第435話 灰降る世界

◇灰降る世界◇


「あなた達も狩人なら聞いたことがあるんじゃない?ふふふ…。美しくて、そして強いだなんてとても魅力的よね」


 魔女はお気に入りの英雄を自慢するかのように俺らに語りかける。霧でできた首狩り姫の幻影は当たり前のように宙を歩き、魔女の前に立ちはだかるように着地してみせた。そしてそれと対を成すようにワイバーンの幻影も地に足を下ろす。周囲には大量のコボルト兵士がまるで魔女を守るかのように展開しており、こちらを威嚇するように粗雑な武器を打ち鳴らしている。


 瞬く間に構成された集団に俺らは警戒するように目を眇めるが、その視線は主に首狩り姫の幻影に注がれている。


「ねぇ…。ハルト。あの首狩り姫って…」


「ネルカトルって言ってたし…十中八九父さんのことだろうな」


 父さんと面識のあるナナが俺に尋ねる。まさか肉親が召還されるとは思わなかったが、単に勇敢な勇者ではなく、戦うお姫様という点が彼女の性癖に刺さったのだろう。月の美少女戦士であったり、プリティでキュアな魔法少女に憧れるようなものだ。


「…?あれがハルトさんのお父さん…なのですか…?」


「言っておくがあんな姿じゃないぞ…。大方噂話を聞いてあの姿を想像したんだろ」


 お姫様を父親と言う俺にタルテが不思議そうに声を掛ける。俺は父親の名誉のためにも姿は異なることをタルテに伝える。首狩り姫と謡われているが父さんは女装することは無い。狩人時代の話も聞いたことあるが、普通にオーソドックスな斥候の格好をしていたはずだ。…むしろ、男の格好をしていた男なのに姫の二つ名が付いた剛の者だ。


 もちろん、今でだって普段からまともな格好だ。決して父さん自体にそんな趣味があるわけではない。…女装は…たまに母さんに強制的に着させられている程度だ。


「おい!首狩り姫は女じゃないぞ!男のハーフリングの二つ名だ!」


「は?何言ってるの?…そんな訳無いじゃない!男ならなんで姫って言われるのよ!」


 少女の夢を壊すのは気が引けるが、俺は首狩り姫の真実を告げる。魔女の誤認を正すことで魔法が揺らぐかと思ったが、彼女は頑なに俺の言葉を否定する。俺も男なのに姫と呼ばれる理由をうまく説明できずに口篭ってしまう。


「何よ…本物とは別って訳?…期待して損したわ」


 イブキはそう呟くと、首狩り姫に向けて魔弩を向ける。そして空を裂くようにして放たれた魔弾がコボルト兵団の隙間を縫って首狩り姫の幻影に到達した。遠距離から瞬きの間に到達する高速の射撃。しかも上空を進むのではなく、あえてコボルト兵団の間を縫うような地を這う射撃。


 味方の姿を目隠しにして不意打ちに近い射撃であったが、…首狩り姫は容易く対応してみせた。イブキのボルトが不自然に逸れたかと思うと、そのボルトは宙で分解するように散ってみせた。強い衝撃で砕けたのではない。すれ違い様に幾重もの斬撃が放たれたのだ。


「嘘でしょう…?何なのよ今の動きは…!?」


「そんな攻撃が首狩り姫に通じるわけ無いでしょ?ほらほら!皆の衆!前進前進!」


 首狩り姫の強さに得意気になった魔女が、霧の幻影たちに声を掛ける。その声を受けてコボルト兵団とワイバーン、そして首狩り姫は俺らに向けて迫ってきた。


 トットットッとまるで踊るように宙でステップを踏み、首狩り姫が真っ先にこちらに迫る。てっきり魔女を守る最終防衛に就くと思っていたのだが、どうやら魔女は首狩り姫の活躍がお望みらしい。首狩り姫は重力を感じさせない軽やかな足取りで宙を舞う。そして跳ねるようにして天上に弧を描いたかと思うと、そこから矢が放たれるような速度で一気にイブキに向かって突き進んできた。


「きゃっ…!?」


 イブキには高速近距離アタッカーは余りにも相性が悪い。俺はイブキを抱えるようにして押しのけると、もう片手で迫ってきた首狩り姫の剣を弾いた。


「やっぱり偽物だな。父さんとは剣筋が違う…」


「ちょっと!変なとこ触らないでよ!さっさと離しなさい!」


 イブキを放り投げると、俺は首狩り姫と相対する。魔女に剣の知識が無いからか、剣筋が違うどころか剣術としてはかなり無茶苦茶な動きだ。だが、ただ純粋に動きが早い。まるで一人だけ倍速で動いているような挙動で迫ってくる。しかも宙を跳ねる際には時が止まったように軽やかになるものだから、その速度差がこちらを惑わしてくる。


「ハルト!こっちは受け持つから何とか押さえ込んで!」


「構わないから全部焼き焦がすつもりで攻めろ!」


 首狩り姫との接敵から少し置いて、コボルト兵団とワイバーンとの戦線も開かれる。ナナが広範囲に炎を放ち、そこを抜けてくる者をメルルが討ち取ってゆく。俺は炎が産む上昇気流に乗って、空中で首狩り姫と剣を交えた。


 足場代わりにワイバーンを蹴り飛ばし、何もない空間にはイブキが特殊な魔弾を放ってくれる。恐らくは村長の邸宅の扉を吹き飛ばした魔弾と同じものだろう。その魔弾は俺を貫くことなく、衝撃を放って丁度良い足場になってくれる。


「凄い凄い!これが首狩り姫の空中舞闘!相手が居なかったから初めて見るの!」


 魔女は完全に観客となって俺らの戦闘を見つめている。その隙を突くようにイブキが魔女に向けてボルトを放つのだが、的確に首狩り姫やワイバーンがそれを弾く。特にワイバーンはその身を挺して魔女を守っており、自身の身体が傷つくことに何の抵抗を見せていない。


 その間にもナナの炎は周囲に広がってゆく。燻りは火となり炎へと変わり、その後には灰が残る。いったい何が灰に変わっているのかは分からないが、何かが燃え尽き灰を生み出しているのだ。戦場となった一帯にはまるで雪が降ったかのように柔らかな灰が積もっている。


「やはり…ナナの火魔法が良く効くようですわね。切り捨てるよりも火にくべた方が簡単に倒せますわ」


 メルルは血で絡めたコボルト兵団をナナの放った火魔法へと押し込むように投げ飛ばす。火を恐れているのは首狩り姫も同じようで、ナナが火を広げれば不自然に空中で起動を変える。


「なんか変だよここ…。そのね、燃焼物が有るか無いかで火魔法の感触って結構違うんだけれども…。…燃やした感じがどちらでもないって言うか…」


「それ…!地面にも感じます…!落とし穴を作ったときにも思ったんですが…地面なのに地面じゃないっていうか…」


 魔法の感触に違和感があるとナナが言えば、タルテも同じ感じがすると同意の声を上げる。…メルルも周囲の霧は霧に見えて霧ではないと言っていた。俺も、霧が混じっているせいかと思っていたが、空気には違和感を覚えている。この感覚こそが魔女の世界を構築する魔法から来るものなのだろうか…。


 唯一、ナナの炎が産む上昇気流だけがその感覚が無く、いつもの風と同じように感じ取ることができる。俺はその風を感じながら、戦場を睥睨するように見回した。


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