第487話 馬車はクールに去り行く
◇馬車はクールに去り行く◇
「…脆くね…?…死んでないよな?」
俺に吹き飛ばされた弓使いは、畑の土に塗れて沈黙している。今の攻撃で決着をつけるつもりは無く、挨拶代わりの一撃にであったのだが弓使いは起き上がる様子は無い。風を伸ばして確認してみれば、一応はまだ呼吸をしているようだが、どこかその呼吸は弱々しい。
擬死の可能性もあるため俺は慎重に近付くが、それでも反応する様子は無い。どうやら気絶しているようなので、俺は弓の弦を切り懐を探って短剣を取り上げる。そして奴の翠色のローブを脱がせ、それで後ろ手に縛り上げた。
俺は弓使いを担ぎ上げると、騎士達の下に向かう。折角生け捕りにできたのだから、あえて殺す意味は無いだろう。遭遇戦という状況が俺に有利に働き、無傷で拘束することができたが、実際には中々に厄介な相手であった。それこそ、弓に有利な状況を整えられたらこうも上手くいかないだろう。
現に二回ほど煮え湯を飲まされたのだ。こいつとの戦闘は、ある意味では戦場をコントロールする斥候としての力量で勝敗左右させるのかもしれない。…二回の戦闘は俺ではなく騎士団の斥候が負けただけなので悔しくはない。
「ハルト、無事だったみたいだね。こっちも終わったところだよ」
「残念ながら一人には逃げられてしまいましたけど…、恐らくはこの者がこの場での指揮官でしょう」
俺が戻ってくると、そこには美青年と言うべきエルフがメルルの血の拘束具に囚われていた。耽美なエルフに血の拘束具という組み合わせに、どうにも犯罪臭を感じてしまう。彼は意外にも大人しく、余り抵抗を見せる素振りはない。
俺と弓使いの勝負はものの数分で終わってしまったため、まだ彼女達は戦っていると思ったのだが、どうやらこちらも大して時間が掛からなかったらしい。見たところ、麻痺したエルフをアンデス隊長に任せ、ナナとメルル、そしてタルテの三人がかりで対応したようだ。人数的有利と人質がいるという状況が有利に働いたのだろう。
「逃げられた?…あの子供のエルフか?」
「うん。一度は捕まえたんだけれども、この人が飛び込んできて解放されちゃったんだ…」
…互いに怪我をしていないことを踏まえるに、この指揮官らしきエルフは戦闘よりも救出を優先したのだろう。結局は追加で捕まってしまった幼い子供のエルフを解放するだけで精一杯だったようだが…。
「ハルトさん…!お怪我はないですか…?直ぐに治しますよ…!」
「俺は平気だ。…一応、この弓使いを見てもらえるか?腹を蹴っただけなんだが、もしかしたら肋骨が折れているかもしれない」
俺は担いでいた弓使いを、セニャーシャと呼ばれていたエルフの近くに下ろした。吐血していないから折れた肋骨が肺を傷つけていることは無いだろうが、折れていないという保証も無い。俺の台詞に残りの二人のエルフが俺の捕らえた弓使いを心配そうに見詰めている。
即座にタルテが弓使いの容態を確認するが、特に問題は無かったようで軽い回復魔法を施すだけに留める。タルテは心配しているだろう他のエルフたちに問題ないことを伝えた。
「君達。協力してくれたのはありがたいが、直ぐに撤収する準備をしてくれ。もともと事前の確認に来ていただけなのだ、今のままでは人員に不足がある」
エルフの色香に誘惑されていたアンデス隊長も、流石にエルフが襲撃者の正体だったと気が付いたため、即座にこの場を退避する指示を出す。逃したエルフが応援を呼びに戻ったのであれば、のんびりとしていられないと判断したのだろう。
俺達に声を掛けた後、アンデス隊長は騎士達にも指示を飛ばす。それに呼応するように、騎士達は
「アンデス殿。大丈夫ですか…!?申し訳ありません。頼り切ってしまいまして…」
「構わない。我々は戦うことこそがその勤めだ。…それにこれは大きいぞ。この不気味な虫は例の禁足地に向かっていた。これを責め立てて介入する理由にしよう」
戦闘が終わったのを見て、ヘルドラード子爵が駆けつけてくる。アンデス隊長は成果があったことで上機嫌に成っており、その成果を誇るようにエルフと
討伐した全ての
「お嬢さんたち、お手柄だな。あのデカイ蟻もそうだが、こいつらを捕まえてくれて助かったよ」
「いえいえ。これぐらい構いませんわ。…できれば縄を頂けないでしょうか?その血の拘束具は長くは持ちませんので…」
「ああ、任せてくれ。直ぐに手配する」
残りの騎士は俺らの下へと駆けつけ、俺らから捕縛したエルフを受け取り馬車へと護送し始めた。俺らが戦闘したところを見ていたようで、彼らは口々に俺らに向かって例を述べてゆく。
「ハルト。私達も馬車に乗り込もうか。…畑が荒れちゃったのが少し残念だね」
「時間があれば…私が直すのですが…。儀式のときに時間が取れるでしょうか…」
「流石に別の畑になるんじゃないか…?エルフに刺激されたんだろうが、
俺らは戦闘の痕跡を確認しながら棚畑を後にする。既に農民達は全員避難を済ませたようで、畑には騎士の姿しかない。唯一、違うといえるのは馬車の傍らでこちらを心配そうに見詰めているペクトゥナさんだろうか。彼女は俺らの無事を確認すると、安堵したようにゆっくりと息を吐き出した。
「皆さん!直ぐに馬車が出るそうですよぉ!早く乗り込んじゃいましょう」
ペクトゥナさんに急かされるようにして俺らは馬車へと乗り込む。そして大した時間をかけることなく、馬車はヴィリデザルトの街に向けて走り始めた。
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