第518話 船頭は一人だけど、気が多いと山昇る
◇船頭は一人だけど、気が多いと山昇る◇
「いや、もちろん代官なんかを目指すなら学んでいても可笑しくはないんだけど…、代官志望の宮廷貴族の嫡男って珍しいなって」
疑問を具体的に説明するようにナナは言葉を続けた。彼女が言うには、地方領主家の子息でなくとも王領を統治する代官であるならば領地経営学が必要となるらしいが、その代官を目指すのは次男や三男などの家から出される立場にある者ばかりだという。
宮廷貴族の嫡男であるヒュージルであるならば、わざわざ家を離れて王領での勤務を望むはずは無い。もちろんそのような単身赴任と言うべき状況になる者は数多くいるため、それを見越して学んでおくというのも有り得なくは無いが、他にも学ぶべき物がある状況でそれを選択することは考えづらい。
「…家族との関係が悪くて、直ぐにでも家を出たいとか?」
「確かにメルルの報告書には家族関係は円満とは書いてないけど…、それなら地方領主家に取り入るんじゃない?交友関係にそんな人居なかったよね」
「冗談で言ったんだよ。本気で返さないでくれ」
俺はそう言ったが、ナナも本気で言ったわけではないだろう。俺の言葉を聞いて楽しげな様子で笑ってみせる。だが、彼女の指摘した点が気になった俺は、鞄から今までに纏めたヒュージルの情報を取り出した。
振り返ってみれば彼の選択する授業どころか、自由聴講として参加した授業にも不自然な箇所が散見された。俺はその情報を抽出するように線を引いた。
「まずは…さっき言った領地経営学だよね。あとそれと、農学に治水学…、修辞学は…まぁ可笑しくは無いかな…」
「なんか手当たりしだい修めてるかんじだな。…騎士と一緒に山岳訓練を兼ねたフィールドワークにも参加した記録もあるな。何を目指しているんだ?」
俺が何をしようとしているのか察したナナが、横合いから俺の手元の書類に指を這わせる。山岳でのフィールドワークなぞは、野営演習とは違って山を歩くための訓練だ。タルテのような薬学を学ぶ者も参加はしているが、なぜ文官志望の彼がそんなものに参加したのか真意を推測することができない。
自分の可能性を手広く試しているとも取ることができるが、どうにも違和感を拭いきれない。俺はどうにかして払拭できないかと頭を悩ませるが、今一納得できる理由を思いつくことができない。それでもこれは特記事項にあたる要素かと俺はちょっとした感触を覚えた。
「あ…!ハルトさん…!ナナさん…!ちょっとした進展があったそうですよ…!」
俺とナナの歩みを止めるように、横合いの学び舎の角からタルテが声を掛けてきた。その後ろにはメルルの姿もあり、走り出すタルテを追うように彼女もゆっくりと歩み寄ってくる。
「我が家から連絡がありましたわ。どうやらマッティホープ子爵家の周囲でメイバル男爵家が何かを企んでいるようです」
メルルは俺らに近寄ると、いつも以上に身を近付けながら、潜めた声でタルテが告げた言葉の内容を俺らに打明けた。だが、同時に聞きなれない者の存在に俺は首を傾げて更なる説明を彼女に求めた。
「企んでる?何を見つけたんだ?」
「こちらの諜報員とは別に、何やら子爵邸を探る者が居たのです。…念のために付けてみれば、その者はメイバル男爵邸に帰って行ったそうですわ」
新しい役者の登場に俺とナナは軽く驚きながら彼女の言葉に耳を傾けた。メイバル男爵という名はどこかで聞いた覚えがあるが、それを思い出す前にナナとメルルが会話を続けたことで答えを知ることとなった。
「探ってるって事は…その、メイバル男爵家はマッティホープ子爵とは別の勢力ってこと?」
「それはまだ解りませんわ。と言いますのもアントルドン・マッティホープ子爵の奥方の生家がメイバル男爵家なのです。…ですが、探るように近付くのは余りにも不自然ではなくって?」
ナナの疑問は予測していた内容であったのか、メルルは淀むことなくそう答えた。聞き覚えのあるメイバル男爵家という名前はメルルの齎した報告書に書いてあったのか。確か奥方の名前はジャルジーだっただろうか。実家からのお手紙を奥方に届けに来た可能性もあるが、それならば堂々と訪れるはずだ。メルルの言うとおり、探るように邸宅の周りをうろつくのは怪しいことこの上ない。
大発見というほどではないが、もとより俺らが欲していたのはマッティホープ子爵家の交友関係の情報だ。もし、メイバル男爵家がマッティホープ子爵家と深い交友関係を築いているのならば、ヴィロートのことも知っている可能性がある。
「一応、こっちもあらかた調べ終わったぞ。これを送ればメルルのお母さんは納得するか?」
「あら、ありがとうございますわ。…?この印がある箇所は…」
俺はこれで勘弁して欲しいという念を込めて、調べ上げたヒュージルの行動内容を纏めた書類をメルルに手渡した。メルルは中身を確認すると先ほどマーキングした内容を追うように目を這わせた。
「ああ、ヒュージルは随分と進路に悩んでいるようでな。ナナと受講している内容がおかしいと話してたんだ」
「ほら、マッティホープ子爵家は宮廷貴族でしょ?それなら領地経営学を受講するのはおかしいかなって話してたんだ」
俺はナナと共に、気付いた違和感をメルルに説明する。その内容に彼女も同じ思いを抱いたのか、内容を吟味するかのように細かく頷いている。
「…確かにその通りですわね。このマークは…その違和感のある授業というわけですか…」
「あ…!この授業は私も参加していますよ…。ご一緒してたんですね…」
タルテもメルルの手元を横合いから覗き込んで、俺らが感じた違和感の内容を確認している。タルテが読み終わったのを確認すると、メルルはその書類を折りたたむと、自分の懐に仕舞い込んだ。
「そうですね。取り合えずこの情報をお母様に送りつけておきます。…もしかしたらもっと長期間見張れと言ってくるかも知れませんが、流石にこれ以上の期間を見張るなら、実家からの人員を回すようにお願いしておきます」
「大丈夫か?オルドダナ学院に諜報員がお邪魔するには少しばかり敷居が高いから、わざわざ俺らが手伝うように言ってきたんだろ?」
「構いませんわ。まだヒュージルさんも何かを隠している可能性もありますが…、一年で一夜しか咲かない花を、何時咲くか解らないからと永遠に見張るのは余りに非効率でしょう?」
監視は根気が要求される仕事だが、だからといって目星も無い状態で延々と監視するのも馬鹿らしいだろう。四人になった俺らはそのまま連れ立って学生街へと進む。話題は今までの調査ではなく、今日の夕餉をどこの店にするかという長閑なものであった。
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