第444話 病弱な第三王子

◇病弱な第三王子◇


「…おい。ちょっと不味いのが向かってきてるぞ」


 余り長く話す訳にもいかないので、アデレードさんと分かれようとしたところ、その機先を制すようにとある人物が俺らの元に向かってきた。あまり対面したい相手ではないのだが、向こうがこちらを認識している状態でこの場を離れるのは不自然な上に失礼な振る舞いだ。


 第三王子ジェリスタ・ディ・サヴィオア=ハスタード。この行脚の主役である人間が、俺らを目指して近付いてくる。年齢は俺らの二つ下と聞いているが、それ以上に幼く見える。病弱のためか肌の色は白く、身体の肉付きも悪い。しかし、こちらに向かってくる足取りはしっかりしたもので、その様子は健康体そのものだ。


「…ハルト様。病弱という話ですが、持病などがあるわけではありません。今回の行脚も医師から問題ないと判断されています」


「ふぅん。病弱っていうよりは…病気がちって感じか。…で、なんで王子様がこっちに向かって来てるんだ?」


 俺の疑問を感じ取ったのかメルルがこっそりと耳打ちをしてくれる。病弱と聞いて薄幸の王子様を想像していたが、どうやらそれは誤りであったらしい。王子が赴くのに合わせ、メルルとナナが頭を垂れる。俺とタルテもその二人を真似するように頭を下げた。


 第三王子は不機嫌そうな顔で俺らを見つめる。彼の後ろには同年代らしき若い男が付き従い、同じく不機嫌そうな顔で俺らのことを見つめていた。…騎士団とも近衛とも違う金属鎧を身に纏っており、護衛のように振舞っているがその鎧は綺麗なものだ。恐らくは友人兼従者、少しばかりの護衛を目的にした立場の者なのだろう。


「アデレード。こいつらがお前の言っていた調査員か。…ああ、さっさと頭を上げろ。わずらわしい」


「はい。オルドダナ学院から出向してきた調査員になります。まだ学生のため、私が多少の面倒を見たいと思っております」


 お許しが出たため顔を上げるが、王子は俺に視線を合わすことなく、チラリと一瞥しただけでアデレードさんに視線を戻した。


「確か…そっちが妹のサフェーラであったか」


「…はい。ジェリスタ王子もご健勝なようで何よりです。春祭りの舞踏会ではお姿を拝見できませんでしたので、案じておりましたのよ」


 サフェーラ嬢がカーテシーと共に第三王子に挨拶をする。そして、漸く第三王子の視線が俺らに向けてしっかりと注がれることとなった。値踏みするような視線は居心地の良いものではないが、食って掛かる訳にもいかず、俺は無心でその視線をやり過ごした。


「その火傷痕。お前が噂のネルカトルの傷物令嬢か。これまた凄い顔だな」


 第三王子の視線が目立つナナの火傷痕に注がれたかと思えば、唐突に暴言がその口から漏れ出てきた。思わず腰元の剣に伸びかけるが、それよりも先にアデレードさんの声が王子に向かって吐き出された。


「ジェリスタ王子…!そのような言葉は御身の品位を下げます…!どこで覚えたのですか…!」


「チッ…。いいだろうこのぐらい。火傷顔は事実なんだからな。…まぁ、名前は聞いといてやろう。呼ぶ度にアデレードに文句を言われては溜まらんからな」


「…お初お目にかかります。テオドール・ネルカトル辺境伯の娘。ナナリア・ネルカトルと申します…」


 第三王子に促されナナが挨拶を述べる。火傷痕のことを指摘されるのは慣れてしまったのか、彼女は大した感情の動きも無く、淡々と言葉を口にした。代わりに周囲の空気には俺の感情が伝播している。行動に起こすような馬鹿な真似はしないが、俺から漏れ出た怒気が空気に宿り、えも言われぬ重圧が辺りを支配する。


 文字通り空気が悪くなったため、第三王子は訝しげに周囲を見渡す。風に乗った俺の感情は魔法的なものなので、魔法使いであればよりはっきりと感じ取ることができる。…どうやら第三王子は魔法使いの適正があるようだ。逆に後ろに侍っている騎士見習いのような男はその適正が無いようで、何の反応も見せていない。適性が無くても少しは感じ取れるほどの感情を載せているのだが、無反応であるあたりよほど図太い人間のようだ。


 第三王子と同じく重圧を感じ取ったアデレードさんはチラチラと俺に向けて視線を向けている。どうやら彼女は重圧の発生源が俺だと分かっているようだが、流石に怒気を持つことを不敬とは言えないようで、警戒するだけに留めている。


「なんだ?気味の悪い連中だ。もういい…!モルガンッ!行くぞ!」


「はッ…!」


 まだメルルと聞く気があるのなら平民の俺とタルテの自己紹介が残っているのだが、第三王子は矢鱈に重くなった空気に耐えかね、怯えの色を見せながら踵を返す。騎士見習い…モルガンはなぜ第三王子がこの場を離れるのか不思議そうにしていたが、特に文句を言わずに王子に付き従って行った。


 第三王子が俺らの元を離れたことで、重圧が収まり逆に気まずい空気だけが残った。メルルは詰るような視線を俺に向けるが、彼女も第三王子の言った言葉に腹を立てていたようで、あえて言葉に出すことはしない。


「…すみません。 ジェリスタ王子は…口が悪いのです。悪気がまったく無いとは言いませんが、思ったことをそのまま口に出すと申しますか…」


「…ええ。素直な方とは耳にしておりましたが、あそこまで飾らない言葉を頂けるとは…」


 第三王子の暴言をアデレードさんが代わりに謝る。明らかに第三王子の発言が原因であるため、俺の空気を悪くした行為にはお咎めが無いらしい。


「ナナリアさん。どうか気を悪くしないで下さい。第三王子には私のほうからきつく言っておきますので…」


「いえ、気にしないで下さい。…それに、実を言うと…これ、消せるんですよね」


 そう言いながらナナは自分の顔に付いた火傷痕を撫でる。すると陽炎のような火が揺らめき、収まった頃には火傷痕が跡形も無く消え去った。アデレードさんは火傷痕を消してみせたナナを目を見開いて見つめている。


 ナナが火傷痕を消したのは、精霊化の応用だ。火傷痕の残る肉体を炎に変え、正常な肌へと再構築したのだ。肉体という形で安定させてしまえばそれは永続するため、恒常的に火傷痕を消すことができる。そのため俺にも消すかどうか相談されたのだが、結局は火傷痕が残っていたほうがいい虫除けになると彼女自身の意思で火傷痕を残すことにしたのだ。


「さっきの重圧といい、その魔法といい、君たちは随分と腕が立つようですね。サフェーラが執着するのも分かった気がします」


 アデレードさんとサフェーラ嬢は随分と雰囲気の違う姉妹であったが、好奇心に満ちたその表情は二人ともよく似ている。姉妹そろって不気味な笑みを浮かべ俺らの様子を眺めていた。


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