第443話 旅立ちの日

◇旅立ちの日◇


「賑やかだね。こうして見ると大分大所帯に思えるけど、国宝と王子の警備となると足りないくらいなのかな?」


 例の依頼を受けてから一ヶ月弱、とうとう出立の日がやってきた。騎士団の演習場には十数台の馬車が乗り入れ、次々と荷物が積まれてゆく。事務員や文官らしき者達は慌しく立ち回りながら積荷のチェックを行い、騎士たちも最後の装備確認を念入りにしている。


 活気に溢れたそこはまるでバザー会場のようだが、同時に任務を前にした戦士達のひりつく空気も広がっている。そのため、どこか浮き足立ってしまいそうにもなるが、忙しさが彼らの足を地に着けている。


 俺らは演習場の隅によって、そんな騎士団の様子を遠目に眺める。周囲には行脚に向かう騎士の家族や恋人なども集まっており、豊穣祈願の行脚に出向く騎士の出立を見守っている。そして、そんな見送りに来た一団の中の一人とタルテは別れの挨拶を交わしている。


「ではタルテさん。気をつけてくださいね。…あなたは優秀だから調査の心配は無いのだけれども、向こうは治安もあまり良くないと聞いていますからあまり危ないことはしないで下さいね」


「はい…!お見送りありがとうございます…!…あの…クスシリム先生…授業は大丈夫なのですか…?」


「大丈夫よ。この時間はマンドラゴラの植え替えを指示していますから。…失敗しても気絶程度ですみますよ」


 薬学や植生学を教えるクスシリム準教授が、タルテの無事を祈るように声を掛ける。そしてクスシリム準教授は俺やナナ、メルルにも決して無理をしないようにと優しげに言葉を投げかける。その様子は教師というよりも母親のようであり、今回の行脚に生徒が同行することを心から心配しているのだろう。


 クスシリム準教授がタルテに声を掛けたように、表向きに俺らは現地の植生や土壌の調査という名目で同行することになっている。要するに豊穣の角鍬コルヌコピアを使う前と後で、どのような変化が齎されるのかを調べるのだ。


 といっても、オルドダナ学院の学生による後学のための調査という名目であって、実際には本物の調査員も同行するため、俺らとしては気楽なものだ。今回の行脚は俺らや調査員以外にも、内政官や事務官なども同行することになっており、それもあってナナは大所帯と表現したのだろう。


「ハルト様。指揮官のお出ましですわ。何事も無いとは思いますが、注意してくださいまし」


「うわぁ…。あんな馬車で行くの?どこに王子が乗ってるか一目瞭然だと思うんだけど…」


「豊穣祈願の行脚は公式行事ですから…ある意味では地方に対する凱旋のようなものです。そんな行事で王子が逃げ隠れする訳にはいきませんのよ」


 演習場の空気が変わったかと思えば、入り口からは豪華な馬車が乗り入れてきた。周囲は近衛兵に囲まれており、今までの活気溢れるどこか人間味のある騎士団の様子とは違って荘厳な雰囲気を纏っている。近衛と騎士団はどちらが上と言うわけではないが、王族の近くに侍る者達だけあって騎士団には無い存在感を放っている。


 その集団は演習場の中ほどまで乗り入れると、このような環境下でありながら即座に警備体制を整えてゆく。まさか出立前のこの場で敵襲が来る可能性は皆無に近いのだが、油断する気もまったく無いのだろう。


「ああ言うのを見ると王族って感じがするな。…うちのお姫様はもうちょっと粗雑な環境だったから…」


「…ハルト?言っておくけど本来なら近衛兵の役目をこなすのは君のお母さんなんだよ?」


「そりゃ無理な相談だ。母さんがあんな礼儀正しそうな振る舞いができるわけ無いだろ?礼儀を求めたところで…どうせ常在戦場とかいって戦場の礼儀を導入してくるはずだ」


 ネルカトル領のお姫様をからかったら、思いも寄らぬブーメランが返ってきた。思えば一番荘厳と程遠い人間がネルカトルの騎士のトップであった。母さんに近衛兵のような振る舞いを求めたところで、数秒で瓦解するのが目に浮かぶ。


「…?あれ…?サフェーラさんがいらしてますよ…?行脚には同行しない筈ですよね…?」


「なんだろうね。私たちを呼んでるみたいだけれども…」


 きびきびと動く近衛兵を見ていると、その中にサフェーラ嬢が紛れているのを俺らは見つけた。サフェーラ嬢は俺らの姿を見つけると、呼び寄せるように小さく手を振って見せた。近衛の一団の近くには寄りたくは無かったが、呼ばれているのに無視するわけにはいかず、俺らは彼女の元へと脚を進めた。


「わざわざすみません。出発前に申し訳ありませんが少々お時間をいただけないでしょうか?紹介したい人がおりますの」


「紹介したい人ですか。それは…そちらの近衛の方のことでしょうか?」


 サフェーラ嬢の隣には近衛の制服を着た一人の女性騎士が並び立っていた。二十歳程度の若々しい方だが、冷静沈着な様子は年齢以上の風格を醸し出している。


 まだ紹介の言葉を聞いてはいないが、彼女とサフェーラ嬢の関係性は言われなくとも推測することができる。二人の雰囲気は全くと言っていいほど違うが、髪色や瞳の色、顔付きなど様々な特徴が共通しているのだ。


「皆様、私はアデレード・セントホールと申します。…この度は王府からの不躾なお願いを聞いていただき誠にありがとうございます」


 彼女は目立たないように頭は下げなかったが、丁寧な言葉で俺ら…主にタルテに向けて感謝の意を述べた。


「セントホール家の方でしたか。とすると…?」


「ええ。この腹黒の姉になります。…普段から随分とご迷惑をお掛けしているようで…、妹に代わってお詫びいたします」


「あら、アデレード姉様。それはあんまりじゃございませんこと?」


 その外見的な特徴から判断したとおり、女性騎士はサフェーラ嬢の姉御らしい。随分と性格は違うようだが、二人の距離感には家族ならではのものを感じ取ることができる。


「先ほどの言葉でもお分かりの通り、アデレード姉様は今回の行脚において皆様にお願いした依頼のことを承知しております。もし、判断に迷うようなことがありましたがアデレード姉様に指示を仰ぐようにお願いいたしますね」


「近衛の私には話しかけづらいとは思いますが、サフェーラの友人ということで目を掛けることを匂わせておりますので、個別にやり取りすることは問題はありません。…もちろん、目を掛けていることも間違いではないので、何かあればぜひ声を掛けてください」


 冷静沈着な外見だが、意外にも気さくに俺らに語りかけてくれる。その言葉ぶりはまさに頼れるお姉さんだ。…タルテの秘密を守るためにも、多くの者は俺らを学院が送り込んだ調査員と認識している。数少ない俺らの事情を知り便宜を図ってくれる参加者がサフェーラ嬢のお姉さんなのだろう。


 できれば彼女の言うように話しかけずらい近衛兵ではなく、もっと身近な協力者が欲しかったところだが、それはタルテの秘密が漏洩する危険性も孕んでいる。…ちなみに第三王子は俺らの事情は知らないらしい。その事情を知らない第三王子の舵取りをするために、近衛の彼女が俺らの事情を知る人間に選ばれたのだろう。


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