第432話 壊れゆく世界

◇壊れゆく世界◇


「…なぜ、それを私達に話したのでしょうか?私達に何かお求めで?」


 話し終えた眠りの森の魔女に向かって、メルルが険しい顔で尋ねる。確かに魔女の話は興味を引かれる内容では会ったが、それをわざわざ俺らに打ち明ける意図が分からない。メルニアに飲まれかけていた空気が、メルルの言葉で元の警戒態勢に戻る。


 俺らの警戒する様子を見て、メルニアはどこか悲しげな笑みを浮かべる。こちらとしては話が終わったのなら、さっさと俺らをこの世界から解放して欲しいのだが、魔女の目的はそれだけではないようだ。


「私は眠りの森の魔女。この世界にいる者の願いを適える魔法の写し身。…でもね。そもそもはメルニアの願いを適えるためにここに居るの…」


「メルニアちゃんの…願いですか…?」


「メルニアが私に願ったのは幸せな村を夢見ること。私が適えるべき最初にして唯一の願い…。そのために私はこの世界を作り出したのよ」


 彼女の背後で霧が再び動き出し、それが昨晩見た村の様子を形作る。まるで人形劇のようでありながら、ホログラムのようにリアリティもある造形だ。そしてその村の様子は昨夜の晩餐そのものだ。俺らと村長、そしてメルニアが料理に舌鼓を打ち、それを取り囲むように村人達が楽しげに騒いでいる。


「だから…ねぇ。あなた達も囚われてくれないかしら。メルニアはお兄ちゃんとお姉ちゃんが欲しいらしいのよ」


「…俺らはこの世界から解放されるのを望んでいる。…お前も、そこを蔑ろにするわけにはいかないんじゃないか?」


 メルニアの口にしたお誘いを俺ははっきりと断る。その意見を肯定するようにナナ達も口々に外に出ることを願いだした。


「あら、やっぱり分かるのかしら。…そうね。それを願われたら外に出す決まりなのよ。だからこそ、こうやってお誘いしているのだけれども…」


「いくら魔女であっても世界の顕現は人の身に余る。…ルールを定めることで、世界を安定させているんだろ?」


 …正しい願いをすれば元の世界に帰れて、欲望に従ってしまうと元の世界に帰れないというのは、言ってしまえば有りがちな話だ。そういった形式に拘るのは妖精や精霊に見られる傾向で、幻想に住む不安定な存在だからこそ、そういった制約を負うことで自身の存在を定義付ける骨子とするのだ。


 だからこそ、魔女の魔法にもそれは適応されている。世界の顕現という形も際限も無い魔法に、制約を組み込むことで形と限界を定め、制御することを可能としているのだ。こういった制約で魔法を縛ることは制御を容易にするため、魔法使いでも使用する者がいる。そもそも、広義では呪文や宣誓句も定義付けの一種だ。


「そうね。私がこうやって引き止めるのも本来はルール違反…。でも、最初にルール違反をしたのは私じゃないわよ?」


「…俺達がしたって言いたいのか?そもそもルールブックを渡された覚えも無いんだがな」


「あなた達でもないわよ。…最初の違反者は村長よ。必要以上のことは喋れないようになっていたはずなのに…まさかあなた方に縋るとはね」


 魔女の言葉に霧に変わる前の村長の様子が思い起こされる。確かにこの世界に来てからの村長はどこか形式ばった感じがあったが、霧に変わる直前はどこか彼の感情の発露のようなものを感じ取ることができた。


 なぜ村長がルール違反を犯したかが疑問に残るが、その疑問に答えるようにメルニアの視線がナナに向けられる。


「あなた。…あなたね。火の魔法使い。あなたの火が私の世界を焼いたのよ」


「え?私…!?み、見に覚えが無いのだけれども…」


「…そういえば…ナナ。あなた囲炉裏の火を大きくするために魔法を使いませんでしたか?」


 魔女に問い詰められたナナが身の潔白を宣言するが、ナナが魔法を行使したことは俺も覚えている。もちろんそれがルール違反だとは思わないが、メルニアはそれが原因だと言っている。


「聞いたことあるわ。私もまだメルニアだった頃、本物の村長に聞かされたもの。冷たい滅びを焼いた巨人の火の魔法。その火に照らされたことで、村長が縛りを抜け出したのね」


「…もしかして…それで村長は正気になったのでしょうか…?」


 あの時、村長は火を見つめるようにして蹲っていた。その火の灯火を反射した目は光を取り戻したようにも見えた。…そもそもが、魔法を行使するということは世界の上書きに近しい行為だ。ナナが火を灯したことで、副次的に村長をこの世界の法則から遠ざかった可能性も十分にある。あの時、村長の家では俺とイブキが風魔法を使っていたため、それも後押しとなったのだろう。


「だから、ほら。見て御覧なさい。既に世界は崩れ始めているでしょう?…このまま世界は崩れ去り…全てが終わった後に再構築されるわ」


 そういって魔女は俺らの背後を指差す。彼女から目を逸らさないように、俺らは横目でそちらを確認した。そこには村の半ばにまで迫ってきた霧の壁があるのだが、よくよく見てみればその認識が間違いであることが分かった。


 霧の壁が迫っているのではない。村人はもちろん、村そのものが溶けて霧に変わっていっているのだ。世界が狭まっているのではなく、世界そのものが霧へと変わっていっている。それは回帰なのか世界の終焉なのか。少なくとも俺らを焦らすには十分な効果がある。


「既に世界が崩壊しかかっているから…ルールを守るつもりはないってか…。…もしかして、世界が崩壊するまで粘れば、異物である俺らは吐き出されるんじゃないか?」


「あら、それは私にも分からないの。世界の外には行くだろうけど…正規の入り口じゃないからどこに出るか分かったものじゃないわ。…だからほら、メルニアの姉妹になるって望んでくれるかしら」


 暗に魔女は世界の暗がりに放り出されることを仄めかす。しかしだからと言ってこんな得体の知れない村の一員になるつもりはない。…ルールに則ってこの世界から出れないのであれば、出る方法は余り多くは無い。


 一つは崩壊した世界で綻びを見つけてそこから抜け出す。…だがこれは綱渡りに近い。それこそ魔女の言うようにその綻びがどこに繋がっているか知れたものじゃない。


 そしてもう一つは…魔女を討伐する。この世界は魔女が要となって成立しているため、十中八九、外と繋がるのは彼女自身だ。だが、伝説級の存在に俺らが太刀打ちできるだろうか…。俺は悩みながらも剣へと手を伸ばす。その様子を見て、メルニアは小さく…ほんの小さく微笑んだ。


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