第474話 アデレードの見た戦場

◇アデレードの見た戦場◇


「私が牽制しますから痺れた者を後ろに下げてください!連れて行かれますよ!」


 私は声を張り上げながら横で戦う他の近衛に声を掛ける。狩人ギルドで事前に仕入れた情報は周知してあるのだが、やはり慣れぬ魔物が相手だからか誰もが苦戦している。蟻獅子ミルメコレオは人一人を押し倒すほどの体重があるくせに、這うような姿勢であるため人と比べて狙うべき位置が低いのだ。


 なにより、麻痺毒があるがあるとは知っていたのだが、ここまで即効性が強く、加えて蟻獅子ミルメコレオが麻痺した者を執拗に狙うとは思っていなかった。蟻獅子ミルメコレオが麻痺した者を狙うのは、弱った者から仕留めるという習性ではなく、どうやら巣に持ち帰るために運ぼうとしているようだ。


 …生きたまま彼らに連れ去られた者がどうなるかなど想像したくはない。私が迫る蟻獅子ミルメコレオを強引に押し戻せば、麻痺して動けなくなった者を他の仲間が強引に引きずって後ろに下げた。


「アデレードさん。今ならまだ退避できます!これ以上負傷者が増えるとそれもままならなくなります!」


 近衛の一人が仲間を引きずりながら私にそう叫んだ。既に彼は目の前にいる蟻獅子ミルメコレオを倒すことを諦め、どうにかしてこの場を脱することを考えているようだ。私達の目的はジェリスタ王子を見つけることであるため、戦うことを避けることは間違いではない。


 …だが、撤退という選択肢はジェリスタ王子から遠ざかることにもなるため、苦々しい思いも沸いて出てくる。もちろん、この道の先にジェリスタ王子がいるとは限らないのだが、彼らは地形的に流れが緩やかになるこの谷間に辿り着いている可能性が高いのだ。


 ジェリスタ王子を守りきれなかったという焦りも私達の剣を逸らせて鋭さを失わせている。しかも、業腹ながら、すでにジェリスタ王子の生存を諦めている近衛も存在している。


 しかし、私は微塵もそんなことを考えては無い。ジェリスタ王子が落ちる瞬間、メルル嬢の魔法だろうか彼らが不思議な籠に囲われていたのだ。狩人として一級品の腕前を持つ彼らが一緒ならば、このような状況でも平然と生還してもおかしくは無い。


「…そうですね。ここで無理に進んでも負傷者が出るばかりで…」


 捜索を強行したいところだが、ここで無理に進むのは得策ではない…。撤退の判断をするた私は今一度戦場を見渡すが、その瞬間、蟻獅子ミルメコレオの群れの後方で鮮やかな朱色の炎が上がった。


 ギィギィと耳障りな声を上げて何匹もの蟻獅子ミルメコレオが痙攣して動かなくなる。苛烈な炎が彼らの甲殻を貫通する熱を生み出し、強制的に体を伸縮させているのだ。


波刃剣フランベルジュ…!」


 波打つ炎の合間に、その特徴的な刃が煌いた。本来は傷口を荒らし出血を強いる凶悪な刃ではあるのだが、今この瞬間には確かにそれが炎の写し身だと私に訴えかけてくる。そして私の目には捜し求めていた者の姿も写しだされた。


「ジェリスタ王子!ご無事でしたか!…退避は無しです!なんとしても王子を無事にお迎えいたします!」


「一班はそのまま押し込め!二班は王子までの道を切り開くぞ!」


 炎の壁に守られるようにして、ジェリスタ王子がそこに立っていた。まだ心根の幼いか弱き王子であったはずなのだが、彼は堂々とした眼差しで私達を見詰めている。その立ち振る舞いに王族としての矜持を僅かに感じ、私はつい嬉しくなってしまう。


 他の近衛もジェリスタ王子の登場に士気が一気に高まっている。王子を守る炎の苛烈さに負けぬ剣戟で強引に蟻獅子ミルメコレオを押し込んだ。幸いにもジェリスタ王子を囲む炎のお陰で、挟み撃ちされることとなった蟻獅子ミルメコレオは混乱しているようで群れから受ける圧も減っている。


「…!?危ない!アデレードォ!」


 しかし、全てが良い方向に進んだ訳ではない。蟻獅子ミルメコレオもこの状況に焦ったのだろうか。一匹の個体が私の相対している個体の上に駆け上ったのだ。…もちろん、その駆け上がった先の向こう側には私が居る。そして、一体ならば私の胸下ほどの高さなのだが、二体積み重なれば私の上背を超える。


 つまりは、斜め上方から私に目掛けて蟻獅子ミルメコレオが飛び込んできたのだ。踏み台にされた個体を相手にしていたため、私は即座に対抗することもその場から飛び退くこともできない。


「嘘…でしょう…?」


 …まさしく死に体。死の気配が私に忍び寄り、ジェリスタ王子の声を聞きながらも私の感じる時間は鉛のように重くなった。


 色褪せた視界の半分を凶悪な蟻獅子ミルメコレオの顎が占める。虫とも獣を混ぜ合わしたような凶悪な顎が開ききり、次の瞬間には訪れるであろう悲惨な結末を想像させる。


 戦う者は剣が眼前に迫ろうとも瞳を閉じぬように訓練するが、今ばかりはその訓練をしたことが恨めしい。こんな醜怪で恐ろしいものをその瞬間まで見続けることにことになろうとは…。


 だが、恐怖に濡れたおぞましい想像は次の瞬間にはいとも容易く霧散した。耳をつんざく衝撃音と共に、目の前に居たはずの蟻獅子ミルメコレオが消失したのだ。


「アデレードさん。大丈夫ですか?」


「…助かりました…。まさしく投擲戦斧フランキスカですね」


 後を追うように吹いた風と、それと共に耳に届いた彼の声が何が起きたのかを教えてくれる。私達の剣を弾いていた蟻獅子ミルメコレオの甲殻は見るも無残にひしゃげており、その中央には彼の握る剣が突き立っていた。


 彼はその蟻獅子ミルメコレオの死体を蹴り飛ばすと、尻餅をついた私に向かって手を伸ばした。彼が作り出した惨状とは裏腹に、私を心配して掛けてきた声はどこか暢気なもので、そのギャップに私は思わず戸惑ってしまう。


「…あそこから飛んできたんですか。よく通れましたね…」


 窮地を救ってもらったうえ無様に尻餅をついてしまった私は、恥ずかしさを紛らわすように彼が飛んできたであろうジェリスタ王子の居る方向を目線で示した。確かに彼はつい先ほどまであの場所に居たはずだ。その間には未だに蟻獅子ミルメコレオが犇いており、通ろうと思っても通れる状況ではない。


「ええ、まぁ。下は混んでますが上は空いてましたので…」


 まるで、ちょっとした脇道を通ってきましたという気軽さで彼はそう答えた。そもそも通常の人間ならばそこまで戦場を三次元的には捉えないのだが、多くは言うまい。事実、先ほどは蟻獅子ミルメコレオが上から来るとは思ってなかったために不覚を取ったのだ。…たとえこの戦場で上を取った存在が彼と一匹の蟻獅子ミルメコレオだけであってもだ。


「その…近衛の手柄を取る形に成っちゃいますが、俺らが掃討しますよ。一応はこっちが専門のつもりなんで」


「…まだかなりの数が残っていますが、可能なのですか?」


 私達と協力して処理したほうが安全かつ迅速なのではないかと彼に尋ねたが、その質問は杞憂であったことがすぐさま証明された。蟻獅子ミルメコレオの頭上を投擲戦斧フランキスカが飛び回り、無防備な上方から蟻獅子ミルメコレオの首を切り落とす。そして戦場をコントロールするかのように波刃剣フランベルジュの炎弾がそこら中に着弾する。


 熱から逃げた先では冷血コールドブラッドが凍る水弾を放って動きを止めた後、唸る血刃にて解体作業の如く蟻獅子ミルメコレオを分解してゆく。…双拳ダブルインパクトはあの姿を謡ったもので正しいのだろうか。一撃で仕留めているためどの辺りがダブルなのかは分からない。単に両利きということなのだろうか…。


「…アデレードさん。彼らに任せて今の内にジェリスタ王子を保護いたしましょう。モルガンも無事なようですよ」


「え、ええ。そうですね。…直ぐ向かいましょう」


 私達とは余りに違う戦闘風景に思わず見入ってしまっていた。ハルト殿は任せてくれと言ったが、それは飾らない言葉で言うならば邪魔だから下がってろということなのだろう。そこまで言うつもりは無いのかも知れないが、彼らの戦闘と私達近衛の戦闘で足並みを揃えることはかなり困難なことだろう。


 …そもそも彼らはどうやって互いの足並みを揃えているのだろうか…。陣形の型があるにしてはあまりに型破りな戦法だし、何よりリーダーであるハルト殿がポンポン飛び回っているのだ。とても何かしらの指示をしているとは思えない。そんな彼らが蟻獅子ミルメコレオを屠るのを傍目に見ながら、私達はジェリスタ王子の元に辿り着いた。


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