第480話 神域の禁足地、その畑

◇神域の禁足地、その畑◇


「おおぉ。着きましたね。ここが最後の儀式予定地ですかぁ」


 到着したから馬車から降りると、ペクトゥナさんは額に手を当てて周囲を眩しげに見渡している。そしてすぐさま足元の土に手を伸ばすと、それを掌の腕で解すようにして観察している。時には唇に土を当て、その湿度を感覚的に調べているようだ。


 タルテは馬車で凝った体をほぐすように背伸びをし、ナナとメルルはペクトゥナさんを真似るように周囲に目を向けている。一方、騎士達は小休止も無しに自分達の仕事に移ってゆく。その様子を畑で作業していた人々がまじまじと見詰めていた。


「随分と変な畑ですわね。どうしてわざわざこんな所を畑にしたのでしょう」


「急斜面ばかりの所はこんな感じですよ…!私の里にも似たような畑があります…!」


「ネルカトル領でも見かけるね。…片手までやってる小規模な畑ばかりで、ここまで大規模な感じじゃないけれども…」


 俺らの目の前に広がる光景をメルルは変な畑と評した。それは所謂、棚畑といわれる傾斜地に作られた階段状の畑であり、それが見渡す限り広がっている光景はまるで大地に鱗を持つ巨大な生物が横たわっているようにも見えた。


 水を蓄えるため平面にする必要がある水田ならまだしも、麦栽培が主となるこの国では多少の傾斜地なら傾いたまま畑にする。無理に急斜面を開墾したような二、三段程度の小さな棚畑ならまだ目にすることもあるが、一面にそれが広がる光景は珍しいといっても間違いないだろう。


「それでもまだ別の場所のほうがマシじゃありませんこと?ここは特に傾斜がきついように思えますが…」


 そう言いながらメルルは後ろを振り返り、その視線は上へ上へと向かってゆく。俺らの眼前には見下ろすように棚畑が続いているが、後ろには森林を蓄えた山が聳えているのだ。僅かな盆地を除けば山地と丘陵地ばかりのバグサファ地方で独立峰と言ってしまってよいのか分からないが、俺らの後ろに聳える山は周囲の山よりも背が高く、どこか孤立しているように見える。


 つまり、俺らが見ている棚畑はその独立峰の麓に広がっており、それ故に傾斜は他の土地よりも急なのだ。メルルの言うとおり、まだここよりもなだらかな土地なのに開墾されていない場所は存在する。


「あぁ、皆さん。そっちの山には入っちゃ駄目ですよぉ。なんでも立ち入り禁止らしいです」


「この山が…ですか…?」


 俺らが後ろの山を見上げていると、作業に取り掛かっていたペクトゥナさんから声が掛かる。その言葉を聞いて、タルテが不思議そうに首をかしげた。


「そうなんですよぉ。なんでも神様のいる山らしくて、騎士団の人も入れないそうですよぉ…。警備のために立ち入りを要求しているらしいのですが、それなら私も入れてもらえないですかねぇ。昔からの禁足地ということは…原生林ですから、思わぬ発見があるかもですよぉ」


「へぇ。これがアンデス隊長が声を荒げていた原因ですか…。確かに誰かが身を潜めるにはうってつけだな」


 禁足地である山はこの畑からして高所に位置している。たとえばあの弓使いの集団が潜んでいるならば、この棚畑の全てがその射程に収まるだろう。


「あの…このまま入れなかったら…別の畑に変更になったりするんでしょうか…?」


「そうだね。場所が変わっちゃったら、…またやり直しになるのかな」


 タルテは豊穣祈願の場所が変更されることを危惧しているようで、眉を軽く顰めながら呟いた。土壌のサンプルなどはまた取り直せばよいが、豊穣の力を施す場合、第三王子が儀式をする場所とそこまで離れるわけにはいかない。タルテ曰く、成るべく同じ地脈に施したいそうだ。


「それがぁ、私にもどうなるか知らないのです。…実を言うとぉ…今までの畑は全て農務院が指定したんですけど、ここだけは向こうから指定されたのですよ」


 ペクトゥナさんは多少声を潜めながらそう答えた。


「あの。向こうってヘルドラード子爵のことですか?」


「いえいえ…、それがこの地の土豪だそうです。私も又聞きなのですがぁ、この山を禁足地にしてる祭祀の家系だそうで…」


「…?わざわざそんな人が禁足地の近くを指定したってこと?それこそ…嫌がりそうに思えるけど…」


「指定したってことは、この畑の持ち主がその土豪なのでしょう。無料で耕してくれるなら是非自分の畑にと…」


 それならば妥協して禁足地の立ち入りを許可しろと言いたくなる。ヘルドラード子爵にそこまでの要求を通すとなると中々に力のある一族なのだろうか。まさか王都から遠く離れたこの地でも、似たような権力闘争が存在するとは…。


「でも、私は少し納得しちゃってますぅ…。田舎じゃ未だに変な慣例が残ってて、それがその土地の当たり前なんですよぉ。彼らにしてみれば禁足地に入らないのは当たり前で、騎士団が無茶なことを言い始めたって思ってるんですよぉ…」


「…騎士団にしてみれば無茶なことを言ってるのは地元の人間なんだがな…」


 俺は辟易としたように言葉を搾り出す。これが騎士団が一方的に禁足地に入らせろと言っているなら未だしも、向こうがこの棚田を指定したのだ。ならば、その場の安全を確保するためにこちらに協力する必要があるはずだ。


 少しばかり騎士団に同情してしまった俺は、風を山林に向けて流し込む。広大な山の全てを探ることはできないが、近場であれば調べることができるはずだ。


 だが、もちろんそんな都合良く潜んだ者などは発見できない。…しかし、それに近しいものが俺の風に引っ掛かった。


「…ハルト様?どうかいたしましたか?」


 畑を離れて山林のほうに足を進める俺に向かって、メルルの声が掛かる。しかし、俺は彼女に振り向くことなく風で見つけたものの方へとふらりと近付いた。


「…本当にここは禁足地なのか?人の入った形跡がしっかりと残ってるぞ?」


 俺が風で見つけたもの。それは山の上へと伸びる山道だ。人によって踏み固められたそこは、うっそうと茂る木々に囲まれた隧道となって不気味な暗き入り口を覗かせていた。


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