第428話 黄泉戸喫

◇黄泉戸喫◇


「言っておくが…意地悪で言っているわけじゃないぞ?」


 飲食を禁止したのはそれが、禁忌タブーと言われるからだ。黄泉戸喫よもつへぐい…あの世のものを食べると、この世に戻れなくなるという逸話だ。


 国堅めの神であるイザナミは、火の神であるカグツチを産んだことで火傷して死んでしまうことになる。しかし夫イザナギは、妻のイザナミが忘れられず、黄泉の国に迎えに行って連れ戻そうとするが、イザナミは既に黄泉の国の食べ物を口にしていたために一緒に帰ることが出来なくなってしまったのだ。


 また、ギリシャ神話のペルセポネの冥界下りにも、類似する話が存在する。冥界の王ハデスに死者の国の食べ物を食べさせられたペルセポネは、一年のうち四ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなってしまったのだ。


「うぅ…。死者の晩餐ですか…。確かにそれなら食べる訳には行きませんね…」


 そして、タルテの言うように類似する逸話はこの世界にも存在する。悪戯小僧のティルが死者の国に迷い込み、そこにあった死者の国の食べ物を食べたことで帰れなくなったという小話だ。今ではお供え物に手を出すなと言う教訓にもなっている。


 それこそ、妖精の小路の振り返っていけないというルールも、前世では見るなの禁忌タブーとして世界各地に存在していた。見るなと言われていたのに黄泉の国でイザナミを見てしまったイザナギ、織物をする鶴を覗いてしまったり、開けるなと言われていた玉手箱を開けてしまったり…。オルペウスも振り返るなと言われていたのに振り返ってしまった。決して開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったのも見るなの禁忌タブーの一例だ。


 国を超えて類似の逸話が伝えられていることに浪漫を感じたくなるが、それが世界を超えても共通しているとなると、世界の触れてはいけない法則を垣間見たような複雑な気分になってしまう。


「…ねぇ、ちょっと…なんか様子がおかしいわよ」


 イブキが魔弩を構えながら俺らに声を掛ける。彼女の構えた魔弩の先には食事に群がっている村人がいるのだが、どうにも様子がおかしい。彼らは俺がナナとタルテを止めたた瞬間に、一斉に食事の手を止めてこちらへと顔を向けたのだ。


 さっきまで気味の悪い笑みを浮かべながら料理に手を付けていた村人達は、今では能面のような無表情でこちらを見つめている。余りの変わりように別人になってしまったかのような村人に皆が一斉に警戒態勢に移る。


「…もしかして、進められた食事を断るのはマナー違反だったりするのか?」


「そもそも、私はあんな料理お断りよ。…いくら豪勢でも、あんな得体の知れないものを食べるわけ無いじゃない。涎を垂らしていたのは食いしん坊の二人だけよ」


「な…!?さ、流石に涎までは垂らしてないよ!」


 俺らが言葉を交わす中でも、村人達は無言でこちらを見つめている。唯一動いているのは醜く太った巨漢の女性のみ。俺らが会話をやめれば、その女性の咀嚼音だけが静かになった共同調理場に静かに響く。


 不気味な静寂が辺りを支配する。それこそ禁忌タブーに触れないために手を付けるのを止めたのだが、その行為こそが禁忌タブーだと言いたげな状況だ。感情の感じない無機質な表情だが、まるでこちらを責めているように感じてしまう。


「……イヒッ…!イヒヒヒヒヒヒィッ!ゲヒヒヒヒヒヒヒヒヒィ!!」


「エフッ…エフッ…!…ヒヒャハヒヒヒハハハハ!!」


 だが、その静寂が一斉に破られるかのように笑い声が響く。堰を切ったように村人達は笑い始め、ゲラゲラと喧しい声が周囲に響く。口角は引きつったように釣り上がり、それでいて目だけは先ほどと変わらずに笑っていない。


 俺らはその喧騒に包まれながらも、静かに相手方の出方を待つ。狂ったように笑う村人達は不気味に頭を揺らすだけで、一向に襲ってくる気配は無い。だが、その狂気を孕んだ様子が寒気を呼び起こして俺らに纏わりつく。


「騙されないかぁ。騙されないかぁ!俺は騙されたのになぁ!」


「イヒヒヒッ!賢いのかねぇ?いやいや…村人になったほうが幸せだよぉ?」


 彼らは再び料理に手を伸ばし、手づかみでそれを貪りながら楽しそうに俺らを見ている。…やはり料理は手を付けないのが正解か…。俺らは彼らから目を逸らさずに一歩後ろに下がる。非常に不愉快だが、これ以上関わりたくも無い。


 嫌悪感を露にする俺らを尚も彼らは笑う。気味の悪さ、苛立ち、居心地の悪さ。何ともいえない感情を抱きながら俺らは彼らの元から離れる。彼女達も同じことを感じていたのか、特に言葉を交わすことなく俺の後を付いてきてくれる。


「…不愉快な方々ですわね。この村ではいったい何が信用できるのでしょう…」


「素直に村長のところに向かうか…。…だが、この調子じゃ村長も何を抱えているか分かったもんじゃないぞ」


 共同炊事場から離れたところで、メルルが忌々しそうに口を開く。背後からは未だに笑い声が流れてくるが、次第に朝霧に隠されるように微かになってゆく。代わりに進行方向からは別の村人が姿を現し始める。


 先ほどの奴らのお陰で警戒心が更に上がっているため、なるべく距離を置いてその村人に近付くが、見えてくる村人はどれも廃人のようで、まともに俺らに反応しない。


「…酒に…薬物…。そっちで自傷しているのは村長と同じだな。傷が回復してる…」


「欲望の形がより取り見取りだね。…あっちの王冠をつけて寝ているのは、王様になることを願ったのかな…」


 願いの種類は数あれど、どの村人も共通して目が死んでいる。…いったい何が彼らの精神を磨り潰したのだろうか。…推測ではあるが、この世界は時間が流れていない。それは何時までも朝霧に包まれた変わらぬ風景だけでなく、存在している人間もだ。俺はその理由を相談するように皆に話しかけた。


「…廃人のような奴らばかりだが、妙に身奇麗だよな。髪も爪も伸びてはいないし…食料はさっきの炊事場で説明は出来るが、こんな状態の奴らが身嗜みに気を使うとは思えない」


「確かに…どこか違和感がありますね…。それこそ…村長は昨日の村が夢と言いましたが…、こっちの村が夢の中のようです…」


 推測が確かなら、この村には永遠という呪いが掛けられている。永劫に続く変わらぬ時間がここに住む者の精神をすり減らしたのだろう。この村の真実を探るように、俺らは村長の家に向けてゆっくりと進んでいった。


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