第483話 森が…騒がしい…

◇森が…騒がしい…◇


「…なぁ、ガナ。あの男は…」


 俺は小声で尋ねながらアンデス隊長と言い争っている男を指差す。ガナは指差した俺の手を見て、言葉よりも早くその手を叩き落すように押し下げた。俺が無礼な振る舞いをしたから反射的に反応してしまったのだろう。彼の挙動には焦りが見て取れた。


「あれが、ご当主のタルタリカ様やけ。あんまジロジロ見とっとどやされるで…」


 ガナはそのまま俺の手を引いて、言い争うアンデス隊長とタルタリカから距離を取る。剣呑な雰囲気を纏う彼らの側に居たくなかったのだろう。俺としてもあの不毛な言い争いを近場で聞いていたくない。


「あの、ガナさん…。その祭祀の方々が施す祈年キネンは効果があるのでしょうか?」


「んあ?効果?…いや、だって祈年キネンしなきゃ不作になろぉもんだろ?」


 念のためだろうか、あるいは目の前で争う祭祀の当主に豊穣の力があると思えなかったのか、メルルがガナに確認を取る。しかし、彼の返答はどうにもはっきりしない物であった。祭祀の一族のことを妄信しているのか、あるいはその力を試すようなことをしたことが無いのか、祈年キネンをするのが当たり前だと思っている。


 俺とメルルは彼の返答を聞いて苦々しげな顔をする。彼の返答では祭祀の一族が力を持っているのか今一はっきりとしない。


「え、あ、ああ…。でも祭祀様の畑は他の畑よりも育ちがスゲェンだ。頼み込き自分達の畑に祈年キネンやってもろぉてる奴らもおるけどよ、けんどこっちのほうが手厚いからろうな。実りは見て解るばあ違うんだぜ?」


 俺らの反応が芳しくなかったから、ガナは更に言葉を続ける。…単に土の肥えた畑を祭祀の一族が所有している可能性があるが、見てわかるほど違うのであれば、実りを増やす手法を持っているのだろうか。


「ハルト様。どう思われます?…私としては祭祀の方々が純朴な小作人の方々を騙しているようにも思えるのですが…」


「今の状況では何とも…。それこそ、魔法や祈祷魔術が使えなくても、農学に秀でてればできなくも無いしな…」


 もしかしたらこの禁足地の中に蝙蝠の住む洞窟なんかがあるのかもしれない。長年にわたって堆積した蝙蝠の糞はバットグアノと呼ばれ、日々の生活で不足しがちな畑の必須栄養素を補ってくれるのだ。それをこっそりと運用してさも祭事で豊かな実りを齎していると見せ掛けていることだってありえなくは無い。


 …後でこっそり進入してみようかな。好奇心に駆られてついそんなことを思ってしまう。俺がそんなことを考えている間も、アンデス隊長とタルタリカは言い争っている。その声は畑で作業する小作人や騎士達の視線も集めてしまっている。


「これは公事なのだぞ!楯突くのであれば、相応の手を取らしてもらう!…ヘルドラード子爵!貴様もなに言いなりになっているのだ!本来であれば貴殿が抜かりないよう手配するべきなのだぞ!」


 近衛であるアンデス隊長が叫んでいるのに、タルタリカはまったく動じていない。それどころか舐め腐るように余裕の笑みを見せて相対している。…こちらの内情を知っているのだろうか…。アンデス隊長は武力に打って出ることを仄めかしているのだが、実際には好ましい手段とはいえない。彼もそれが分かっているから口で脅しているんほだろう。


 豊穣祈願の行脚は王威を示し民達を恭順させる狙いがある。そのため反対を押し切って進めたところで何も意味が無いのだ。それこそ第三王子の過失として王都のほうでも噂されることになるだろう。


「と、とにかく…まずは私のほうで別の畑を探しますので…!タルタリカさんも…別にこの畑に拘らなくてもいいでしょう。他の人間の畑が使われるのが嫌なら、タルタリカさんのもつ他の畑だっていいじゃないですか…!なにも禁足地と麓じゃなくても…」


「ならん!この畑が最も力が強いのだ!他で使われるわけにゃいかん!」


「なぜ貴様の意見を聞く必要がある!…どうしてもこの畑を使ってもらいたいのならば、安全確認のためにこの山に入らせてもらうぞ!」


 加熱した二人を宥めるようにヘルドラード子爵が声を掛けるが、二人は平行線のまま譲る様子は無い。果たしてこの言い争いは何時まで続くのか。まさか剣を抜くことは無いだろうと考えていたのだが、唐突にアンデス隊長の手が腰元の剣へと伸びた。


 まさかこの場で衝動的に剣を抜くとは思っていなかったのだろう。タルタリカは驚愕したように目を見開く。しかし、驚いたのはタルタリカと言い争う二人を見守っていたヘルドラード子爵であった。ある意味ではアンデス隊長も俺やメルルも驚いたと言ってもいいのだが、驚いた対象が異なっている。


 長閑な…、言い争っているお偉いさんが居たため、長閑とは言いがたいかもしれないが、それでも牧歌的な風景であった畑に笛の音が響いたのだ。甲高いそれは騎士達が使う緊急連絡の合図。その音に対して反射的にアンデス隊長は柄へと手を伸ばしたのだ。


「ハルト!南の裾野!森の中からだよ!そっちから聞こえた!」


「あぁ!俺の風でも捉えた!…この移動音は…蟻獅子ミルメコレオだ!それも複数体!ついでに何者かがそれを追っている!」


 笛の音が聞こえたのは、禁足地とは棚畑を挟んだ反対側。俺よりも畑でタルテを見守っていたナナのほうが現場に近かったため、彼女がこちらに知らせるように大声で叫ぶ。その声に誘われるように俺も風を遠方に伸ばせば、畑を囲むように茂っていた森の中に響く音を拾うことができた。


 耳に届いた情報を知らせるため、俺は声を風に乗せて周囲の者へと届ける。ナナとタルテは小作人やペクトゥナさんを逃がすように誘導し、俺とメルルは合流するために彼女達の方へと駆け出す。ついでと言わんばかりに混乱しているガナも逃げる者達へ合流するように促した。


「ハルトさん…!あのあの…!追っている人たちって…!?」


「金属鎧の音はしない!…かわりに…弓音が喧しいほどに鳴ってやがる…!」


 タルテは騎士の誰かが戦闘に突入していると心配したのだろうが、戦っているものは騎士ではない。戦いながらも突き進む一団は、着実に棚畑目掛けて突き進んでいる。俺らは揺れる木々の梢を見据えながら、一斉に武器を構えた。


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