第469話 谷底の中の雨の下

◇谷底の中の雨の下◇


「まさかまた溺れかけるとはな。もしかして今年の俺のトレンドは水難か?」


 川原に打ち上げられた俺は、他の面子の無事を確認しながら愚痴るようにそう呟いた。軽口のような愚痴ではあるが、それは疲労の裏返しだ。濁流に飲み込まれると同時に、メルルが何とか周囲の水を制御して血の檻を浮かせてみせたものの、流石に濁流の流れには抵抗できず、まるで荒波に飲まれた難破船の如く、水を大量に浴びながらここまで流れ着いたのだ。


 …前回は入水と共に意識を失ったから、状況的にはマシなのだろうか。水を司る竜讃神殿の巫女であるルミエを助けたというのにこうも水難が続くのはご利益を疑いたくなる。もしかして、神様は神殿の窓を玄関にしたのを恨んでいるのだろうか…。…テルマ神殿長は罰が当たると言っていたが…。


 全員が浜辺に漂着した遭難者の如く、水に濡れた重い体を引きずるようにして身を起こす。特に第三王子とモルガンの疲労はかなりのもので、彼らは水場から離れるとそのまま仰向けになって身体を横たえた。


「酷い目にあいましたわ…。…ハルト様。周囲の状況は…」


「追っ手はいない。というか随分流されたからな…。追おうとしても付いてこれないだろ。…敵も味方もな…」


 もちろん念のため風で索敵をしてはいるが、人と思われる存在は見つからない。それはすぐさま襲撃を受ける心配がないが、同時に味方からの救助も絶望的ということだ。


「直ぐに体を温めないとね。…特にジェリスタ王子は病弱らしいし…、こんな状態じゃ風邪を引いちゃうよ」


「そうですね…。せめて体力を回復させておきましょうか…」


 病弱な第三王子に限らず、人は濡れるとあっという間に体温を奪われて死ぬ可能性が急上昇する。俺らは倒れている第三王子の周りに集まり、彼の容態を確認しながら身体をメルルの魔法で乾燥させてゆく。雨は谷底であっても変わらず降り注いでいるため、メルルは乾燥と同時に雨傘も構築した。


 しかし、たとえ着物を乾かしたとしても奪われた体温が回復するわけでもなく、第三王子もモルガンも大分憔悴してしまっている。低体温症が一番心配なのは小柄な体格のタルテだが、幸いにも彼女は人一倍体が丈夫であるため平気な顔をしている。


 …できれば、ナナに火を焚いてもらいたいところだが、火の灯りを敵に目撃される可能性もある。そのため身体を温めるのは洞窟などを見つけてからにするべきなのだが、紫色に変色した第三王子の唇を見てその判断を曲げそうになる。しかし俺が容態を観察するように見ていると、彼は自分に光魔法を施すとゆっくりと上半身を起こした。


「こ、ここは何処なのだ…皆は…皆はどこにいる…」


 怯えたような声が第三王子の声が漏れる。その声は酷くか細く、彼自身が打ち鳴らす歯の音で掻き消えるほどだ。彼の隣では同じように紫色の唇をしたモルガンがタルテの光魔法で治療を受けている。


「…王子。背中に乗ってくれ。直ぐにこの場を離れるぞ。…水量も増えてきているし、川原は安全とは言いがたい」


 多少ぶっきらぼうな言い方に成ってしまったが、ジェリスタ王子は特に言葉を放つことなく素直に俺の背中に伸し掛かってきた。同じようにモルガンもナナの肩を借りて立ち上がり、縋るような目で俺を見つめてきた。


「これから一体どうなるのだ…。…私達は助かるのか…?」


「助かるために足を動かすんだよ。…直ぐに暖を取れるところを探すからそこで身体を休めよう…」


 俺は耳元で呟かれたうわごとのような第三王子の声に答える。その言葉を行いで示すように俺は王子を背負いながら草を掻き分けるように先へと進む。幸いにもこの谷底にも人の往来があるようで、人一人が進める程度であるが踏み固められた小路が川に沿うように続いている。


「王子様…。体調はどうですか…?悪いところがあったら言ってくださいね…?」


「あ、あぁ…。今はだるいだけだが…多分この後は体調を壊すはずだ。…経験則みたいなものだがな…。…モルガンの治療を見ていたが、そなたは中々の光魔法使いのようだな」


 タルテが第三王子を気遣って尋ねかければ、彼は自分が平気じゃなくなると予言する。そしてタルテの魔法を褒める言葉には自嘲するような思いが込められていた。


「光魔法使いなのに…体が弱いのか…?」


 ふとした疑問がつい俺の口から零れ出てしまう。迂闊なことをいってしまったかと思ったが、彼は特に隠すことなくその理由を口にした。


「…適正が強すぎて逆に身を蝕むのだ。…なんでも、病のを光魔法が強くしてしまうらしい…」


 高適正による魔法暴走…。光魔法の活性が病原体にも作用して病気が深刻化してしまうのか…。その言葉を聞いて俺の視線は自然と隣でモルガンに肩を貸して歩くナナに向かってしまう。…彼女の火傷の跡も、高適正による魔法暴走にて生まれたものだ。


「ジェリスタ王子も同じなんですね。…私の火傷も、同じく適正が強すぎて焼いちゃったんですよ」


 第三王子の言葉はナナの耳にも届いていたようで、彼女は苦笑しながら第三王子にそう言葉を投げかけた。ナナの台詞の意味を理解したのか、俺の耳には第三王子の息を呑む音が聞こえた。


「…すまない。…行脚の途中、ずっと謝りたかったのだ。…私自身も普段から出来損ないと哂われ、言葉の痛みを知っているはずなのにな…。…まさか貴方も同じ理由で苦しんでいたとは…」


「…言っておきますけど、私はこの火傷痕で苦しんではいませんよ。…これで良いっていってくれる人もいますし…」


「そうか…。それは…なんというか…幸せだな。…母上も…私の魔法がいつか役立つと言ってくれるが…倒れるたびに心配させてしまうのだ…」


 第三王子はしおらしい態度でナナに謝るが、それと同時に同士を見つけた僅かな喜色が混じっていた。ナナは厳密には同士でないと宣言するが、第三王子はそれでも期待が裏切られたと思うことは無く、眩しいものを見るようにナナを見詰めている。同時に何故だか俺の首に回された彼の腕にギチリと力が込められた。


「お、おい…!家だぞ…!家があったぞ…!」


 感慨にふける第三王子の雰囲気が僅かばかりの静寂を作り出したが、それを破るように今まで黙っていたモルガンが叫んだ。疲労に塗れた声であるが、その言葉には砂漠でオアシスを見つけたような喜びが込められていた。


 彼の言うとおり、俺らの進む先には木々に囲まれるようにして、小さな木造りの一軒家が佇んでいた。


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