第507話 鎮魂と破邪

◇鎮魂と破邪◇


「ハルト様がいい具合に気を引いてくださってますわね。私達もさっさと取り掛かってしまいましょう」


 轟音を上げながら鬼ごっこに勤しむハルトを見詰めながら、メルルが急かすようにそう呟いた。彼が敵意を一身に引き受けているため、こちらに注目している存在は、僅かばかりの蔦と目の前に佇む女王蟻くらいで平和そのものだ。


 女王蟻も敵意に満ちている訳ではなく、彼女達三人を認識してはいるものの意識が薄れているようで大した反応を示さない。多少の警戒心をその顎で弱々しく示す程度で、逆にその動作が憐憫の情を誘ってしまう。


「これぐらいなら私で十分だから防御は任せてね」


「頼みましたわ。…タルテ。準備はよろしいかしら?同時だと打ち消してしまいますから、まずは私が施しますわ」


「はい…!待っている間にこっちも魔法を構築しておきます…!」


 光魔法も闇魔法にも死にきれぬ者を成仏させる魔法が存在するが、光魔法が破邪であるのに対し、闇魔法は鎮魂だ。それ故に闇魔法のほうが静謐性が高く、魔法を行使するに当たり敵の抵抗が少ない。メルルが落ち着かせるように弱った女王蟻の頬を撫で、そのまま一歩前に進んで聳える大蛇の腹に対面した。


 まるで亡者を押し固めたような大量の人型の壁。彼ら彼女らは近付いたメルルに救いを求めるように手を伸ばす。メルルは儚げな笑みを浮かべて静かに夜の祈りを捧げた。それは羊のなる木バロメッツが長年に渡って豊穣の邪神として崇め奉られながらも、決して捧げられることのなかった真摯で優しき祈りであった。


「死の影の谷を歩む者に、闇の女神の祝福を賜らん…。死者に安らかな眠りをレクゥィエスカト・イン・パーケ


 周囲を覆い隠すように一足早く闇の帳が下がる。祈りの魔法はどこか呪術に似て、そこに物理的な距離は関係ない。メルルが彼ら彼女らを認識し、その者達のために祈りを捧げたのならば、それは離れていてもえにしは繋がる。それがのろいでありまじないなのだ。大蛇はもちろん森の全域が静けさに包まれ、今このときは空を翔る彼の轟音もどこか遠くなる。


 メルルをその円らな黒い瞳で見詰めていた女王蟻が、まるでお礼を言うように小さくキィキィと鳴いた。蟻は涙腺を持たず、獅子は獅子故に涙を見せないはずだが、王たる蟻獅子ミルメコレオは静かに涙を流し、ゆっくりと眠るようにして動きを止めた。


 静かな静かな死の祈り。呼吸音すら聞こえそうな静寂が周囲を覆い、その神聖さに周囲を警戒しているナナも目を瞑って祈りを捧げたくなる。しかし、それを打ち砕くように天上にて大蛇の咆哮が響いた。


 その大音声は決して教会の鐘のように清廉としたものではなく、数多の呪詛を孕んだ恨めしい叫び声であった。



「デカイの決めたつもりだが…、どうやらメルルの方が効果的だった見たいだな」


 俺は風の刃で切り裂いた大蛇を見下ろす。通常では考えられぬほどの巨大な刃は、大蛇の頭を正中線に沿って真っ二つにし、奴を手抜きのタコさんウィンナーに変えてみせた。しかし、どうやらほぼ同時に発動されたメルルの魔法のほうがより痛手であったらしい。


 人型の樹皮は灰となって崩れ落ち、次々と大蛇の体から剥落してゆく。羊のなる木バロメッツにとってはメルルの魔法が致命的であったためか、あるいは宿る亡者の思念がそちらに救いを求めているのか、大蛇の意識が下界の彼女達に向かい、裂けた頭がそちらにへと向けられた。


 宙を落下する俺はまるで見逃されたような状態だ。だが、余所見をして彼女達に向かうという行動を俺は決して見逃すことはできない。そして目の前で意識を俺から逸らすという隙も見逃すつもりは無い。


「天に在りては願わくは比翼ひよくの鳥と作らん、地に在りては連理れんりの枝と為らん。二の太刀、大通連ダイトウレン


 そもそも、俺は双剣使いなのだ。奴の頭を切りつけた風の刃が一太刀で終わると思わないで頂きたい。俺は隙だらけの大蛇の首目掛けて、落下しながら回転斬りを見舞う。風で加速したような瞬間的な斬撃は容易く奴の首を切り落とし、そのまま重力にそって落下してゆく。


 頭らしき部位はちゃんと頭として機能していたのか、あるいは剣に宿ったタルテの魔力に当てられたのか、頭を失った胴体のほうも力が抜けたかのように落下する。俺もそれに付き合うように蔦の地面に向けて着陸した。


「ハルト!大丈夫!?」


「問題ない!そっちの進捗はどうだ!?」


 俺が着地したのはナナ達のほど近くだ。いきなり天から降ってきた俺にナナが心配する声を掛けるが、俺はそちらに視線を向けずにそう答えた。頭を失って落下した長大な胴体は未だに蠢いており、やせ細った人の腕が、何とか体を起こすように地面に手を当てている。


「タルテ!貴方の準備はよくって!?」


「はい…!問題ありません…!メルルさんの魔法で大分弱ってますから…このまま全域に行使します…!」


 手甲ガントレットを打ち鳴らしながらタルテがそう答えた。彼女が見据えるのは大蛇の根元の地面、そこに本体があると言いたげに彼女は拳を握り締めた。


「祈ります。祈ります。荒野で呼ばわる者の声がする。主の道を備えよ、その道筋をただ進めと…。信仰フィデスはその脚に宿り、神秘アルカナは手に潜む」


 両手の拳を眼前に掲げる祈りの姿勢。手甲ガントレットのせいでファイティングポーズにしか見えないが、ある意味ではどちらでも正解なのだろう。


右の頬を殴り飛ばす拳ストレングス…!」


 神聖な光を宿した右の拳が大地を貫くように打ち込まれる。その力強い拳は浸透勁のように膨大な光属性の魔力を染み込ませ、その不快感に悶えるように首無しの大蛇が身を引き起こした。


次は左の頬を差し出せダブル・インパクト…!」


 首無しの大蛇は近場にいた俺に襲い掛かろうとやせ細った手を伸ばすが、それよりも先にタルテの二撃目が打ち込まれる。その衝撃により一撃目で打ち込まれた光の魔力が一斉に励起し、身を内側から破壊するように魔力が弾けた。


 弱点となる属性魔力の強制的な活性化。まるで連鎖するように爆ぜたそれは、瞬く間に大蛇の胴体を伝い、俺の目前にまで迫った腕を灰へと変化させた。


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