第471話 糸が織り成す願いの布

◇糸が織り成す願いの布◇


「今織っているその布…、俺らに譲ってらうことはできますか。買わせて頂いてもよいのですが、金銭は必要ありませんよね?」


 俺は丁寧な言葉で老婆に頼み込む。彼女の織る布は第三王子に必要となるものだ。もちろん、単に羽織って暖を取るために使おうと考えているのではない。俺の予想が正しければ、この布はただの布ではない。


 老婆は俺の言葉を聞いても目をあわすことなく、淡々と織機を動かしている。一定のリズムでなる織機の音が誰も喋らない無言の空間を強調し、俺は選択を誤ったかと内心焦っていた。


「…嬉しいねぇ。あんたはちゃんと私のことを覚えててくれているんだろ?忘却は人の美徳なれど、忘れ去られる者達にしてみりゃ、それは寂しいものでねぇ…」


「この世界はまだまだ幻想に包まれていますよ。俺からすれば…本当に…本当に夢幻の世界だ…」


 一体何の話をしているのだと他の面々からの視線が俺に向くが、俺はそれを無視して老婆と言葉を交わす。俺は老婆の返答にて彼女の正体が単なる老婆ではないと確信を得ることができた。彼女は見かけどおりの老婆ではない。…妖精ハベトロットだ。


 糸紡ぎ人の守護妖精。ぶ厚い唇が下がった醜い老婆の姿で、糸紡ぎに従事する者や苦労する者を手助けすると言われている人の営みの狭間に存在する妖精だ。この生活感の欠けた室内も、彼女が妖精だからこそのものなのだろう。


「私の織った着物は…、そこの坊やに拵えるつもりかや?…確かに歪んだ育ち方をしているねぇ。心が暴れて体を蝕んでる」


 布を織る手を止めて、老婆の灰色のギョロギョロとした瞳が第三王子の姿を写す。その様子にモルガンは思わず身をすくめているが、第三王子は不思議そうに見詰め返すだけだ。


「いいよ。構わないよ。どの道そのつもりだったんだ。それが…この雨に追われてここに辿り着いたこの坊やの運命さね。この坊やの運命の糸は、私の糸車まで伸びてたのさ…。…私を知る坊やに私の着物を必要とする坊や…。二人の運命の糸が織り合わさって今がある訳だねぇ」


 そう言いながら老婆は織機の前を離れると、紡錘車スピンドルを取り出して第三王子の近くに座り込んだ。


「…ご老人…?一体何を…」


「大丈夫、大丈夫。少し…手を拝借するよ」


 老婆は横になった第三王子の手を取ると、その手の平を自身の指先で円を描くように擦る。そして彼女は何かを摘むようにしてその手を離すと、第三王子の手の平からは光る糸が伸び始めた。その糸を老婆は紡錘車スピンドルに通すと、手馴れたように巻き取り始めた。


 薄暗かった室内が第三王子の光の糸で照らし出される。その超常の現象に、糸を出している第三王子自身が目を見開いて驚いている。


「自分は…一体何を見せられているのだ…。で、殿下。お体は…!?」


「へ、平気だ。むしろ…なんというか心地よい…」


 そして驚愕する皆は老婆の姿を見て更に驚くことになる。糸を巻き取るにつれて、醜い老婆の姿であったハベトロットは素朴ながらも美しい少女の姿に変わってゆく。その姿に見惚れた第三王子の頭を、ハベトロットは慈しむように軽く撫でた。


 十分な量を巻き取ったのか、光る糸は自然と途切れ幾分か光量も落ち着いたように見える。ハベトロットは織機にそれを備え付けると、手を軽く引いて第三王子を立ち上がらせた。


「さぁ、坊や。体は大分楽になっただろう?ここからは二人で布を織ろうか」


 そう言ってハベトロットは織機の椅子を半分空けて第三王子をそこに座らした。そして彼と隣り合って座ると彼の手を誘導するようにして織機を動かし始める。一体何のために布を織っているのか彼は分かっていないが、不思議な現象を目の当たりにしたからか特に抵抗することなくハベトロットに従っている。


「坊や。この穴に坊やの糸を通すんだ。…そうだよ。なんだい上手じゃないか」


「こ、これでいいのか…。こんなこと、私は初めてでどうすればいいか…」


「大丈夫。上手上手。そうそう、そうやって動かして…」


 第三王子が加わったことで、少しばかり変則的になったリズムで織機が音を鳴らす。第三王子は初めて触る織機に四苦八苦していたが、ハベトロットが丁寧に教えることで、次第に慣れたようにそれを動かし始めた。


「…ハルト様。そろそろ教えてくれても良いのではないですか?あの老婆…いえ、今は少女ですが…一体何者ですか?」


 彼と彼女の機織作業を眺めていると、後ろからメルルが小声で尋ねてきた。振り返ってみれば他の者も気になっていたようで、俺に説明を求めるように見詰めてくる。


「ハベトロット…。糸紡ぎ人の守護妖精だ。…まさかこんな所にいるとは思わなかったが…多分、ここらは縫製をしていたんだろ」


 妖精は正体を看破すると機嫌を損ねる者も居るため安易に口には出せなかったが、すでに彼女がその姿を披露しているために語っても問題は無いだろう。俺は自分の知っている情報を他の面々に打ち明けた。


「…妖精…。貴方は妖精なのか…?…その姿を見るまでは、人だと思っていた…」


「私達は人から産まれる者だからね。その目が曇ってなけりゃ、坊やも他の妖精に出会えるはずさ…。…と言っても、危ない奴らも多いから気をつけるんだよ」


 俺の話を聞いていたのか、第三王子は隣のハベトロットに語りかけた。ハベトロットはどこか寂しげな表情で彼に言葉を返す。彼女の言うとおり、精霊と違って妖精は人の営みに根ざす存在だ。だからこそ、人の生活圏にその姿を見ることができる。


 その間にも織機は音を鳴らし、気が付けば一枚の大きな布を作り上げた。まるで絹のように滑らかで、それでいて羊毛のように温かみもある。色は白色だがどこか透明感があり仄かな光を放つ不思議な布だ。


「さぁ。よくやったね。もう直ぐ出来上がるよ」


 布はひとりでに宙を浮かび、勝手に裁断、縫製がなされケープの形に成ってゆく。そうしてそのままゆっくり落下すると、ハベトロットの手に収まった。彼女はそのケープを広げると、第三王子に着せるように肩に回す。


「織物はね…。女達の願いが篭るものさ。夫が怪我をしないように、無事に帰ってくるように。…そして子供が健やかに育つように…」


 慈しむような顔で、彼女はケープを纏った第三王子を見詰める。美少女に面と向かって見詰められたか第三王子はむず痒いように身を悶えた。


「あの布…何て言うか…優しい力を感じます…」


「そうだね…。私もなんか…家族を思い出したよ」


 不思議な布で織られたケープを見てタルテとナナが感想をこぼす。…彼女達の感想は間違いではなく、それこそが第三王子の体質を改善するものだ。ハベトロットが紡いだ糸で編んだ上着は、呪いや病気からの回復の魔力を持つと言われている。まさに身に宿す魔法が暴走している第三王子には打ってつけの代物だろう。


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