獲物として三人が見初められたことが解る。


「にっ、逃げるぞ!」


 ベルはチックの声で我に返る。そして蠢く可哀相な獣ピティワームに追い立てられるようにして、三人は来た道を一斉に引き返した。


「なに!?なんなのあれ!?私知らない!」


「俺だって知らないよ!あんな魔物!この森に居るはずない!」


 恐怖を紛らわすために、彼らは逃げながらも悲鳴に似た言葉を叫ぶ。しかし、叫んだところで逃げ切れるわけでも疑問が解消するわけでもなく、背後に聞こえる木々を圧し折る音が三人の混乱を加速させる。


 だからだろうか、来た道を引き返していたつもりが、いつの間にか知らない場所にへと迷い込むこととなった。しかし、だからと言って足を止めるわけにはいかない。三人はがむしゃらに足を動かすことしたできなかった。


 幸いにもあの化け物は足が遅いらしく、即座に追いつかれることは無かった。それでも逃げ切ることは叶わず、彼らは背後を時折振り返るものの、あまり広がっていない距離に顔を引きつらせた。


『おい!こっちだ!そのまま逃げてこい!』


 だが、そんな三人の下にどこからか声が届いた。姿が見えないため幻聴にも思えたが、藁にもすがる思いの三人は、その声に救いを求めて従うように真っ直ぐ走り続けた。そして森の切れ目に差し掛かり、一気に視界が開けたそこには、朝に見た四人組みが武器を構えてそこに並んでいた。


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