第439話 春芽吹き、兵共が夢の跡

◇春芽吹き、兵共が夢の跡◇


「…おやすみなさい…」


 意識が沈む前、眠りゆく少女の言葉が聞こえた。


 別れを惜しむような眠りの挨拶。その声をどこか遠くに耳にしながら俺の意識は光の下へと流されていった。


 …閉じた瞼の隙間から光が差込み、暗転した俺の意識の闇を払う。目覚めの先触れを受け入れながら、俺はゆっくりと状態を起こした。


「…どこだここ」


 周囲には無造作に青草が茂り、俺の体の下敷きとなった草からは潰されたことで周囲よりも強い青臭い香りを放っている。天上には青い空が広がっており、猛禽が風に乗って草原の向こうの森へと泳ぐように消えていった。


俺が目を覚ました場所は、ただの草原ではない。茂った青草の隙間には木材の破片や石積みの欠片が散乱しており、今俺が横になっていた場所も、朽ちて緑に侵食された廃屋だ。最も、既に屋根どころか、壁すらも痕跡程度しか残っていない場所を廃屋と表現することが正しいかは分からないが…。


「ふにゅむ…」


 廃屋の入り口付近から声が聞こえる。見れば俺と同じように目を覚ましただろうタルテが、草原の影から起き上がるようにして姿を現した。


「み…皆さん…!朝ですよ…!」


「…朝…?ま、魔女は!?」


 タルテは慌てながらも自分の周りに声を掛ける。するとナナやメルル、イブキとルミエも草腹の中から姿を現した。彼女達も草原の中に横になっていたようで、髪には千切れた葉っぱがついている。背の低いイブキは膝上まで草に隠れてしまっているが、草を掻き分けるようにして比較的草の背が低い場所まで飛び出してきた。


 俺を含め、全員の姿を確認したことで、なんとか皆は冷静になるが、それでも自身の置かれた状況が判明したわけじゃない。まるで魔女の村に囚われたときのように、俺らは興味深げに周囲を見渡している。


「どこか…遠くの場所まで飛ばされてしまったと言うことでしょうか?離れ離れになっていないのは幸いですが…」


「いや、よく見てみろ。既に痕跡も殆ど残っていない廃村だが、この建物の並びは覚えがあるだろ?それに、ほら…乗ってきた馬車も馬達も無事なようだ」


 妖精の小路に迷い込んだように、どこか遠くに飛ばされたことをメルルが危惧するが、俺は周囲の廃村を指し示すようにして説明する。俺らが案内された空家に獲物を捌いた共同炊事場…その周囲に広がる村人達の家々に村長宅。


 残った痕跡に目を向けてみれば、昨日の村の光景を用意に描き出すことができる。馬と馬車が繋がれている場所も、昨夜の村の位置とは変わらない。馬達もなにかされた様子は無く、暢気に小道の脇の草を食んでいる。


「昨夜の村は…まるまる夢だったって訳?…なんだか狐に化かされたみたいね」


 この世界にも狐には人を化かすという逸話がある。だからこそイブキは俺たちの置かれている状況を狐に化かされたと表現した。廃村の状況からいって、ここ数年で廃村になったとは思えない。だが間違いなく俺らは昨日、この村を訪れて村人達に歓待を受けたのだ。


 あれこそが魔女が作り出した夢の世界であったのだろう。目の前の光景こそが実際の村の惨状だ。魔女は山賊に襲われたと言っていたが、確かに地面には建物が焼けたような痕跡も残っている。恐らくは山賊が火を放ったのであろう。


 村の荒れ具合から見るに…百年近くは経っているかもしれない。少なくとも十年や二十年ではまだ村は原型を残しているはずだ。既に森に侵食されつつあるこの村は、どうしても時の流れを感じてしまう。…つわものどもではないが、正しく夢の跡だ。


「…ねぇ、実はアレから何年も経っているとかないよね?妖精の国に訪れた話に…そんなのがあったと思うけど…」


「…怖いこと言わないで下さいまし。馬が無事なのですから日は経っていないはずですわよ…」


 余りにも昨日の村とは違う光景であるため、ナナは恐怖を感じながらも馬の元へと足を進める。確かに俺の感覚からしても昨日のように思えるが、実際は何年もあの村に閉じ込められていた可能性がある。誰もがそんなことは無いだろうとは思っているが、少しばかり浦島太郎になってしまう恐怖を感じていた。


 だが、馬を厩から出し馬車を村の入り口に辿り着いたことでその思いは何処かに吹き飛んでしまった。


「これは…。村人さん達ですね…」


「…確か盗賊に襲われたのでしたね。かなり古いものではありますが…手入れがなされています」


 タルテとルミエがゆっくりと跪き、手を合わせて祈り始める。村の入り口の近く、彼女達の跪いた先には大量の墓が並んでいた。木々と天然石を用いて作られた粗雑な墓であるが、朽ちた村の建物とは異なり、それは未だに墓としての形を失ってはいない。…それは今でも参る者が居るという証左に他ならない。


 そして、墓に紛れて一番手前には岩に掘り込まれた看板のような者が掲げられていた。そこには村の生き残りはこの峠を越えた先、そこにある別の村に移り住んだと記述されている。それは故郷に戻ってきた者や行商人に向けた文章であるのだが、わざわざ文章ではなく絵でも併記されている。


 それはまるで幼子に向けたような優しげな絵だ。酷く掠れてしまっているが、それに反して込められた思いの強さを感じ取ってしまう。…メルニアは襲撃の次の朝に目覚めることの無い夢の世界に旅立ったと語っていた。だが、こちらの世界でも行方不明になった彼女を探す者達が居たのだ。


「…なるほど。地図に書かれていた峠の先にある村ってのは…この移り住んだ村のことか。どうりで早くついた訳だ。本当の目的地はもう少し先だった訳だ」


 感傷を消すように俺は看板の内容から推測したことを口にする。


「ああっ!?…ご、ごめんなさい。じ、実は村に来たとき思ったんです…。前に通ったとき…峠の村はこんな位置だったかなって…」


 俺の言葉に思い起こされたのか、ルミエが勢いよく頭を下げた。彼女は以前に王都に赴いた際に同じ道を辿っているのだが、そのときにはこの村に立ち寄らなかったらしい。もちろん、通るたびに夢の村が姿を現すわけではないのだろう。


 魔女に見初められる切欠があり、そんな者達が迷い込む眠りの森の魔女の村。魔女とメルニア。夢の世界に旅立ってしまったが故に、ここには彼女達の墓が作られていない。俺らは彼女達が静かに眠れるように、新しい墓をそこにひっそりと付け足した。


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