第515話 死人に口無し
◇死人に口無し◇
「経歴に査証があった裏切り者…、確かなんと言ったかな…」
第三王子は顎に手を当てて、視線を斜め上に漂わせる。だが、第三王子が記憶を呼び起こす前に、後ろに侍っていたモルガンが懐からメモ書きを取り出した。メモ書きにはこれから第三王子が語る情報が書き記されているのだろう。彼は第三王子に習うように密やかな声で俺らに口を開いた。
「ヴィロートです。ヴィロード・ウェイクショップ。五年前に農務院に登用されたそうですね」
「そうそう。そんな名前だったな。そのヴィロードを推薦した者は二人いてな。一人はこの夜会にも来ている。既に己が失態を知っているため、随分と肩身が狭そうだな」
そう言いながら第三王子は夜会の会場の一角に目を向けた。そこは壁のシミとなって項垂れている冴えない男が一人。俺らが居る場所から一段高くなったそこは、低位であるが貴族の区画だ。となると準男爵や士爵のような準貴族ではなく、れっきとした貴族家の者なのだろう。
彼は第三王子の視線に気が付いているのかは解らないが、チラチラと此方の様子を伺っている。既にヴィロードが裏切ったことは知られているため、行脚の責任者である第三王子に弁明する機会を伺っているのだろうか。俺らには気軽に話しかけてきているものの、第三王子ともなれば会おうとしても会える存在ではない。彼からしてみれば第三王子がここまで足を伸ばしている現状は、またとない機会のはずだ。
「残念ながらあの者はヴィロードについて何も知らないそうだ。…金で推薦人になるなど、全くもって嘆かわしい…」
「…なるほど。そういうことですか。彼に限らず、随分とそのような不届き者が蔓延っているそうですわね」
第三王子の言葉を聞いて、メルルは頭が痛そうに指先で額を押さえる。彼らの言葉を聞いて、俺もどのようなことが執り行われているのか如実に想像ができた。
「…その辺の実情はあまり詳しくないのだが、良くあることなのだろうか?」
病弱であった第三王子は情報や知識という点では他より疎いところがある。メルルの言葉を聞いて、彼は素直に彼女に解説を求めるように尋ねかけた。
「宮廷貴族は役職が無いと大した禄が貰えないのです。ですから、そういった小遣い稼ぎも案外馬鹿にはできないのでしょう。…領地持ちの地方貴族を田舎者と呼びながら、見栄を張るのが精一杯の者達が沢山居るのですわ」
聞けば推薦人となる代わりに中々高額の代金を要求するらしい。それこそ、一括で払うような金額ではなく、役人となった後に給金から分割で後納しつづけるような金額だ。そうして推薦して役人となった人物が、王府内で自分達の座席を減らすことに繋がるのだから皮肉な物だ。
「私の家みたいに領地があれば税収から幾分かの収入があるんだけれどね」
「ふへ…。お役人さんも大変なんですね…」
メルルの話を聞いてナナもタルテも軽く同情している。ナナなどは広大な領地を治める辺境伯の令嬢であるため、宮廷貴族のやっかみを受けることが多いのだが、だからこそ実情を知ってしまうとどうしても哀れに思えてしまうのだろう。
「…つまり、金で推薦人になるのは良くある話なのだな。通りで叱責する声が少ないわけだ」
「彼を責めれば我が身にも降りかかりますからね。心当たりのある者はみな口を噤みますわ」
疑問の一つが解消したのか第三王子は納得したように顔を俯かせる。推薦人の貴族は肩身が狭そうとはいえ、この夜会に出席しているということは大した罰が無かったのだろう。もちろん、追って沙汰があるのかもしれないが、第三王子の言葉を聞く限りそれも有耶無耶にされるのだろうか。
第三王子は再び果実水に口を付け、壁のシミとなっている貴族を一瞥する。そして、軽く溜息を吐くと再び俺らに向き直り、話の続きを語りだした。
「ああ、それでな、重要なのはもう一人の推薦人なのだ。先ほど言ったであろう?裏切り者の名前はヴィロード・ウェイクショップ…。本来は姓などない者なのだが、そのもう一人の推薦人が姓を授けた…らしい…」
「らしい…?はっきりとしていないのは具体的な話を聞けていないのでしょうか?」
メルルは第三王子の言葉を聞いて首を傾げて見せた。既に王都に帰着してからそこそこの時間が経っているため、関係者からの事情聴取は終わっているはずだ。その推薦人は王都から結構な距離のある地方の領主なのだろうか。
「詳しく話を聞けてない…というよりも聞くことができないが正解だ。というのも、推薦人となったグレクソン・マッティホープは既に故人なのだ。記録では四年前に死亡届が出されてる」
「お亡くなりになっているのですか…。それはまた…」
「書類によると馬車の事故で亡くなったみたいです。今では王都の公営墓地に眠っております」
第三王子の言葉を補足するようにモルガンが言葉を続けた。その情報は第三王子も知らなかったようで、感心するように相槌を打って見せた。
「もちろん、後継である彼の子息や兄弟などに事情聴取をしたようだが、生憎と詳しく聞いては居ないらしい。…ただ、ウェイクショップという姓を授けたことは子息が聞き及んでいたそうだ」
「姓を授けるのは…、金銭を対価に推薦人になっただけでは説明が付きませんね…」
「だろう?それなりの関係が既にあったか、深める何かがあったか…。少なくともあそこの壁のシミとは違って何かしらの手掛かりがあるはずだ」
それをわざわざ伝えるために来たのだと、第三王子は軽く笑いながら語ってみせた。逃走したエルフ達はタルテを狙っている節があった。だからこそ、なるべく奴らの情報は知っておきたい。その取っ掛かりが第三王子の齎したこの情報だ。
故人であるグレクソン・マッティホープはエルフ達と繋がる裏切り者であるヴィロート・ウェイクショップと浅からぬ接点が存在する。もしかすれば子息も惚けているだけで関係者なのかもしれない。…逆に言えば、もし想像以上にエルフ達とグレクソン・マッティホープの関係が近かった場合、その周囲の者達が仕掛けてくる可能性もあるのだ。
伝えたいことを全て話したからか、あまり長居すると困るだろう?と言いながら、第三王子は俺らの元を去っていく。俺は彼から貰った情報をどうするかと考えながら、ゆっくりと夜会の空気を肺に吸い込んだ。
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