第488話 子爵邸を訪ねてきた者

◇子爵邸を訪ねてきた者◇


「すまないが、少しここで休ませてくれないだろうか…。どうにも気疲れしてしまった」


 棚畑から帰還し、一つの夜を越えた正午前。疲れた顔をした第三王子が俺らの下に顔を出した。姿を現したのは第三王子だけではなく、その後ろには付き従うモルガンの姿もあった。あまり無碍にすることもできず俺らが室内へと誘うと、第三王子は俺らが寛いでいた喫茶室にへと足を踏み入れ、ゆっくりと革張りの椅子に腰を下ろした。


 ナナが棚へと手を伸ばし、第三王子のために新しいティーカップを用意する。その間にメルルがティーポットの茶葉を変え、台付きケトルからお湯を注いだ。茶葉を蒸らす様子を眺めながら、第三王子は溜息と共に口を開いた。


「…ハベトロットが編んだこの上着でも、気疲れには効果が無いようだな。…私の意見を聞くつもりが無い者どもの会議に、何故私が出席せねばならん」


「責任者なのですから出席しないわけにはいきませんわ。…念のためご確認いたしますが、抜け出してきたわけでは…」


「案ずるな。長引いたので休憩を入れることになったのだ。…休憩まであの者達と顔を合わせたくは無くてな。こちらに避難してきたわけだ…」


 第三王子が参加している会議とは、今後の方針に関わる重要な問題だ。捕らえたエルフの尋問の結果に、蟻獅子ミルメコレオの出現した棚畑。それらの情報を処理するために朝から話し合っているのだ。…因みに俺らがここで寛いでいるのも、会議室の様子を盗み聞きするためだったりする。


「そういえば聞いたぞ。あのエルフたちはそなた達が捕まえたのだろう?…魔法の教師以外でエルフを見るのは初めてだ」


「ええ、そうなのですが…彼らは何も語っていないそうですわね。…まぁ時間の問題かとは思いますが…」


「…メルル嬢。あまり殿下にそういった話は…」


 メルルが拷問のことを仄めかすと、モルガンがやんわりとその言葉を遮った。王家の方針かどうかは知らないが、第三王子にそういった後ろ暗い話題はまだ早いと判断しているのだろう。…確かに社会経験が少ないからか、第三王子は年齢以上に幼いように感じる。だからこそあながち間違いとは言い切れない。


 捕らえられたエルフは今のところ人道的な待遇を受けている。しかし、彼らは第三王子を襲った者達であることは明白であり、その罪状を鑑みれば拷問に踏み切るまでそう時間は掛からないはずだ。それこそこのまま黙秘を貫くのであれば、今夜にでも拷問官が手配されることとなるだろう。


 沈黙を貫いているエルフ達が唯一口にしたのが第三王子の安否を尋ねることだけであり、彼らの言葉を信じるのであれば、彼らも第三王子を殺めることまでは考えておらず、谷底に落ちた際には助けるべく捜索していたそうだ。


 …そのこともあるのか、聞くところによると意外にもアンデス隊長が拷問に踏み切ることを渋っているらしい。まさかとは思うが、例のエルフの色香に惑わされているのだろうか…。


「それよりも問題は豊穣祈願の場所だろうな。…私はああも話の通じない者に初めて会ったぞ。神官を口煩いと罵っていた父上の気持ちが解らないでもない」


「それも一つの経験ですわ。良い学びとは申しませんが、見聞が広がったということですわね」


「あれを経験と申すか。私が得た知見は想像を超える馬鹿が居るということだぞ」


「…あのおっさん、まだ譲らないみたいだな。よくあそこまでゴネれるもんだ」


 今、領主館には土豪のタルタリカが召還されている。昨日の騒動を切欠に騎士団の一層の介入をアンデス隊長が要求したのだが、残念ながらタルタリカはイヤイヤ期に突入したようで、尚もこちらに譲る気配が無いのだ。


 第三王子が参加した会議は、正しく昨日の棚畑でのやり取りの焼き増しだ。互いに譲らない平行線での言い合いは不毛な物で、第三王子が気疲れするのも頷ける。


 …このままなら武力介入だろうか。昨日の蟻獅子ミルメコレオの襲撃を題目にすれば、タルタリカを無視して強引に進めることも可能だろう。


 第三王子の愚痴を聞きながらも、メルルは蒸らし終わった紅茶をティーカップに注ぐ。メルルが第三王子の前に紅茶を差し出せば、タルテが悲壮な顔を浮かべて茶菓子を彼の前に差し出した。その顔を見て、第三王子は紅茶だけでよいと言いながら茶菓子をタルテの前に差し戻した。


 紅茶の香りを楽しみながら、ゆったりとした時間が流れる。初めの頃は遠慮していた第三王子との時間だが、共に行動することが多くなった今では然程窮屈な物ではない。しかし、その時間が終わることを告げるように、部屋の中にノックの音が飛び込んできた。


「お寛ぎのところ申し訳ありません。タルテさんはいらっしゃいますか?」


 部屋の外から声を掛けてきたのはアデレードさんだ。俺が扉を開けると、部屋の中に第三王子が居ることに気が付き、彼女は軽く驚いた素振りを見せた。


「ジェリスタ王子もいらっしゃたのですか。丁度、おふた方にご足労頂きたいのですが…」


「何かあったのか?…まだ休憩時間のはずだが…」


「いえ、会議ではなく…、その…訪問客が訪れまして…」


 第三王子に対してアデレードさんは少し言葉を濁すように答えた。第三王子とタルテの両方に用がある訪問客など心当たりが無いため、俺らは首を傾げてみせた。


「訪れたのはエルフの族長を名乗る者です。その者が第三王子とタルテさんをご指名なのです…」


「ふえ…?エルフさんが私に御用ですですか…?」


 捕らえたエルフとその族長が無関係というわけはあるまい。エルフは氏族でコミュニティを築くため、その内の一つの氏族の族長なのだろうが、それがなぜタルテを指定するのだろうか…。


「その者の用件は、助命の嘆願と…言葉通りに受け取るならば、この地に訪れる厄災についての陳情だそうです…」


 アデレードさんもしっかりと把握できていないようで、思いも寄らぬ訪問者についてたどたどしく説明した。助命ならまだしも、厄災という言葉が飛び出すとは思っていなかったため、俺らは再び首を傾げてみせた。


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