第441話 豊穣を齎すもの

◇豊穣を齎すもの◇


豊穣の角鍬コルヌコピアの代わりをして欲しい…。なるほど、そういうことですか。サフェーラは知っているのですね」


 メルルが何かを察したように頷く。一方俺らは未だに話の全貌が理解できず、サフェーラ嬢の言う依頼内容を詳しく聞こうと耳を傾ける。いったい何故俺らに国府からの依頼が、しかもサフェーラ嬢を通してやってきたのだろうか。それに魔剣の代わりと言うのもどういったものか判断できない。


 サフェーラ嬢は紅茶に手を伸ばし喉を潤すと、理解が出来ていない俺らに依頼の話を語り始める。普段は余裕のある態度を崩さない彼女ではあるが、その話を紡ぐ様子は少しばかり悩ましげな仕草だ。彼女としてもこの依頼は国府から齎された彼女の範疇を超える依頼なのだろうか。


「豊穣祈願の行脚は…、その名の通り王家の者が豊穣の角鍬コルヌコピアを用いて地方の豊穣を祈願する行事に過ぎません。ですが、今回ばかりは都合の悪い状況が重なっているのです…」


 サフェーラ嬢が豊穣祈願の行脚の内容を俺らに説明する。その行事自体はさほど特殊なものではなく、単なる王家の巡行だ。王家の者が各地を尋ねて豊作を祈願して、皆仲良くこの国を盛り上げて行こうねという毎年のパレードのようなものに過ぎない。俺は知らなかったがネルカトル領に訪れたこともあるらしい。


「まず第一に…あなた方もご存知のようにサンリヴィル河に軍が集まっているせいで、警備がその分手薄に成ってしまうのです」


「…?この国の軍はそこまで人員が少ないのか?いくらそっちに人員を割いているからといって、その行事に回すぐらいの人員は居るだろ?」


 サフェーラ嬢は警備が手薄になると言っているが、開戦した訳でもないのにそこまで人材不足になるとは思えない。


「ハルト様。その豊穣祈願の行脚には毎年かなりの人員が割かれているのですよ。王家の者が参加するだけでなく、その豊穣の角鍬コルヌコピアが非常に価値のあるものですので…」


 俺に疑問にメルルが答えてくれるが、俺はその言葉に驚いてしまった。彼女の言葉はそれこそ王家の者以上にその魔剣…魔鍬が価値ある物だと言っているようなものだ。王家の者より重要な物となれば、それこそ王権を示す宝具と同等と言ってもいいのかもしれない。


 …豊穣の角鍬コルヌコピアの名前を聞けば多少は予測が付く。想像通りの物であれば確かにそれは高価…というより狙う者が多く居てもおかしくはない。


「ついでに言ってしまえば、今年の訪問先にも問題があります。北東のバグサファ地方…未だに豪農が幅を利かせる地方ですので…例年以上に警戒が必要なのです」


「ああ…あそこは私も行った事あるわ。なんて言うか…田舎の悪いところを煮詰めた場所よ」


 行脚の行き先を聞いて、今までは他人事の表情をしていたイブキが渋い顔を浮かべる。


「行き先を変更したり、中止するわけには…いかないんだよね?」


「ええ…。既に予定されて告知されている行事ですし…、なによりバグサファ地方の王権を高めるために予定されていますので、中止ともなれば反乱の体の良い口実になってしまいます」


 豊穣祈願の行脚の遂行に問題があることを聞いて、ナナが念を押すように確認をとるが、サフェーラ嬢は中止するわけにはいかないと悩ましげに言葉を吐く。その回答は半ば予想通りの回答であるため、ナナも納得するように無言で頷いた。


 だが、それよりも問題はサフェーラ嬢が俺らに求めている依頼の内容だ。そもそもは秘されており、一応は俺らはその点について彼女を守るようにエイヴェリーさんと約束をしている。


「それで、足りない警備の代わりじゃなく魔剣の代わり?…それは…俺の想像通りなのかな?」


「…豊穣祈願に使う魔剣の代わり…。…なんでサフェーラさんは知っているのかな?」


 風壁の魔法を使っている時点で和やかな茶会という空気は崩れていたが、それ以上に空気が張り詰める。俺とナナはサフェーラ嬢の出方を伺うように鋭い視線を向けた。まるで嵐の前の静けさと言える状況に、イブキはサフェーラ嬢を即座に守れるように姿勢を変えた。


「…まず彼女のことは国府の上層部は把握しています。言っておきますがそれは守るためであり、何かあったら保護するために動きます。…私は自力で彼女の正体に気が付いたために、今回は国府との橋渡しを請け負いました。…秘密を知る人間は少ないほうが良いですので」


 俺らを刺激しないようにサフェーラ嬢は静かな声で淡々と語る。彼女の顔は真剣そのもので、いつもの何かを含むような態度ではなく、それこそ身の潔白を示すように丁寧な言葉遣いだ。


「…まぁ、役人が私たちを尋ねるより、貴方を通して貰った方がこちらとしても目立たないので有り難いですが…」


「メルル…。そもそもが貴方が窓口になるべきなのですよ。今回の件はおおやけに出来ない依頼なのですから…」


「大方、国府のほうで何かしら実績を残したかったのでしょう。我が一族に話を通すには、どうしても王家に話が向かいますので」


 剣呑とした空気を壊すようにメルルが溜息と共にサフェーラ嬢に話しかける。軽口を叩き合うメルルとサフェーラ嬢の視線が、会話が終わるとともに自然と一画に向かう。そしてそれに釣られるようにして、俺とナナの視線もそちらにゆっくりと流れた。


 みなの視線の先にはお茶菓子を頬いっぱいに詰め込んでいるタルテが居た。彼女は何故自分に皆の視線が向いているのか分からず、不思議そうに首を傾げてみせた。


豊穣の角鍬コルヌコピアは…耕した地に豊穣を約束する魔剣です。魔剣の代わりとは…そういうことなのでしょう?」


「ええ。タルテさん。いえ、…豊穣の一族であるアスタルテ様。あなたのお力を私どもにお貸しいただけないでしょうか?」


 まるで上位者に祈るように、サフェーラ嬢はタルテに頭を下げてみせた。豊穣を齎す魔剣の代わりが勤まるのは、豊穣の一族であるタルテぐらいしか存在しない。羊人族と偽っているが、一部の人間にはタルテの正体が知られてしまっていたのだろう。


 その真摯な願いに対して、タルテは急いで頬張った茶菓子を飲み込んだ。


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