第442話 レプリカの鍬

◇レプリカの鍬◇


「これが豊穣の角鍬コルヌコピア…の偽物か。本物を知らないから判断付かないが、鍬には見えないな」


 サフェーラ嬢から依頼の話をされて一週間ほど。俺らは再び彼女に呼び出されていた。わざわざこの話し合いのために用意された邸宅には人の気配が無く、まさに秘密の会合のような有様だ。俺らはサフェーラ嬢が手づから淹れた紅茶を飲みながら、テーブルの上に置かれた魔剣を鑑定するように眺めている。


 豊穣の角鍬コルヌコピアは耕した大地を中心に広範囲に渡って豊穣を齎す特殊な魔剣らしい。つまり豊穣祈願の行脚とは形式的なパフォーマンスだけではなく、実利のある儀式といっても差し支えは無い。だからこそ、以前にサフェーラ嬢が言ったように中止や場所の変更が難しいのだろう。


 通常の鍬は柄の先端に半円状、あるいは湾曲した板状の刃が取り付けられたものだが、豊穣の角鍬コルヌコピアはそこが木が捻れてできた角型の形状になっている。むしろ鍬よりも鶴嘴のほうが似た形状だろう。両端が尖っている鶴嘴がメジャーではあるが、片方が平刃になっている鶴嘴も存在したはずだ。豊穣の角鍬コルヌコピアはまさにその鶴嘴に似通っている。


「どうでしょうか。王家御用達の職人に秘密裏に作らせたものです。削り出しで作った代物ですが、それと分からぬように加工してありますでしょう?」


 何でも鑑定する団体と違って、豊穣の角鍬コルヌコピアを見せられたところで俺らには真贋なぞ分かるわけではない。だが、サフェーラ嬢が俺らにこれを見せたのはタルテにこれが触媒として使えるか判断してもらうことにある。


「ふむむ…。豊穣の力を込めることはできますが…、一時的であっても…本物と呼べるほどには難しいですね…」


「ま、それはそうでしょうね。…となると、当初の想定どおり私達もその行脚に同行する必要があるわけですね」


 サフェーラ嬢がタルテに豊穣の角鍬コルヌコピアの代わりを依頼したのは、この偽物を使うためだ。例えどんな荒地であっても豊穣を齎すこの魔剣は、戦闘性能に秀でた魔剣以上に価値がある。それこそ、国内外の者達が多少の無茶をしても手に入れようと画策するほどには…。


 だからこそ、今回の豊穣祈願の行脚には本物を表に出さず、偽物にて代用することが計画されたのだ。そのために必要なのがタルテの豊穣の力。むしろタルテの存在があったからこそ、この偽物を用いる計画が発案されたのだろう。


「…あわよくばこの偽物だけで方がつけばと思ったのですが、流石にそう上手くはいきませんか。ではせめて多少なりとも豊穣の力を込めて頂けないでしょうか?今のままでは形を似せただけに過ぎませんから見破られる可能性もありますので」


「は…はい…!その…本当に片鱗だけになっちゃいますが…」


 サフェーラ嬢に頼まれ、タルテはテーブルの上のレプリカを手に取った。殴って物理的な力を込めるのではと一瞬ひやりとしたが、タルテは丁寧にそれを胸に抱くとブツブツと呪文を唱え始める。光魔法か、あるいは豊穣の力たる木魔法の力か、彼女の髪から小さな光の珠が湧き上がって宙へと消えてゆく。


 死んで木材と成ったレプリカの木が、再び息を吹き返す。切り株から小さな小枝が伸びるように、レプリカからも枝葉が伸び、軋む音をたてながら蠢くようにしてレプリカの木材が成長した。そしてそれに呼応するように、タルテの髪に混じっている蔦には小さな白い花が芽吹いてゆく。あまりに神秘的な光景に、サフェーラ嬢は口元を手で覆って目を見開いて見つめている。


「お…終わりました…。魔力を込めて振れば…光ると思います…。豊穣の力は…込める魔力によりますが…気持ち程度ですね…」


 タルテは申し訳無さそうにレプリカを机の上に戻す。形を似せただけで単なる木に過ぎないため、流石に豊穣の力は殆ど無いらしい。それこそ光るだけなので幼子向けの玩具のようなものだ。


「い、いえ。それだけでも十分です。…むしろ、豊穣の力をこの目で見れて非常に眼福でした」


 サフェーラ嬢はタルテを励ますように声を掛ける。眼福というのは本当のようで、彼女は感激したように笑みを浮かべている。


「それでサフェーラ。今回の依頼は行脚に紛れて本物の豊穣の角鍬コルヌコピアの代わりに豊穣の力を大地に施す…、ということでよろしいのですわね?」


「ええ。そのとおりです。…ですが、その情報だけでは不足があることもメルルならご存知でしょう?」


 レプリカが今回の行脚だけでも本物と同様に使うことができれば、その時点で俺らはお役御免であったため、そこまで具体的な話を聞いてはいなかった。だからこそ、細かい箇所を詰めるためにメルルはサフェーラ嬢に尋ねかけた。


「ご存知でしょう?ではないですわよ。漏れ出てくる話だけでも随分と色々な思惑が入り込んでいるじゃないですか。…大体、なんで行脚にあの第三王子が選ばれているのです」


「第三王子?…前にメルルに聞いた事があるね。確か病弱なんだっけ?…行脚に耐えられるの?」


 サフェーラ嬢に依頼の話をされてから、メルルの方でも詳しい内容を探っていたのだ。だが、出てきた内容はあまり好ましい話ではなかったらしい。国家行事であるため関わる人間も多く、そこには様々な意思が内在する。


「何かしらの成果を上げたい第三王子派閥と、無茶をさせて潰したい他派閥の意思が合致したということでしょう。…もちろん、王子の警護は依頼に含まれていませんので安心してください」


「巻き込まれる可能性があるじゃないですか…。不穏な派閥の動きに、そもそも腹に一物抱えているバグサファ地方…。音頭を取る第三王子の体調にも不安が残る。…タルテ。一応言っておきますがこの話は断ることもできますわよ」


 悩ましげに考えるメルルが、タルテに断っても言いと言葉を掛ける。王府からの依頼ということで断ることを思っていなかったのか、タルテは不思議そうにメルルを見返している。


「ふえ…?いいんですか…?王様からのお願いですよね…?」


「王様ではなく厳密には王府ね。そもそも豊穣の一族である貴方は居てくれるだけで価値がありますので、その関係を崩してまで依頼を強制するつもりはありませんわよ」


 今回は行脚で豊穣の力を大地に施す依頼だが、そもそもタルテは常に豊穣の力を小規模ながらも周囲に振りまいている。だからこそ国府は彼女の秘密を知りつつも、見守るだけに収めているのだ。


 タルテの力を頼るような依頼はイレギュラーなものであり、向こうとしても苦肉の策であるためできれば依頼を受けて貰いたいが強制するほどではない。そのため、メルルは断ることができると言い切ったのだ。


「…指名依頼みたいなもんだからな。タルテの判断を優先するぞ」


「それなら…私は受けたいです…!沢山食べ物が増えるのは良いことですので…!」


 彼女の優しさ故か、食いしん坊の意思か、タルテは意気込むように拳を胸元で握り締めて依頼を了承する。それを見てサフェーラ嬢は敬意を示すように静かに頭を下げて感謝の言葉を述べた。


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