第490話 この木なんの木

◇この木なんの木◇


「そう。今となっては滅んだ国に、儂達も向かったのです。…しかし、そうなればこの地に残された民達が困窮することになる。だからこそ、樫の木クウェルクスの氏族は残された民達にとある物を残したのです…」


 警戒する俺らに気付くことなく、ジュドゥルゥは言葉を紡いでゆく。俺らと同じように顔を険しくしたのはアンデス隊長とアデレードさんだ。二人は国の上層部の人間なだけあってカーデイルの亡霊について知っているのだろう。


 室内の空気が少しばかりひりついたが、ジュドゥルゥの紡ぐ言葉がそれを解してゆく。俺らを警戒させた本人が、そのことに無頓着なのだ。彼らはカーデイルの亡国民であっても、カーデイルの亡霊とは無関係なのだろうか…。


「とある物とは何なのでしょう?はっきりとしない物言いは避けて欲しいのですが…」


「…申し訳ございません。エルフの言葉では死活の罠ラクエウス、あるいは羊飼いの魔樹パプ・プランタ…一般的には羊のなる木バロメッツと呼ばれております」


 アデレードさんが問いただせば、ジュドゥルゥは言葉を選ぶようにしてそう呟いた。その言葉に対してタルタリカが何かを言おうと口を開いたが、アデレードさんが睨みつけることでそれを封殺する。しかし、代わりといっては何だが第三王子が疑問を口に出した。


羊のなる木バロメッツ?聞いたことがあるような…」


「半動物半植物の魔物の一種です…!羊のなる木バロメッツと称されますが…実っているように見えるだけで…実際に羊が実るわけじゃありません…。」


 第三王子の疑問にタルテが答えた。彼女の言うように羊のなる木バロメッツは羊を実らせるのではなく、その実態は動物に寄生する寄生植物の仲間だ。その特性から、安全な植物だとはとてもじゃないが言いがたい。要するに、羊に寄生した姿がまるで羊が実っているように見えるためそう呼ばれているのだ。寄生する相手も、種類によるが羊に限った物では無く獣全般に寄生することが可能だ。


 寄生された獣は蔦により本体と繋がれ、本能を羊のなる木バロメッツに壊され生きた屍のように変質する。なぜ、そんな物を残したのか。残した物を明かしてもなお、ジュドゥルゥに問いただすような視線が向けられた。


羊のなる木バロメッツは動物を果実へと変え、それが熟れて落ちるとその地を肥やすのです。だからこそ、…上手く使えば私達が居なくともこの地に実りを齎すはずでした」


 ジュドゥルゥはそう答えたが、その言葉は俺らの疑問に答えるだけでなく、同時に罪を懺悔するようにも聞き取れた。彼の言う言葉は間違いというわけではない。羊のなる木バロメッツは寄生した獣から養分を吸い取るだけでなく、実となった獣に周囲に近寄る物を無尽蔵に食させる。そうやって肥えた獣は果実となりやがては落実し、羊のなる木バロメッツの周囲の土壌を肥やすのだ。


 それこそが羊のなる木バロメッツの生存戦略だ。最初は羊を代表とする草食動物に寄生し、木の周りの草を無尽蔵に食べさせる。そして周囲の草がなくなると、やがて実となった獣は死に、それを求めて肉食の動物が集まってくる。今度はその肉食動物に寄生しより多くの養分を集めるようになるのだ。


 だからこそ、ジュドゥルゥの言うとおり上手く使えば確かに豊穣を齎すだろう。…だが、そんな農法は何処にも伝わっていない。魔物を利用するという点に嫌な予感しかしないが、その予感どおり何かしらの問題があるのだろう。


「ふざけなさんな!ミドリ様は我々が神から賜うた恩寵ながやぞ!それを事欠いて魔物と嘯くか!」


「その神が我々という話です。…もちろん、神を僭称したことなぞありませんがな…。時間と共にどうやって齎されたか失伝したのでしょう。そして、決して違えては成らない約束までも、あなた方は忘れてしまったのです」


 とうとう我慢できなくなったのか、タルタリカがジュドゥルゥに食って掛かる。しかし、ジュドゥルゥは忌々しそうに彼の言葉を否定した。ジュドゥルゥの言葉は淡々としたものであったが、そこには静かな怒りが感じ取れた。彼の瞳はまるで責め立てるようにタルタリカに注がれている。


「ま、待ってください…!忘れるほど…忘却されるほど前から羊のなる木バロメッツを育てていたのですか…!?…ちゃんと…親株は枯らしましたか…?…いえ…そもそも…そんなこと可能なんですか…?」


「ああ…お嬢さんは知っておりましたか。そうです。それこそが私達が王子様に弓を引いた理由になるのです」


 彼らの会話に焦ったようなタルテが参加する。一体何を焦っているのかと疑問の視線が彼女にも向けられるが、その焦りようから剣呑な雰囲気が部屋の中に漂った。


羊のなる木バロメッツは…育つほど強力になっていく植物です…!大抵は途中で周囲を食べつくし…餓えて枯れるのですが…」


「人が手を貸し餌を供給すれば話は別です。本当ならば途中で破綻する。…だからこそ我等は百年以上は利用するなと約束をしてからこの地を離れたのです。百年あれば…我等がいなくとも独り立ちできるだろうと…」


 小さな草食動物に始まり、大型の肉食獣に至る。巨大になればなるほど多くの強い果実を従えて、羊のなる木バロメッツは周辺の環境そのものを捕食してゆく。今の羊のなる木バロメッツは神使と崇められるほど強大なのか…。


「待て。それが何故弓を引いた理由になる。地が豊かになることと何の関係が…」


 アンデス隊長がジュドゥルゥに尋ねかける。長々とこの地の経緯を聞かされて多少苛立っているようにも見える。彼としてはジュドゥルゥとタルタリカの諍いなどどうでもよく、こちらを襲った事情にしか興味が無いのだろう。


「育ちすぎたのです。今ではもう、共生関係にある魔物まで集まり溢れ出す寸前なのです。なんとか我等で押し留めていますが、豊穣の力で羊のなる木バロメッツが活性化されようものなら…」


 それこそがこの地を襲う災厄です。そう最後に言葉を付け足して、ジュドゥルゥは深刻そうに顔を俯かせた。この地で崇められている神を否定しておきながら、まるで神罰を恐れるような表情だ。タルタリカは怒りで顔を震わせており、ジュドゥルゥは恐れで手を震わせていた。


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