第451話 旅立つ前の一仕事

◇旅立つ前の一仕事◇


「おいお前。丁度いい。これを馬車まで運んでおけ」


 簡易土壌分析図を取りに馬車まで戻ったタルテを待っていると、唐突に横合いから声が掛けられた。いったい誰が話しかけてきたのかとそちらを向いてみれば、第三王子に侍っていた青年が俺らに向けて歩み寄ってくるところであった。


 たしかモルガンという名だとメルルが言っていた記憶がある。そいつは俺に向けて小型のトランクケースを押し付けるように差し出してきた。周囲では役人や騎士団が手分けして儀式の片付けのために走り回っている。この差し出してきた荷物も片付けの一部なのだろう。


 …無骨な形状からして装備品の手入れ用の道具だろうか。モルガンは俺の胸元にそのトランクケースを押し付けるが、俺はそれを手に取るわけにはいかない。


「…モルガン様。いったい何をお考えで?私達は従者じゃございませんわよ」


「第三王子の従者に私の荷物を運ばせる訳にはいかないだろう。第一、そこの男は平民なのだろ?手伝わせて何が悪い」


「それでしたらご自分で従者を用意いたすべきですわ。お家のほうから誰も連れて来ていないので?」


 ちゃんとした挨拶を交わしたことは無いが、向こうは俺の素性を知っているらしい。第三王子の御側付を任されているだけあって、事前に行脚についての情報は仕入れているようだ。モルガンはチラチラと第三王子の居るであろう方向を気にしている。…どうやら、たまたま近くに居た俺に荷物を運ばせて、自分は直ぐに王子のところに戻りたいらしい。


 俺が断る前にメルルが間に入ってモルガンの行動を諌めるが、モルガンは悪びれもせずに俺にその鞄を馬車まで運ぶように尚も要求する。メルルは暗に自分のことは自分でしろと注意したが、モルガンにはまったく伝わっていない。


 確かに貴族が平民をあごで使うのは自然に思えるが、今回のように全員で仕事に取り掛かっている状態で所属の違う人間を使うのはあまりに不躾な行動だ。ナナもモルガンの行動に眉を顰めている。


「…私はこの平民の男に言っているのだ。ゼネルカーナ嬢は黙っていてもらえないか?」


「…申し訳ありませんが、他の者に依頼してください。自分達はこれから土壌調査に赴かなければなりませんので。これを運んでいてはメルル様やナナリア様に迷惑を掛けてしまいます」


 モルガンが苛立った顔で俺に詰め寄ってきたため、俺はわざとらしく丁重な態度でそれを断る。こいつが平民だからと俺を使役するつもりであるため、俺は既にメルルやナナに使われている状態であると宣言する。先約があるのだから俺に無理に仕事を要求することもできないだろう。


 モルガンはメルルとナナに視線を向けるが彼女達は俺の言ったことを肯定するように、彼に向かって頷いてみせた。彼は何故ここまで反目されるのか理解できないといった顔で舌打ちと共に荷物を取り下げる。彼としてはメルルやナナがいいように使っているであろう平民を、少しばかり自分も利用しようと思っただけなのだろう。


「悪いなメルル。間に入ってくれて助かった」


「いえいえ。結局はハルト様が直接断ることになってしまいましたわ」


 俺は離れてゆくモルガンの背を見つめながら、メルルに礼を言う。こういった貴族に絡まれるような状況は俺が何言っても角が立つため、基本的にメルルやナナに対応を任せている。だからこそ今回の行脚などでは彼女達に負担を掛けてしまっている。


「みなさん…!お待たせしました…!畑に行きましょう…!」


「おかえり、タルテちゃん。…また声を掛けられても面倒だし、さっさと畑に向かおうか」


 丁度入れ替わるように、簡易土壌分析図を抱えたタルテが戻ってきた。俺らは彼女を出迎えると、早々に朝に調査をした地点へと向かうために畦道を歩き始める。畦道から荘園の畑の様子を眺めれば、既に荘園も通常営業に戻ったようで畑仕事に精を出している者達の姿が確認できる。


 目的の畑に辿り着くと、そこで作業している者に一声掛けてから調査に入る。と言ってもタルテ以外は殆どやることが無く、手早く作業する彼女の様子を眺めているだけだ。


「ふむう…。変化はありますが…測定誤差程度ですね…」


「…?それって測定失敗ってこと?豊穣の儀式が失敗ってことは無いだろうし…」


「いえ…、手順が違っていても…同じような結果はでないはずです…。私の力は測定不能ということでしょうか…?ちょっとペクトゥナさんに相談してみます…」


 タルテは出てきた結果に頭を悩ましている。彼女も自分の豊穣の力をこうやって計測したことは初めてのようで、なぜ結果に変化が無いのか心当たりが無いらしい。俺らはいったん荷物を纏めると同じように調査をしているであろうペクトゥナさんを探し始める。


 作業量の多い彼女は未だに畑でサンプルを取っているだろうと思ったのだが、意外にもペクトゥナさんは荘園の入り口近くの馬車で作業をしていた。彼女は既にサンプルの土が入ったビンを整理しながら馬車に積み込んでいる。


「ペクトゥナさん…、もう作業が終わったんですか…?」


「あらぁ、もしかして手伝おうとしてくれました?ありがとうございます。撤収まで時間も無いので、流石に手伝ってくださいましたよ。…私の作業待ちで出立できないとなれば問題になりますからね」


 どうやら今回は俺らが手伝う必要も無く調査をすることができたらしい。…それでもこの馬車で彼女一人が作業している辺り、終わりが見えた辺りで作業を押し付けられたのかもしれない…。


 ペクトゥナさんの作業が一段落したあたりで、タルテは自分の調査結果を見せて相談をする。ペクトゥナさんはタルテから渡された簡易土壌分析図に目を通すと、ちょっと待ってくださいと言いながら馬車に詰まれた資料をあさり始めた。


「…ああ、これですねぇ。豊穣の力の効果は経時で変化していきます。ですから測定には結果が安定するまで時を置いてから計測するのですが…。まさか直後はこうも変化が無いものなのですね」


「ええ…!?てことは私が調査する意味って…」


「いえいえ。豊穣の力が使われた直後のデータはまったくありませんからね。変化が無いという結果を得ることができます。簡易土壌分析図は解析には不十分だからと排他した弊害ですねぇ。タルテさんはぜひこのデータを集めてください」


 馬車の縁を机にして、ペクトゥナさんとタルテが肩を並べて話し合う。どうやら豊穣の力が形に成るには、暫くの時間が必要らしい。彼女達の話を話半分に聞きながら、俺は広げられた資料にチラリと目を向ける。


「んん?…これって?」


 そこにあった資料に俺は思わず手を伸ばしてしまった。なぜならば丁度俺が欲していた情報がそこに書かれていたからだ。まさかこんな所に無造作に置かれているとは思ってもみなかった。


「それは次に向かう予定地の地図ですよぉ。…ああ、学生さんなら初めて見ますか?畑の地図なんて騎士団だって持っていませんからねぇ。これは徴税の面積計測にも使われる正確なものなんです」


 今回はアデレードさんに荘園の外に案内してもらったのだが、次の計画を立てるために現地の地図が欲しかったのだ。だが、第三王子が同行するだけあって、今回の行脚の具体的な経路や目的地は機密扱いになっており、しかも農場の地形なんてものは騎士団の会話を盗み聞きしても手に入れることができない。


「…よければ写しますか?土の回収地点を示したほうがデータとしても上等ですからねぇ」


 機密なのではと思ったが、畑の地図程度であれば部外秘とする程ではないらしい。今一納得できなかったものの、これ幸いにと俺らは手分けして複数の地図を写し始めた。


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