第438話 始まりの火
◇始まりの火◇
「アレは…精霊化だ。まさか…ナナがそこに至ったのか?」
信じられない光景に俺の口から驚愕の声が零れる。それはメルルやタルテも同様のようで、目を見開いてナナのことを見つめている。
森羅万象の全てには魂が宿ると言われているが、実際はその逆。厳密に言えば根源世界に遍く魂が各々を顕現することで世界を作り出しているのだ。水は水を顕現し、大地は大地を顕現する。そして俺らは俺ら自身をこの世界に顕現し、物理法則を含む物質世界を織り成しているのだ。
その顕現こそが魔法の最も基本的で根源的な要素だ。魔法とはその自身の顕現を拡張し、それ以外の現象を引き起こす手法と言っても間違いではない。
肉体の顕現が魔法であるならば、それを肉体ではない別の形としても顕現することができる。それが精霊化なのだが、言うほど単純な行為ではない。この世界の表層に物理法則というものが横たわっている以上、そこには肉体にも物理的な役割が発生している。
だからこそ、その頚木を外せば世界から排他される。下手をすれば、炎に変えた肉体はそのまま現象としての炎に成り下がり、世界の中で霧散してしまう。それを防ぐのは魂の圧倒的な個としての確立。そして世界に有無を言わせないほどの強靭な精神力。だからこそ精霊化は魔法を極めた先にあり、魔女の資質の一つとして扱われているのだ。
「これは推測に過ぎませんが…、恐らく魔女の世界に踏み入れたことで触発されたのでしょう。…ある意味、お手本が目の前に広がっているようなものですから…」
メルルがナナを見つめながら、静かにそう呟いた。ナナと相対している眠りの森の魔女は、身体を霧へと変質させている。それは精霊化に他ならないし、そもそも村と森しかないとは言え一人で世界そのものを顕現するのは精霊化よりも高位の魔法だ。
「凄いです…。これが魔法の極致…」
「綺麗ですね。まるで…世界が…産声を上げているみたいです」
ナナの火傷痕から吹き上がった炎はそのまま彼女の身体を巻き込むように広がり、ナナの左半身は炎へと変化している。それは片翼の羽のようでもあり、炎の巨人の半身にも見える。
もしかしたら、ナナが精霊化に目覚めたのは平地人であるからかもしれない。俺やメルル、タルテは魔法種族といわれる肉体的特性に魔法的な要素を含んだ種族だ。精霊化までは至っていないものの、その存在に魔法的要素が組み込まれているため、それが精霊化の妨げになっているのだ。
「何も何もなくなった冷たい滅び。そこに小さな火が灯る。それは酷く微かなれど、闇を払い熱を産んだ…。風が流れ命が再び木霊する…」
創世記の一説を謡いながら魔女が霧と戯れる。その言葉をなぞるように、ナナの火は熱を生み出し、風を吹かせている。その風が魔女の霧を押し流し、霧に塗れていた魔女の姿が露わになる。
ナナから噴き出した炎はその勢いを増し、風に乗って広がっていく。半身に宿った炎は膨れ上がり、崩れゆく世界を破るほどに赤熱していった。
「…っう…!あまり…長くは持ちそうに無いね…」
ナナが苦しむように絞った言葉は、崩壊する世界ではなく、自分自身の状態なのだろう。炎は制御が効かないのか次々と溢れ、それが周囲を焼いていく。彼女とは十分な距離が開いているのに、輻射熱だけでも焼けるように俺らの肌を熱しているのだ。
「恐れなくてもいいわ…。下手に押さえようとするから暴れるの。…さあ、あなたはこの世界を焼けるかしら?」
魔女が天上に両手を掲げると、そこに霧が集まってゆく。それは霧というには余りに濃く、世界というには余りに儚い。だが、それは魔女とメルニアが持つ全てに他ならない。
「これが正真正銘最後の魔法。酷く醜く優しき故郷…
その霧を核として、ナナに向けて霧が殺到する。だがそれでもナナの放つ熱は翳ることはない。
「その願いを焼いてあげる。…
…巨人族には始まりの地が無い。その苛烈な炎がそれすらも焼いたと言われているが、だからといって巨人族は惑うことはない。彼ら彼女らにはその身の内にそれを宿しているのだ。
纏っていた炎が瞬間的に凝縮したかと思うと、次の瞬間には花咲くように一斉に広がった。炎は花弁のように幾重にも重なり、それが開花することで霧の世界を晴らすように押し広がった。
空間自体が焼け、まるでスクリーンが焼け焦げ穴が開くように景色が消えてゆく。虫食いのように広がった穴の向こうには、闇よりも暗い世界が広がっている。大地も空も、ここが箱庭であったことを示すようにあっけなく焼け落ちてゆく。
その炎は俺らも包み込んだのだが、温もりを感じるだけで焼けることはない。むしろ幻想的なその光景に、俺らは感嘆するように唾を飲み込んだ。
「ああ…。村長の言っていた通り…。巨人の火は世界を焼いて…世界を産む。…ああ、こんなにも綺麗…」
炎の花弁を見つめていた俺らの視線が、その声を主に引き寄せられる。身から噴き出す炎が治まったナナの足元。灰に抱かれるようにして魔女がそこに横たわっていた。
魔女は周りの景色のように身体が焼け落ちていっている。霧となった身体は血肉の通った肉とは違い、炭も灰も残さずに焼け、今では各部の身体が欠損している。
「…ねぇ。これでよかったの?…わざと焼かれるように振舞ってたよね?」
ナナは魔女の横に座り込むと、天を見つめる彼女に向かって尋ねかけた。…ナナの言うとおり、魔女はナナの火を求めていた。本来の目的…俺らを村に捕らえるのであれば、もっとよい方法があったはずだ。それなのに魔女はナナと戦うことを望んでいたのだ。
「………」
ナナの言葉を聞いて、魔女は静かに微笑んだ。その白い顔には焼けた世界の灰がパラパラと降り注いでゆく。
「…この…メルニアに優しい世界は…彼女の願った最初の願い…。私は…その為だけに産まれた存在…」
暗くなってゆく世界で、彼女の言葉だけが響く。魔女は世界の様子を見ながら嬉しそうに言葉を紡いでゆく。
「でもね…でも、私にも願いはあるの…。…眠りの森の魔女の願いは…この世界をちゃんと終わらすこと…」
魔女は灰になりつつある手をナナに向かって伸ばす。その手は愛おしい者を撫でるように、ナナの火傷痕に触れた。
「ああ…酷く眠い…。…最後くらい…眠る前くらい…メルニアじゃなくて…私の願いを…夢見ても、いいよね?」
そう呟くと魔女はゆっくりと瞳を閉じ、灰となった身体が風に乗って崩れ去った。メルニアの願いを叶えていた魔女は、最後に自分自身の願いを叶え、終わる世界と共に消え去っていった。世界は闇に飲まれ、俺らの意識は暗転した。
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