第431話 眠りの森の魔女メルニア

◇眠りの森の魔女メルニア◇


「驚きました。…こんな簡単に私に辿り着かれるとは思っていなかった」


 まるで、謁見の間に張られた薄布のカーテンの中から身を踊りだすかのように、乳白色の霧の中から姿を現したのはメルニアだ。この朝霧の世界に来て、初めて見る意思の灯った瞳が俺らを静かに見つめている。


 昨夜の村では一般的な農民服である麻のチェニックを着ていたのだが、今の彼女は朝霧にて織られたような白いワンピースを身に纏っている。彼女が俺らの前でぴたりと足を止めると、その後ろに蠢いていた朝霧の塊が、制御を失ったかのように空中に散り始めた。


「そもそも…。私自身が見つかるのが初めて…。他の人が見つけたのは…魔女わたしだったり、わたしだったり…妖精わたしだったり…」


 言葉に合わせて彼女の姿がコロコロと変わる。身体が霧に変化し再び集合することで、妖艶な魔女になったかと思えば、猫に変わり、妖精の姿に変化し、最後にまた元に戻る。その様子だけでメルニアが単なる少女ではないと言う証左だ。


 シェイプシフターと呼ばれる姿を変える能力を持つ者達。シェイプシフターに分類されるのは大半が魔物なのだが、一部の人間もその能力を備えることがある。…その筆頭が魔女だ。極限まで高められた魔法との親和性は、人間の肉体を一時的に魔法に変えることができるのだ。


 世界の顕現こそが魔法の根源であるならば、人間の肉体もそこに宿る魂が織り成す魔法に他ならない。だからこそ、その根源すらも支配下に置けば、肉体を魔法に…そして別の形にへと変質させるのだ。精霊化とも呼ばれるその能力は、魔女の代名詞とも呼ばれる伝説の魔法だ。


「嘘…。精霊化…?幻術じゃないよね…?」


「このおかしな世界を構築しているのですから、むしろ精霊化なんてできて当たり前でしょう。…これが魔女というものですか」


 この異様な世界に放り込まれて暫く経つが、その世界の構築を目の前の存在がおこなっていると思うと、改めて畏怖にも似た気持ちがこみ上げてくる。メルルの言うように、固有世界の顕現など精霊化よりも高度な魔法だろう。それこそ神に近しい権能であり、魔女だからと言ってそんなことができるとは聞いたこともない。


「私は眠りの森の魔女、メルニア。御機嫌よう。お姉さま方にお兄さん。いい夢は見れていますか?」


 小さく微笑むようにメルニアが小首を傾げて挨拶をする。小さき幼子の見た目なれど、その所作はどこか年季を感じ、見ていて引き込まれてしまう。


 噂を聞いたとき、魔女であろうともどんな願いでも適えるのは無理があると思っていたが、世界を顕現するほどの者であれば話は別だ。ここが彼女の顕現させた世界であるならば、何でも願いが叶うというのは間違いではないのだろう。…一点、全てがまやかしに過ぎないことを除けば。


「…それで、お前に願えば外に出してくれるって訳か」


「お兄さんはせっかちですね。…まぁ、こんな村の惨状ではさっさと出たいのも仕方が無いですね…。それよりも少しお話しませんか?」


 メルニアは俺らの願いをやんわりと断る。悪意の気配はないが、俺らに対する何かしらの執着のようなものを感じてしまう。そのこちらをからかう様な仕草は、どこか大人びていて昨日の少女と同じ人間とは思えない。


「…本当にメルニアちゃんなの?…ちょっと…なんて言うか…」


「大人びている…と言いたいのでしょう?仕方が無いことです。あの村のメルニアは今でも幼い少女のままですから…」


 雰囲気の変わってしまったメルニアを疑うようにナナが声を掛けるが、メルニアは苦笑しながらナナに答えた。…村長や村人と違って、流石に魔女は共通の人格を有していると思っていたのだが、魔女すらも別の人格を宿しているらしい。


「あの…どういうことなのでしょう…?」


「……昔々、幸せな少女がいました。両親から愛され、村人からも愛され、笑顔を絶やすことの無かった少女。ですが、そんな少女に不幸が襲います。大好きな両親が病に倒れ、亡くなってしまったのです…」


 タルテが詳しく話すように促せば、眠りの森の魔女は滔々と語り始める。彼女はまるで演劇をするかのように大仰な仕草をしてみせ、それに合わせて周囲の霧が場面を映すかのように形を変える。


「ですが、まだ耐えられました。両親の代わりに村の人々が愛してくれたからです。…ですが、それも長くは続きません。再び少女が笑顔を取り戻そうとしたときに…今度は村が山賊に襲われたのです。…襲撃の夜を越え、蔵の地下に隠された少女が外に出てみると、そこに残っていたのは荒廃した村と皆殺しにされた村人の姿です…」


 間違いなく少女とはメルニアのことなのだろう。そして語られているのは少女が魔女になるまでのプロセスだ。なぜ彼女がそれを俺らに語るかは分からないが、その姿に俺らは引き込まれるように見入ってしまう。


「…少女は現実を見ることを止めました。深く深く眠りにつき…、幸せだった頃の夢ばかりを見るようになってしまったのです…。悲劇の少女には魔法の才能がありました。そして、皮肉にも悲しき事件がその箍を外し、私…眠りの森の魔女を生み出したのです」


 ご静聴ありがとうございますとメルニアがお辞儀をする。彼女に制御されていた霧が再び無造作に宙へと散っていった。


「メルニアと…魔女としてのメルニアは別なのか?」


「私は嫌な記憶や大人に成ろうとする心を押し付けたれたもう一人のメルニアです。魔女でありながら、今は彼女の心を守るためだけに存在しているのです」


「…二重人格。しかもそれが魔女の人格として生み出されるとか…どんな事例だよ」


 メルニアの言葉を聞いて、俺の脳裏には解離性同一性障害という言葉が思い起こされる。幼少期に極度のストレスを受けると、主人格を守るため別の人格を作り出し辛い記憶を封じ込める。目の前のメルニアはそれによって生まれ、…その存在としての不安定さが魔女として目覚める切欠になったのだろうか…。


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